通訳が明かすイニエスタ秘話 喜怒哀楽5年 神戸の街になじんだスーパースター

元スペイン代表のイニエスタ(右)やビジャ(左)の通訳を務めたサンティさん=2019年2月、沖縄県名護市

 「サンティさん」の愛称でサポーターから親しまれ、J1ヴィッセル神戸で元スペイン代表アンドレス・イニエスタらの通訳を担当したサンティ・フェランさん(33)がチームを離れることになった。2018年のイニエスタの入団時からそばで接し、試合や練習に限らず、ピッチ外の日常生活もサポート。専属通訳としてスーパースターと過ごした5年間を振り返った。(尾藤央一、有島弘記)

 スペイン人の両親のもと、広島で生まれた。神戸大大学院進学を機に西宮で暮らし、フリーランスで通訳をしていた時、イニエスタが神戸に移籍するというスペイン紙の報道を耳にした。「世界最高峰の選手がまさか日本に」と胸が躍った。サッカー関係の仕事をしている兄を通じてクラブ関係者に接触すると、クラブはちょうど通訳を探していた。連絡した約1週間後には東京での入団会見に臨んでいた。「あの時に電話してよかった」と振り返る。

 そこからイニエスタと歩む5年間が始まった。六甲アイランドや三宮に住んでいたイニエスタに店を紹介したり、一緒に買い物へ行ったりして初めての日本生活を支えた。「神戸の人たちの優しさもあって、人が集まりすぎて手に負えない状況になることはほとんどなかった」。神戸の街に溶け込んだ世界的司令塔は、何げない日常にも喜びを感じていたという。

 ハーバーランドの商業施設「umie(ウミエ)」のゲームセンターに遊びに行き、レースゲーム「マリオカート」で対戦したことも。母国の古巣バルセロナでは街を歩けないくらいの有名人。「練習後に家族で散歩に出かけ、スターバックスに寄って公園に行ったり、三宮センター街を歩いたり。そういうことを彼は気に入っていた」と証言する。

    ◇

 選手としての喜怒哀楽も近くで見続けた。負けず嫌いのイニエスタが怒る様子は3度ほど目にした。「負けが続いているからとかではなく。いい試合をしても何かが崩れて負けた試合。そういうときに感情が出やすかった」。一方で「天皇杯を取ったときの喜びはすごかった」。2020年元日のクラブ初タイトルを歓喜の場面に挙げる。

 神戸での最後のシーズンとなった昨季は、複雑な表情を垣間見た。「(試合に出て)プレーすることに対しての執着、貪欲さは39歳になっても変わらなかった」とサンティさん。出場機会が減ってくると、クラブ側との様々な話し合いの場が持たれた。「うまく通じ合わない場面にも何度も立たされた。本人も苦しそうでした」。20年に右脚の大けがを負い、手術から復帰を目指してリハビリに取り組んでいた頃の姿とは違って見えたという。

 23年7月、神戸を去るイニエスタからユニホームを贈られた。日本での最終戦となった北海道コンサドーレ札幌戦で着用したもので、メッセージが書き込まれていた。「自分の影以上の存在として、サポートしてくれてありがとう」。宝物になった。

 サンティさんは2月からバルセロナに移り住む。神戸で通訳を始めた時から、イニエスタが在籍している期間だけと心に決めていた。兄が運営するスポーツ関連の会社で、選手の留学や遠征などに携わる。「日本とスペインをつなげるようなことをやりたい」と、新天地でもサッカーに関わっていくつもりだ。

【サンティ・フェラン】両親がスペイン人で11人きょうだいの六男。広島で生まれ、幼少期は新潟で過ごした。広島大学教育学部卒。フリーランス通訳などを経て2018年ヴィッセル神戸の通訳に。スペイン語、英語など4カ国語を話し、イニエスタ、ビジャ、フェルマーレン、マタ、ボージャン、サンペールら外国人選手をサポートした。

© 株式会社神戸新聞社