【インタビュー】日本と対戦するインドネシアを熟知するフィリピン代表DF佐藤大介がインドネシア代表、アジア杯を語り尽くす!

アジア最強のナショナルチームを決める大会AFCアジアカップ2023が12日に開幕した。5度目の同大会制覇を狙う日本代表は24日午後8時30分にインドネシア代表とのグループリーグ(GL)第3戦を迎える。

第3試合を前に、フィリピン代表DF佐藤大介にQolyが独占インタビューを敢行。インドネシアのサッカー事情、自身が経験したアジア杯、過去2度対戦したインドネシア代表について熱く語った。

インドネシアで活躍する男が語る

日本人の父、フィリピン人の母を持つ佐藤は浦和レッズユースを経て、仙台大学に進学。19歳で母の母国フィリピンへ渡ってプロデビューを果たした。2014年からフィリピン代表に招集され、これまで不動の左サイドバックとして活躍。2022年からインドネシア1部プルシブ・バンドンでプレーしている。

2019年に開催されたアジア杯にはフィリピン代表のメンバーに選出され、韓国、中国、キルギスと対戦した。

結果は3戦全敗となったものの、アジアの祭典に同代表を初出場へと導いた佐藤にとってかけがえのない時間となった。前回大会と日本代表との意外なエピソードを語った。

――2019年アジア杯にフィリピン代表として出場されました。初出場ということで歴史的な瞬間となりましたね。

自分たち代表とって目標にしていたことがやっと叶ったというか。アジアカップに出ているチームと対等にやり合うことが自分たちの目的でした。韓国だとプレミアリーグなどで活躍している選手とやれることが自分にとってすごく価値のある財産というか。自分の中では日本と同じ組になることが1番でしたけど、相手は韓国と中国になりました。それでも本当に夢のような時間でした。

――韓国との試合は接戦(0-1)で佐藤選手も活躍されました。あの試合を振り返っていかがでしたか。

あのときは身体的に満身創痍(まんしんそうい)で、アキレス腱に慢性的なケガをずっと抱えていました。それでも夢の舞台だから「どうしても出たい」という気持ちがあった。注射を毎日打ちながらやっていました。

韓国とやったときは通用する部分がすごくあった。「やられていない」と自分の中では実感できましたし、個人だけで見たらやれるところがすごくあった。「こういう舞台にもっと立ちたい」と思いましたね。いまウルヴァーハンプトンにいるファン・ヒチャンとガッツリやり合いました。

ファン・ヒチャン(中)とマッチアップした佐藤(左)

自分はいままで上を目指してきましたから、どこまでできるのかと自分の中でありました。実際やってみて通用する部分が結構あったので、本当に楽しかったですね。すごい場所でやっている選手と対等にやり合えたシーンもあったから、自分もまだ捨てたもんじゃないと思いましたね。

――佐藤選手も当時はルーマニアでバリバリやっていましたしね。

本当はもっと上でやりたかったというのはあるんですけど、運とかもありますからね。ただ、あの(韓国との)試合は自分が通用すると強く思いました。チームとしては負けましたけど、個人としては「負けていない」と自分の中で思っている。ああいう舞台に立たなきゃそれを感じることができなかった。いい経験でした。

――フィリピン代表の宿泊先が日本代表と同じでした。選手たちとも交流があったそうですね。

(浦和ユースの先輩の原口)元気くんは「おお、久しぶりだね」って言ってくれましたね。何人かのユニフォームが欲しかったんですけど、元気くんが助けてくれて何枚か貰えました(笑)。槙野くんは(浦和ユース出身の)僕のことを覚えてくれていました。もうすごく夢のような時間だった。普通にサッカーの話をしましたね。

本当に大した話はした感じではないですけど、改めて子供に戻った感覚でしたね。それと同じで自分が辿ってきた道を誇りに思うじゃないですけど、「やっとここまで来られた」というか。あの時間は最高でしたね。

