「72時間の壁が」元日夜に京都出発も道路寸断で能登着は3日夜 消防隊員のもどかしさ

倒壊した家屋の中で不明者を捜索する精華町消防本部の隊員たち(1月4日、石川県珠洲市)=同消防本部提供

 1月1日に起きた能登半島地震で被災地に派遣され、救助活動にあたった京都府精華町消防本部の隊員が、杉浦正省町長に活動報告を行った。壊滅的な被害の様子や、倒壊家屋からの救出活動について語った。

 緊急消防援助隊府大隊の第1次派遣隊(1~5日)として、三桝徹さん(38)ら4人が派遣された。

 活動したのは石川県珠洲市。1日深夜に京都市を出発したが、土砂崩れによる道路の寸断や地面の陥没など想像以上の悪路で、到着は47時間後の3日夜となった。「(生存率が大きく下がる)発生72時間の壁が迫り、少しでも早く被災地に入りたかった」と当時のもどかしい心境を振り返った。

 救助活動に取りかかれたのは翌朝から。同市若山町と宝立町の2カ所の現場で、倒壊家屋の下敷きになるなどしていた高齢女性2人の救出に当たった。いずれも1階が完全につぶれた状態で、余震の度に作業は中断を余儀なくされた。

 2人ともすでに亡くなっていたが、作業を見守った家族から「こんなに早く見つけてくれてありがとう」などと感謝の言葉をかけられたという。「少しでも早く家族のもとに帰すことができたことはよかった」と語った。

 三桝さんは、今回の地震では、消防などの公的な救助活動がすぐに行き届かなかった状況にふれ、「地域の助け合いが改めて大切だと実感した」と話した。

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