江原啓之「お葬式とは…」身内の葬儀に冷めた気持ちで参加したという若者に愛の喝!

スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。
今回の放送では、リスナーの皆さまからお寄せいただいた、さまざまな相談メッセージを紹介。江原がアドバイスをお届けしました。

江原啓之

<リスナーからの相談>
先日、祖父のお葬式がありました。91歳の老衰でした。お葬式中の食事会では、孫である私たち家族が来賓の方々にお酒を注ぎに行きました。「気を使わなくていいよ」「ご飯を食べて」と言われるのですが、親はそれでもしつこくお酒を注いだり、席を立って世話をしたりしていました。

来賓の方々からそのような言葉をいただいたので食事をとっていたら、親から「気が利かない」と言われました。私からすれば親の行動はおせっかいに見えますし、家族が久々に集まったのですから、食事を楽しみながら思い出話などをしたほうが、おじいちゃんも喜ぶと思うのです。

火葬場では、スタッフさんが厳かな態度で「これで最後のお別れになります」と言い、骨拾いでは一つひとつみんなが順番に、泣きながら骨を拾っていました。その様子を見て私は「骨はただのカルシウムなのに」とか「最後のお別れじゃないし。魂はずっとあるんだし。早く終わらないかな」と、かなりドライな気持ちで葬式に参加していました。

江原さんの本を読んで、お葬式は故人が亡くなったことを自覚するためのもので、祈りを送ることが大切だと学びました。今後も親族のお葬式があると思いますが、このようなしきたり的な葬式には正直、もう出たくないなと思いました。江原さんのご意見をお聞かせいただきたいです。

<江原からの回答>
江原:相談者さんは31歳とお若い方です。私が本で伝えていることが、このように捉えられてしまうんだなと、少し反省しました。

お葬式中の食事会で来賓や親戚にお酒を注いだり、お世話をしたりするのは、故人の一番身近な人たちが「生前は故人がお世話になりました」という感謝の気持ちを伝えるための行為です。おじいちゃんの懐かしい話とかをするのは、お清めが終わった後です。家族みんなでご飯を食べながら「おじいちゃん、こうだったよね」と話せばいいと思います。

そして、「骨はただのカルシウム」という言葉。その通りなのですが、私はお葬式という儀式は、とても大切だと思っています。骨に魂が宿っているかどうかではありません。お葬式は、「これが人の最期か」というところに視点をもっていく儀式だと思うんです。どんな地位、名誉があったとしても、焼いたら骨になります。それを見て、自分の残りの人生を考える。変なことに執着しないで、楽しんで自分自身のやりたいことをやって、死んでいくのが一番良いなと実感するための儀式です。

奥迫:なるほど。骨を見て、感じるということですね。

江原:若いときは特にですが、生きていれば投げやりになってしまうようなことなど、いろいろありますよね。(それでも、故人の骨を見ると)やはり生きている頃がどれだけ大事かとか、そういうことを感じます。

骨は確かにカルシウムですが、亡くなった人から学ぶ最後のプレゼントのような気がします。亡くなった人も、最期にもご奉仕するんですよね。だからそういった意味では、私はお葬式という儀式はとても大切で大事だと思います。見方によっては確かに「正直もう出たくないな」と思うかもしれませんが、今の視点でもう一度考えていただけたらと思います。

江原啓之、奥迫協子

●江原啓之 今夜の格言 「人は最期まで学び合うのです」

<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00~22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30~12:55
出演者:江原啓之、奥迫協子
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/oto/

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