ホテルでは長友佑都(左)とも交流

サポーターの狂騒とサッカー事情

佐藤は2022年からインドネシアの強豪プルシブでプレーしている。同国は東南アジアで最もサッカーが熱い地域といわれており、その熱さは狂騒と言えるほど。2022年10月のリーグ戦後に観客らがピッチに乱入し、130人以上が将棋倒しになるなどして死亡する悲惨な事件が発生した。佐藤は身をもってサッカーの狂気を体感している。

――ここからはインドネシアの話をうかがいます。まずはプルシブに移籍した経緯を教えてください

タイのラーチャブリーでプレーしたあとに、プルシブからオファーが来ました。タイに残る選択肢もありましたが、タイで3年やって自分の中で新しいことにチャレンジしたい時期でしたね。プルシブがビッグクラブだと分かっていましたし、ファン・サポーターが熱い。選手にとってプレッシャーが大きい中でプレーすることにすごく魅力を感じました。

サッカーがどれだけ上手くても、サッカー選手はプレッシャーの中でいかにやれるかが自分の中の美学にあった。その中でやりたいとすごく思ったので、行くことに決めました。

――これまでタイ、ルーマニア、デンマークとプレーされてきましたけど、インドネシアはいかがですか。

インドネシア1部リーグはサポーターが熱い分、いろいろ大変なことが多いですね。サッカー熱は他の国と比べ物にならないぐらい。特にプルシブはすごい数のファン・サポーターがいます。この中でできることはサッカー選手として1番幸せなことというか、他のヨーロッパの国に行ってもビッグチームやチャンピオンズリーグに出ているチーム、もしくはプレミアリーグなら経験できるかもしれないですけど、なかなか経験できることではないと思っています。ここで経験できたことは自分の中で1番の財産で、本当にいい経験ですね。

――東南アジアでもインドネシアはサッカー熱が激しいと聞きます。

東南アジアでは群を抜いて1番だと思いますね。悪い面もあったりします。僕たちもビッグマッチになると装甲車で試合に行きます。装甲車で行かないとバスが相手チームのサポーターにぶち壊されちゃう。

――危険すぎますね…。

(装甲車の中は)エアコンが付いていなくて、試合前は汗だくになりながら(笑)。本当にそれくらい危ないです。何試合か勝てないとサポーターが怒っちゃって、ピッチになだれ込んできます。

昨シーズンはそれがあってリーグが中断しました。130人ぐらい亡くなっちゃったんですよね。安全面でいったらあまりいいリーグではないと思うんですけど、サッカー選手としては1度経験してみたいことをインドネシアリーグで経験できる。そこは本当に最高ですね。

――インドネシアのサッカーはレベルが高いですか。

正直タイのほうがレベルは高いですね。個人の技術や戦術理解力はタイが高いと思います。でもどっちが難しいかと聞かれたらインドネシアが難しいと思います。レベルの話ではなく、どちらがリーグとして難しいかといわれたら間違いなく僕はインドネシアリーグが難しいと思いますね。

サポーターからのプレッシャーや、インドネシアリーグはフィジカルというか、スピードが速いですね。タイは状況によって落ち着いてやる場面でコントロールしながらしますけど、インドネシアはサッカーがすごく速いです。

――ゲームスピードが早いということですか。

ゲームスピードが早いですね。最初からバーっといっちゃう。最初からすごいスピードで繰り返してきます。インドネシアは野性味があふれていますね。

――インドネシア人の選手のメンタリティーを教えてください。

メンタル面で言ったらそんなに強くはないですね。でも別の角度から見ればメンタル面が逆に強くなかったら、多分インドネシアではやれないと思います。サポーターからのプレッシャーはすごく大きいので。

僕たちプルシブが勝った週は国のヒーローのように扱われますけど、負けたときは犯罪者なんじゃないかと思っちゃうぐらい罵倒されます。どこを読んでもそんな記事ばかりです。

――サッカー熱が高すぎると大変ですね。

そうですね。僕の解釈としてはインドネシアサッカーが発展するにはファン・サポーターたちにサッカーをもっと知ってもらわなきゃいけない。素人みたいな意見がすごく多いんですよね。だからインドネシア代表もすごく大変だと思います。代表活動中はみんなインスタグラム(Instagram)をオフにしています。そうしないとメンタルがもたない(苦笑)。

