「1日でも、少しでも早く出てくれば…」 今も安否不明の弟 土砂崩れで母屋と納屋はばらばらに 能登半島地震

能登半島地震の発生から3週間以上が経過しました。各地で土砂災害が相次ぎ、寒波による大雪にも見舞われました。安否がわからない人の捜索は難航しています。

(牧野恵美記者 1月22日・輪島市)
「輪島市市ノ瀬町です。複数の家屋が土砂に巻き込まれていて、きょうも安否不明者の捜索が続いています」

取材班が現地に入ったのは、1月22日。能登半島地震の影響を大きく受けた輪島市市ノ瀬町です。

複数の家屋が土砂に巻き込まれ、1人の男性の安否が分からなくなっていました。男性は56歳。一人暮らしだったそうです。

家は100m以上土砂に流され、近くにあった母屋と納屋がばらばらに。この日の捜索活動は愛知県から応援に入った消防隊員など約85人で行っていました。

現場のすぐ近くに濁流。今回の揺れで近くの川も流れが変わってしまいました。

また、近くの別の土砂崩れ現場では、安否不明となっていた64歳の夫婦が寄り添うように崩れた木造住宅の下から見つかったということです。1月21日から22日にかけてのことでした。

消防によりますと、夫婦は長時間建物や土砂に圧迫されていた影響で、全身に紫の斑点が確認されたということです。

(緊急消防隊 大阪府・田中智也大隊長)
「土砂の下敷きという状況。体も泥だらけになっているような状況で、救出された。亡くなっていたので悔しい気持ちでいっぱいですが、ご家族の方にお礼も言っていただいた。少しだけでもお役に立てたと思う」

そして、冒頭の土砂崩れ現場には、かけつけた一人の男性の姿が。
金沢市の会社員・垣地弘明さん58歳です。

安否がわからなくなっていたのは、実家に暮らす56歳の弟・英次さんです。

(弟の安否がわからない 垣地弘明さん58歳)
「2つ違いの2人兄弟で、双子くらいの感じで接していた。(弟は)母親の面倒やこの町のお年寄りの面倒をよく見ていた」

兄の弘明さんは、本格的な捜索が始まった1月11日からは毎日朝・昼・晩と様子を見にきています。

「1日でも、少しでも早く出てこれば…」捜索は難航

(垣地さん)
「捜索範囲を絞りたいということで、朝は消防や警察の方と情報交換している」

地震発生後には輪島市内の避難所で生活しながら、弟の捜索活動を現場で見守り、実家の間取りなどの情報を捜索隊に提供していました。

(垣地さん)
「今は2階部分が見えているが、あれが自宅。1階部分は一緒に流れていない可能性があり、捜索はかなり難航している」

24日。今シーズン一番の寒気が列島に流れ込み、大雪となりました。

雪国ではない愛知からの応援。隊員たちの体力も奪っていく大雪。その雪がこれまで捜索した場所をわかりにくくします。

この輪島市市ノ瀬町のハザードマップを確認すると、土砂災害の警戒区域になっています。もともと大雨の影響で土砂災害が起きる事が想定されていた場所。

大きく揺れた今回の地震によって能登の各地では土砂が崩落し、建物を壊し人命を奪いました。捜索は難航を極めています。

(垣地さん)
「(発生から)3週間ですが、ドロドロの土の中を探していただいて、感謝している。あとは1日でも早く、少しでも早く(弟の)体が出てくればと思う」

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