輪島の味、絶やさない 全壊しょうゆ蔵再開前向き

全壊し、木おけに屋根がのしかかったしょうゆ蔵=25日午後0時10分、輪島市釜屋谷町

 野ざらしの木おけから漂う、かぐわしいもろみの香りに切なさが募った。輪島市で唯一しょうゆを製造する「谷川醸造」(同市釜屋谷町)は地震で醸造蔵が全壊。100年以上市民に愛される甘口じょうゆは、5年前、輪島総局で勤務した自分にとっても思い出の味だ。苦境の中でも4代目の谷川貴昭社長(47)は「輪島の味を絶やしたくない」と早期の醸造再開へ、すでに前を向いていた。(氷見総局・土田雄山)

 「ぷ~んとよい匂いがするでしょ。でも、全部だめだろうね」。25日、しょうゆ蔵を訪ねると、谷川さんの母葉子さん(71)が屋根に押しつぶされた木おけを見詰め、悲しそうにつぶやいた。氷見でも多数の住宅が倒壊したが、何倍も大きな蔵がぺしゃんことなった姿に言葉を失った。

 谷川醸造は1904(明治38)年に酒造業として創業し、しょうゆ製造は18(大正7)年に開始。甘口の「サクラしょうゆ」は市民の味として親しまれ、朝市の鮮魚商もみりん干しなどの加工に愛用する。

 こってりとした甘みの中にうまみがあり、新鮮な刺し身に抜群にあう。飲食店主に「この甘さが輪島の味や」と言われたのも忘れられない。

 2007年の能登半島地震にも耐えた築100年以上の蔵は、今回の地震であっけなくつぶれた。長いもので5年熟成していたもろみは風雨にさらされ、しょうゆの在庫もほとんどが押しつぶされた。

 特に蔵は1番大切な商売道具だった。谷川さんは「酵母や微生物が長年かけて木にすみ着き、それぞれの蔵の味になる。大事なものを失った」と落胆は大きい。

 被災した従業員1人も辞め苦境は続くが、立ち直らせてくれたのは同じく被災した市民からのエールだった。2人のもとには地震後「あの味が忘れられない」「再開したらまた使うよ」と温かい声が届く。「こんなに愛されていると知ったら、辞めたいなんて、絶対言えない」と谷川さんは話す。

 蔵の再建はまだ先になるが、石川県内の同業者に設備を借りて醸造を再開しようとすでに動きだしている。交渉がまとまれば、2~3カ月で出荷が再開できる見込みで「うちの味を早く皆さんに届けたい」と話す谷川さんの言葉には力がみなぎる。再び味わえる日を一ファンとして待ちわびている。

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