鮎川義介物語⑮「株主わずか5万人」批判に反論

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・日産、満洲の多くの企業を合体し巨大企業となる。

・鮎川、日産の株主数の批判に対し、財閥批判を展開。

・「三井、三菱、住友などの財閥はファミリーだ。日産の株主は毎日変わっている」と主張。

鮎川義介率いる日産の満州進出が正式に承認されたのは、昭和12年11月20日の臨時株主総会です。

その総会での鮎川の言葉は極めてユニークです。「日産はデパートのようなものだ」とし、株主はお客でもあるといいます。デパートの社長がお客の顔を知らないように、鮎川自身も株主の顔を知らず、総会のたびに違った人が来るというのです。デパートのお客も商品を触って手垢をつけて、買わずに帰る人もいるが、日産の株主でも、すぐに売却して、悪口を言って逃げてしまう人もいるといいます。

鮎川は「しかし」と強調します。「買い入れしやすく自由なのがいい点なのだ。ほかの会社では、株主は安く買って高値で売ると、後で会社からにらまれるかもしれないと懸念して、あまり売買しない。日産は来やすいのでたくさんの人が売買する。私は要するに、信用してもらって多くの人が株を買ってくれればいいのだ。愛嬌やお世辞で株を売るのではなく、経営実態を改善して株を売るのだ。それが私の手法だ」。

日産だけで15万人の従業員を抱えていますが、今回の合併で、満洲の多くの企業を合体させた巨大企業となったのです。鉱業、自動車、化学、水産、電波など幅広い業種を抱えた鮎川は企業規模を一気に2倍にし、絶大なる権限を握ったのです。

鮎川は一世を風靡しましたが、一方で鮎川の急激な躍進については、否定的な意見も出始めました。

「資金繰りは大丈夫なのか」

「日産は大変得をしたように見えるが、日産の資源開発はいろいろ困難を伴っており、楽観はできない」

「金融資本を持っていない日産は、今後、満州開発でどのような手を打ってくるのだろうか」

「日産に先を越された旧財閥は報復的な意味で、どのような手を打ってくるのだろうか。」

とりわけ批判の的となったのは、株主の数です。日産が5万5000の株主をもっていかに大衆会社といっても、日本の人口は8000万人。5万5000人というのはあまりに小さい。そのため、日産が大衆会社というのは、当たっていないという指摘もありましたが、鮎川は公然と反論しました。

「8000万人を代表せよというなら、ソビエト連邦になるしかない。しかし、今はその道を選んでいない。為政者がやるとすれば、革命を起こさなければ」。

そしてこう強調しました。

「僕は実行する人間であって、理想家ではない。このままでは満州五カ年計画は画餅に帰する」

さらに、鮎川は財閥批判を展開しました。

「三菱という会社は、個人のものと同等だし、三井は11家あるが、これも個人資本の塊だ。三菱は70年、三井は300年かかって、財産ができた。子会社の銀行とか鉱山会社には、他人の資本が入っているが、親会社には、少しも入っていない。三菱合資会社は大衆に株式を公開していない。鉱山会社については公開しているが、僕らのように親会社の株主が何万人いるというわけではない。三井、三菱、住友、大倉などの財閥は、いわばファミリーだ。日産も財閥かもしれないが、5万5000人が450万株を持っている。この株を公開しているので、株主は毎日変わっている。僕が預かっている資産は、外形上は一定の額を保っているが、細胞は新陳代謝しているのだ」。

これが庶民にとっては好意的に受け止められました。

(⑯につづく。

トップ写真:日産車に乗り込む秩父宮雍仁親王(1934年12月30日 日本・横浜)出典:photo by Bettmann

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