「出会い・感じる」から始めるサステナビリティ【アーヤ藍 コラム】第4回 教育の国際デーに「質の高い教育とは」を考える

社会課題への関心をより深く長く“サステナブル”なものにする鍵は「自ら出会い、心が動くこと」。そんな「出会える機会」や「心のひだに触れるもの」になるような映画や書籍等を紹介する本コラム。

1月24日は国連が定める「教育の国際デー」です。「世界の平和と開発のために教育が重要な役割を果たすことを確認し尊重する」この日にちなんで、今回は教育について書こうと思います。

SDGsの目標4にも「質の高い教育をみんなに」とありますよね。「質の高い教育」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか? 読み書きの力でしょうか? 学力の高い学校へ進学できる力でしょうか?

世界のさまざまな教育の実情にふれると、「質の高い教育」という言葉に小さな違和感を覚えることがあります。
そもそも「教育の質」とはなんだろうかとも考えます。

6年ほど前、私は「一生に一度は行ってみたい!」と思ったサハラ砂漠を訪れました。砂漠を案内してくれるラクダ使いのお兄さんとゆっくりしゃべる機会があったのですが、彼は遊牧民族でノマドの生活をしてきたとのこと。今は近くの町に住んでいるものの、病院も学校もないなかで育ったといいます。

筆者撮影)

彼はさらにこんな話もしてくれました。街に出ることも時々あるけれど、この砂漠が一番好きだと。海外にもいつか行ってはみたいが、訪れるだけでいい。住むのはここがいいと。

さらに「ガイドの仕事は好き?」と聞いたら、「すごく好き。いろんな国の人に会えるし、いろんな言葉を覚えられるから」と自信たっぷりに答えてくれました。自分の故郷にも暮らしにも生き方にも自信とプライドが溢れていて、私の方が「今の自分に自信を持てているかしら?」と考えさせられたほどです。さらに彼は目も耳も方向感覚も私の何十倍も優れていて、本当の意味での「生きる力」を持っていると感じました。

「世界には学校に行けない子どもたちがいる」という事実自体は知っていましたが、それまではどこか「かわいそう」な存在として、私の頭の中にインプットされていました。彼との会話はそれがとても偏った見方だったことに気づかせてくれました。

あの時の感覚を違う角度から見せてくれた映画があります。
『北の果ての小さな村で』です。

グリーンランド東部にある人口80人の小さい村の小学校に、デンマークから新米教師のアンダースが赴任します。グリーンランドは200年以上、デンマークの植民地統治下にあった場所で、今ではさまざまな自治権を持っているものの、現在もデンマークの「いち地方」です。デンマークの方が進学や就労にあたって選択肢が多いこともあり、アンダースの任務は村の子どもたちにデンマーク語を教えることでした。

© 2018 Geko Films and France 3 Cinema

ところがある日から突然、クラスの1人の少年が何の連絡もなく1週間欠席します。アンダースが家を訪問して理由を聞くと、祖父と犬ぞりで狩りの旅に出ていたというのです。アンダースは学校での勉強の大切さを訴えますが、祖母から返ってきた答えは「孫の夢は猟師になること。デンマーク流に教育しないで。人生に必要なことはすべて祖父が教える」。

本作は実在のグリーンランドの村が舞台で、そこに赴任した実在のデンマーク人の新米教師がアンダースを演じ、他の出演者も実際の村人たちであるなど、ドキュメンタリータッチで描かれた劇映画です。犬ぞりで旅するシーンや伝統食を作るシーンなど、昔ながらの英知が詰まった暮らしぶりも映し出されています。

そうした暮らしは資本主義的な基準でいえば「未発展の遅れたもの」と言われるかもしれません。でも、そこにこそ、どんな自然環境でも生き抜く「生きる力」を学ぶ機会があるのではないでしょうか。その学びは果たして「質の高い教育」に劣るものでしょうか。

逆に私たちは、そうした自然に即した暮らしの英知を旧時代的なものとしてないがしろにしてきた結果、自然との距離が遠ざかり、精神的なストレスが増えたり、地球を破壊するような社会を招いてしまったのではないでしょうか。

© 2018 Geko Films and France 3 Cinema

こうした視点を学術的につづっているのが書籍『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ著、山と渓谷社)です。自給自足が成り立っていたインド北部の高山地方・ラダックで、「開発」と「近代化・西洋化」が数々の問題をもたらしたことについて訴えている一冊です。近代的あるいは西洋的な教育が入ってくることについても次のように書いています。

子どもたちが習うものは、特定の自然環境や文化からかけ離れた一般的な知識であるため、身近な場面や状況から断ち切られたものになっている。(中略)西洋の教育システムは、世界中の人びとに地域の環境を無視し、同じ資源を使うことを教えることによって人類全体を貧しくしている。

近代的な教育は、それぞれの地域にある資源を無視することを教えるばかりでなく、さらにラダックの子どもたちに自分自身や自分たちの文化が劣ったものだと思わせてしまう。

もちろん、読み書きの力をはじめ基礎的な教育が重要であることや、子どもたち自身が学校へ行くことを望んでいることも、さまざまな映画や書籍で発信されています。例えば映画『風をつかまえた少年』は、貧困ゆえに学校には通えなかったものの、図書館で出会った一冊の本から独学で風力発電のできる風車をつくり、大干ばつから村を救ったアフリカ南東部・マラウイ共和国の少年の実話を描いています。彼のように教育があることによって「身を救う」ことができたり、新しい未来を切り開くことができる可能性も大いにあると思います。

ただ、教育を「外」から届ける時、その土地の人たちの声を聞き、文化や価値観を知り、「その土地の人にとって質の高い教育」を考えることも重要ではないでしょうか。

「教育の国際デー」を機に、ご紹介した映画や本とともに教育について立ち止まって考える時間を過ごしませんか?

アーヤ 藍(あーや・あい)

1990年生。慶応義塾大学総合政策学部卒業。在学中、農業、討論型世論調査、アラブイスラーム圏の地域研究など、計5つのゼミに所属しながら学ぶ。在学中に訪れたシリアが帰国直後に内戦状態になったことをきっかけに、社会問題をテーマにした映画の配給宣伝を手がけるユナイテッドピープル会社に入社。約3年間、環境問題や人権問題など、社会的イシューをテーマとした映画の配給・宣伝に携わる。同社取締役副社長も務める。2018年より独立し、社会問題に関わる映画イベントの企画運営や記事執筆等で活動中。2020年より大丸有SDGs映画祭アンバサダーも務める。

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