【ドジャースの軌跡】20年ぶりのリーグ優勝決定シリーズ進出に貢献したベテラン右腕

広島東洋で11年、最多勝1回、最優秀防御率1回の実績を引っ提げ、33歳でメジャーデビューを果たした黒田博樹。1年目から4年ぶりの地区優勝に貢献すると、地区シリーズでも好投し、チームを20年ぶりのリーグ優勝決定シリーズ進出に導いた。

広島東洋で103勝を挙げ、33歳となった2008年に海を渡った黒田博樹。この年、同じくメジャーデビューしたのは、のちにサイ・ヤング賞を3回受賞するクレイトン・カーショウだった。カーショウとはほぼ毎日キャッチボールをしていたことを黒田自身が著書のなかでつづっており、グラウンド外でも食事をともにしたり、プレゼントを贈り合う仲だった。

黒田のメジャー1年目は31試合に先発し、2完封を含む9勝(10敗)をマーク。ちなみにカーショウは5勝(5敗)だった。その年、チームは4年ぶりに地区優勝し、ポストシーズン(PS)で黒田は2試合に登板。カブスとの地区シリーズでは2勝で王手をかけた第3戦に先発して6回1/3を投げ、被安打6、無失点、4奪三振で勝利投手となり、1988年のワールドチャンピオン以来進出できていなかったリーグ優勝決定シリーズ(LCS)に駒を進めた。

翌2009年は、野茂英雄、松坂大輔に次いで日本人史上3人目となる開幕投手を務め、白星を挙げたが、直後に左脇腹を痛めて故障者リスト入り。8月には打球を頭部に受けて2度目の故障者リストに入るなど、8勝(7敗)に終わったが、この年もチームは地区優勝を果たし、2年連続でLCSまで進んだ。

2012年にヤンキースへ移籍したあとも安定して活躍し、5年連続で2ケタ勝利をマーク。投球回は200イニング前後と安定したピッチングを披露した。ドジャースの4年間で41勝を挙げ、防御率は3.45、523個の三振を奪った。その後ヤンキースで3年プレーすると、FAを選び、ドジャースからもオファーが提示されたと報じられたが、黒田が選んだのは広島東洋。まさに「男気」の古巣復帰となった。

広島東洋でも2年連続で2ケタ勝利をマークし、2016年には日本人投手初となる先発勝利数だけで日米200勝を達成した。日米で7年連続の2ケタ勝利を挙げ、投手陣の柱として活躍した2016年シーズンだったが、黒田はシーズン終了後にユニフォームを脱ぐことを表明した。黒田にとっての現役最終登板は北海道日本ハムとの日本シリーズ第3戦、先発投手として5回2/3を投げて1失点という、最後まで黒田らしい好投を見せた。ちなみに、最後の打者となったのは大谷翔平だった。

そして2024年1月、黒田は日本野球の殿堂入りを果たした。するとドジャースはSNSで殿堂入りを祝福。ドジャースでの功績を紹介するとともに「黒田はクラブハウス内の誰にとっても尊敬の的だった」と讃えた。

Congratulations Hiroki Kuroda on your induction into the Japanese Baseball Hall of Fame! pic.twitter.com/el9a0i0UHj

— Los Angeles Dodgers (@Dodgers) January 18, 2024

日本野球の殿堂入りは、2014年の野茂に続いて、ドジャースに在籍した投手としては2人目となった。今シーズン、ドジャー・ブルーのユニフォームを着る大谷と山本由伸は日本での実績を踏まえれば、将来的に殿堂入りする可能性は高い。しかもそれは日本だけでなく、アメリカ野球の殿堂入りの可能性も十分にあるだろう。

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