能登半島地震は22日で発生から3週間が過ぎた。高校3年間を沖縄の珊瑚舎(さんごしゃ)スコーレで学び、著書「菜の花の沖縄日記」などで知られる坂本菜(な)の花(はな)さん(24)は石川県珠洲市在住。家族で営む「湯宿さか本」で被災した。電気やWi-Fiが復旧するまでに2週間以上。「毎年大きな地震が来ているが、まさかこれほどとは」と実感を込める。22日に沖縄タイムスの取材にオンラインで応じた。(社会部・吉田伸)
年末年始は毎年、宿の常連客と過ごす。今年も東京や金沢から20人近くが訪れ、正月を楽しんでいた。
父が能登空港に着く知人を迎えに出た後、夕食の準備をしようと厨房(ちゅうぼう)に入った坂本さんを地震が襲った。揺れが収まり、屋外に出ると、津波が来るとの放送が流れる。スリッパのまま裏の山に駆け出し、雪が積もる未舗装の道を登った。
高台にある消防署に逃げると、車いす利用者の父から「助けて」と電話が入った。前を走っていた車が土砂崩れに巻き込まれたという。父の車は迂回(うかい)を繰り返して家の近くまで来たが、橋桁が50センチほどずれて戻れなくなっていた。
坂本さんは暗がりの中、父が指示する場所へ。路面が盛り上がって割れ、樹木も倒れている。かろうじて通れる空間を見つけて進み、再会した父をおぶって連れ出した。
その晩は車中泊で、ほとんど眠れなかった。飲料水にヘッドライト、ソーラーパネルで充電できる蓄電池-。備えておいた方が良かったリストを常連客と話し合った。「東日本大震災は人ごとだったんだなあ」と自身に問いただした。
客たちは4日までに珠洲を離れた。宿では5日以降も、避難疲れした高齢者や、ボランティアで来る人を受け入れている。
2週間の停電期間は蓄えておいた冷凍庫の食材を少しずつ使った。時間限定で開店するスーパーに、野菜や肉、魚はまだ並ばない。
宿は集落から離れ、もともと水道は通っていない。井戸水を利用しているが、配管が壊れて家の中で水が出なくなっている。修理のめども立っていない。
被災後、珊瑚舎スコーレはじめ沖縄の友人知人から届く電話やメッセージに励まされていると感謝する。能登町で1人暮らしの80代の祖父宅は水道が復旧した。「ちょっとずつだけれど、戻ってきている」と希望をつなぐ。
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