2022年10月に発生した暴動の様子

――インドネシアでの印象深いエピソードを教えてください。

僕たちは昨シーズン優勝争いをしていましたけど、シーズン開幕はすごく大変で、勝てない時期が続いてなかなか勝てなかった。サポーターたちはもちろん怒ってオフィスの前に700人くらい集まって、警察もオフィスの前で防ぐために300人ぐらい集まりました。

それでサポーターは「監督を代えろ!」、「監督を出せ!」、「アウト!アウト!アウト!」とね…。本当にそれを見たときはびっくりしましたね。そのときは練習場にもサポーターたちが選手を罵倒しに来るんですよ。練習中にずっとゴールキーパーに野次を飛ばしているサポーターが一人いました。僕たちのゴールキーパーに海軍の選手が一人いて、その選手はいつも物静かなんですけど、怒らせたらもう本当にヤバい人です(苦笑)。彼がブチ切れちゃって練習場のフェンスを飛び越えて、そのサポーターの首を壁に押しつけていましたね(苦笑)。

激しいエピソードばかりですね。昨シーズン最終節はなにもかかってない最終節だったんですけど、結果的には1-4で負けました。サポーターたちが怒ってピッチになだれ込みました。そのときは試合途中の85分でしたけど、審判も試合を終わりにしました。僕たち選手たちはロッカールームに駆け込むと、サポーターの何人かがロッカールームまで入ってきました。そこでキャプテンも怒って、「入ってきたやつ全部ぶっ飛ばしに行くぞ!」とすごい揉み合いになった。僕たちからしたら「セキュリティーはどこにいんだ?」って話になるじゃないですか。そういうエピソードが多いですね。

――アジア杯でトラブルがないことを願いたいです。

インドネシア開催じゃないので(笑)。国際大会はセキュリティーがしっかりしているので大丈夫だと思います。

過去2度対戦したインドネシアを語る

近年欧米にルーツを持つインドネシア人選手を補強するなど強化を進めるインドネシア代表は、アジア杯GL第1戦はイラク代表に1-3で敗れるも、得点を奪って一矢報いた。第2戦ではベトナム代表に1-0で勝利を収めるなど1勝1敗と強さを見せている。過去2度対戦した佐藤にインドネシアの印象を聞いた。

――インドネシアと2度対戦していますが、インドネシア代表の特徴を教えてください。

サイドに特徴があります。サイドには速い選手がいて、インドネシアは身体能力の高い選手がサイドに多い。今回もイラク戦でアシストした双子の選手がいるんですけど、右サイドからアシストした選手はすごく速い選手です。

あとはパワープレーに特徴があるんじゃないですかね。センターバックに196センチの選手がいて、東京ヴェルディから韓国の水原FCに移籍したアルハンがロングスローを投げられる。アルゼンチン代表との試合を見たときもロングスローからのヘディングで脅威を作れるチームです。チームとして崩してではなく、サイドやセットプレーでチャンスを作り出せるチームという印象がありますね。

――佐藤選手は左サイドバックですけど、サイドの選手と対峙したときは大変そうですね。

最初は大変でしたね。インドネシアリーグはゲームスピードが早いからいい意味でも悪い意味でも「なにも考えずにプレーしている」イメージが自分の中にあった。例えば自分がオーバーラップしたときは、(その)空いたところを誰かが埋めてくれるわけでもなく、それでカウンターを食らったりと。(逆に)自分たちのカウンターも早かったので、最初の2、3カ月は慣れることに苦労しましたね。

タイはしっかりゲームを組み立ててコントロールして、行くときには行く感じです。インドネシアはそこのゲームスピードがすごく早かった。あと特にどのチームにもサイドバック、ウィングバック、サイド、ウィンガーと、すごく小柄で速い選手が多かった。そこに自分も少しアジャストしなきゃいけない時期がありましたね。

――昨年11月にインドネシア代表と対戦して1-1で引き分けました。

試合内容だけ見ても僕たちが勝たなきゃいけない試合でした。ホームで決められるチャンスを多く作ったのは間違いなく僕らでした。最終的には1-1の結果で終わりましたけど、結果以上に勝てた試合というか、自分たちにとっては引き分けたことが痛かった。僕たちにとってやりたいことができたすごくいい試合でしたね。

――相手としてはそこまで強い印象はありませんでしたか。

そうですね。ここ何カ月間インドネシア代表はあまり結果が出てなかった。僕もインドネシアリーグでプレーしているので、どういう状況かは伝わってくるんですよね。だから代表としてすごくプレッシャーがかかっている時期なんですよね。

ジョルディ・アマト

――インドネシアも欧米にルーツのある選手を集めています。東南アジアだとこの路線はフィリピンが先駆者ですけど、他の国も他国にルーツがあるジョルディ・アマトなど選手を集め始めていますね。

インドネシア協会はいますごく力を入れていて、ルーツのある選手はほぼ全員に目を付けて声をかけてどんどん入れています。

いまアジアカップに入っている選手だけじゃなく、10、20人と声をかけて、パスポート申請もしています。協会として2030年のワールドカップ出場を本気で目指している。それがどう転ぶか分からないですけど、時間とお金をかけているイメージがありますね。

注目の若手と東南アジアサッカーの発展

――佐藤選手が注目するインドネシア代表選手はいますか。

僕から言わせてもらえば、やっぱり右ウィングバックですね。ヤコブ・サユリが無尽蔵のスタミナを持っていて、ずっと走っていられるような選手なんですよね。リーグ戦を見ても本当に無尽蔵。この前の(イラク戦で)得点を決めた形も彼が右サイドを崩してからでした。本当に速いんですよね。カウンターでもしなにかあったら、彼はやるんじゃないかなと思います。あとはベルギー(2部デインズ)でプレーしている(イラク戦で)得点を決めたマルセリーノ(・フェルディナン)選手は結構技術が高くてテクニックがある選手です。彼も少し違いを生み出せる選手ですね。

マルセリーノ・フェルディナン(右)

――マルセリーノ選手は純粋な国内出身の選手ですね。彼のような存在が増えればインドネシアサッカーの将来も明るそうですね。

ただインドネシアサッカーはいろんなしがらみや政治的な問題がありますから、難しさがあります。僕が最初にインドネシアに来たときは「すげえな。これからすごい勢いで発展するんじゃないかな」と思いました。でも(いまは)思っていたよりちょっと難しいんじゃないかと思っています。

彼(マルセリーノ)はまだ19歳ですしね。この前もイラク戦で(ゴールを)決めましたし、ベルギーでやっています。若くていい選手はインドネシアに多いです。でもどう違いを生むかは、メンタリティーだと思うんですよね。こういう選手が海外に出てそういうメンタリティーを学ぶ。それができることが海外に出る1番大きなメリットだと僕は思うんですよ。

そういう選手がもっと増えればいいと思います。僕が1番思うことは海外に出る選手は多いけど、自国のファンたちが彼らのチャンスを潰していると思うんですよね。

例えばアルハンがヴェルディに行って、試合に出ていないとヴェルディの(SNSの)ページにファンが「出せ!」、「なんで出さないんだよ!」、「出られないなら他のところへ行け」と荒らされて、選手本人も攻撃されちゃいます。そういうところにチャレンジして、人として大きくなって、毎日そういう環境で練習できることが、インドネシアリーグでやるよりすごくいい経験だと僕は思っています。でもそういうことを分かっていないファンたちが多いので、そういう選手たちが潰れてしまう。外から見ている人間としては残念ですね。

――おっしゃる通りです。ルーマニア、デンマークなどでプレーしたからこそ見える視点ですね。

人として成長できることがサッカー選手として成長できることに繋がる。それをすごく感じましたね。海外に出て、一人のサッカー選手としてではなく、一人の人としてすごく成長できたことが自分にとって1番価値のある経験でしたね。

――東南アジアはルーツのある選手の補強だけでなく国内の育成や環境の改善も含めて発展が必要そうですね。

そうですね。最終的な解決方法はその国のアカデミーから底上げをしなきゃいけないと思っています。そこがフィリピンにとって1番のチャレンジです。2030年ワールドカップを目指すことを考えたときにこういう解決方法はアリだと思いますけど、長い目で見たときに国内サッカーの発展がしっかりしないといけないと思います。

だから僕も近い将来は育成のほうにも力を入れながらやっていきたいと思っています。そういう形でフィリピンサッカーを盛り上げる、助けられたらと。自分はすごくフィリピンに感謝している。フィリピンがなければいまの自分は間違いなくいない。それはな何回もどの場所でも言っていることですし、そこに還元できるようなことができればと思って動いている感じですね。いまの僕の夢は、サッカーを通してフィリピンと日本を繋げるじゃないですけど、自分はやっていきたいと思っています。

――佐藤選手が思う日本のキーマンになりそうな選手を教えてください。

今大会の初戦(ベトナム戦)は南野選手がすごく乗っていたので、このまま上がっていくんじゃないかと思います。僕と同じ94年世代なので、個人的にすごく頑張ってほしい選手です。

このまま勢いよく次の試合も決めちゃったりするんじゃないかなと(イラク戦前に取材)。リヴァプールで出られない時期が続いて、そこから苦しい時間もあったと思います。いまようやく努力が実ってきたじゃないですけど、こういう結果として出てていることがすごく嬉しいですね。

――浦和ユース時代に南野選手と対戦しましたけど、当時の印象を教えてください。

そのときはすごくクールに見えたんですけど、いざ戦ってみると内に秘めているものがすごく感じられた選手ですね。多分めちゃくちゃ熱い選手でしたね。

――アジア杯の難しさを教えてください。

難しさは特にないです。ただ純粋に僕たちにとって強い相手が同じグループにいることはありますけどね。ただアジアのトップチームが集まる、代表のトップが集まる大会です。僕たちフィリピン代表にとってまだまだ足りないところ、距離が他のトップの代表と比べてまだ遠いところがありますね。

――最後にフィリピンの話題を聞かせてください。フィリピン代表には2021年から新たに日本生まれ日本育ちのタビナス・ジェファーソン選手が加わりましたね。

彼も英語はすごく喋れるから、選手たちとすぐ溶け込めました。しかもキャラクターもすごく面白い選手なんで、愛される選手なんですよね。だから自分にとってはすごくいい存在が代表に来てくれたと思っています。この前のインドネシア戦も彼が(左の)センターバック、僕が左サイドバックでプレーしました。日本人の感覚を持ってるので、すごくやりやすいです。

――今月タイ1部ブリーラムへの加入が正式に決まりましたね。

水戸からすごい出世したという形になりますよね。いくらか分からないですけど、水戸にも移籍金を残しました。ブリーラムはアジアチャンピオンズリーグに出られるチームですし、タイでは敵はいないんじゃないかってくらいのビッグクラブなので、彼にとってはすごく良い経験になる。ずっと東南アジアに行くことについてここ2、3年くらい相談されてたんです。彼も覚悟が決まったじゃないですけど、彼がこういう決断をして僕は嬉しいです。

――フィリピン代表選手としての今後の意気込みを教えてください。

フィリピン協会の会長が代わって、これから新しい人たちと新しい形でやっていくんですよね。ちょっと聞いた話によると、これからすごくいい方向にいきそうです。そこがすごく楽しみですね。

またいろんなやり方も変わると思うし、もっと力を入れて、代表がアジアカップやワールドカップをこれから目指せるぐらい力を入れると言っていました。ここからがすごく楽しみですね。自分の中では次のアジアカップにはなにがなんでも行きたいです。

――次のアジアカップは2027年開催ですから、佐藤選手は32歳で迎えますね。

たぶんまだやれますね。僕は19歳で代表デビューしてから、ここまでまだ生き延びていますからね。僕のポジションにいろんな選手がこれまで入りましたけど、なんだかんだで勝ち残ってきましたからまだまだやれると思います。

インドネシアとの通算対戦成績は8勝2分5敗と勝ち越しているが、前回対戦は1989年11月までさかのぼる。

【インタビュー】元ベトナム代表監督三浦俊也さんが語るアジア杯日本代表vsベトナム代表

この未知の相手を佐藤が分かりやすくベールをはがしてくれた。勢いに乗る東南アジアの強敵を破って決勝トーナメントに乗り込んでほしい。

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