たった8か月の短命番組!TBS「アップルシティ500」夕方5時の公開生放送が残した爪痕  後のバラエティ番組、情報番組に多大な影響を与えた「アップルシティ500」を覚えているか?

若者向けバラエティ番組の復活のため若手スタッフが召集された「アップルシティ500」

『アップルシティ500』この名前を聞いてうなずけるのは50代以上の方だろうか? 平日月曜から金曜の夕方5時からスタートしていた若者向け公開生放送である。今から40年前、TBSで放送された関東ローカルの番組で、1982年10月から83年5月までのわずか8か月足らずで終わった番組だ。

平日夕方の若者向けと言えば、70年代は『ぎんざNOW!』、80年代中盤はフジテレビの『夕やけニャンニャン』が有名だが、この番組は両番組の橋渡し的役割を果たすことになった。70年代に絶大な人気を誇った『ぎんざNOW!』終了から3年、『ぎんざNOW!』を作った青柳脩プロデューサーの号令のもと、若者向けバラエティ番組の復活のため我々若手スタッフが召集された。

スタッフは全員20代の入社5年以内。入社5年の私と同期2人がプロデューサー、2年目から4年目がディレクター、新入社員がADという布陣。しかも全員他の番組でディレクター、ADをやっていたのでかけ持ちで制作に当たった。

みんな “本籍” の番組があり、その合間にこちらの番組をやっていたので、全員集まる全体会議が始まるのは夜中の12時。自分の番組からは文句を言われ、夜中にしか仕事できない。まさに寝る時間も休みも無い、今では考えられないハードワークだった。若かったからか、よく皆倒れずにやったものである。

『アップルシティ500』では局のスタジオを使わず、外からの公開生放送ということでその場所探しも一苦労。最初はTBS前の赤坂国際ビルの広場でやれるということで、夏休みに1週間放送した。シブがき隊やYMOが出演し反応は上々だったが、騒音が問題となって使えなくなり、レギュラーになってからは月ごとに場所を変えてゆく流浪の番組になってしまった。

国際ビルは最初だけ。以降、青山CIプラザ(現:伊藤忠ガーデン)、浅草隅田公園、日比谷シティ、新宿NSビル、池袋サンシャインシティ噴水広場などを転々とした。この想定外の経費がかさんだことが番組短命につながったのだが…。

司会は鶴太郎にとんねるず、まさに「夕やけニャンニャン」への橋渡し

司会は、各曜日にレギュラー出演者を立てた。月曜日の片岡鶴太郎と水曜日のとんねるずは、この番組終了後フジテレビの『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』につながってゆく。まさに “夕ニャン” へ橋渡しをする形になってしまった。

そういった困難を乗り越えて番組は走り続けた。内容は情報、バラエティ的色合いが濃いが、10代の若い層の支持は厚かった。都内の高校生が学校帰りに気軽に立ち寄り番組に参加できたのも人気の理由だったと思う。特に当時の人気アイドルたちがこぞって出演していた。

ちょうどこの時期、”花の82年組” を中心としたアイドルブーム。82年組は全員ゲストで出演してたし、石川秀美は金曜日の司会も務めていた。特に浅草隅田公園の生放送で中森明菜が出演した時は、会場が暴走族とヤンキーに囲まれ、決死の思いで明菜を逃がした恐怖の思い出が忘れられない。

番組も新人歌手の育成に重点を置いていたので、ここから数々のスターたちが巣立っていった。新人だった杉山清貴とオメガトライブもレギュラーで出演していたが、後に『ザ・ベストテン』の常連になってゆく。

今や気象予報士の大ベテランである森田正光さんもこの番組がデビュー。日本気象協会に面白い人がいるという情報を聞いて会いに行き出演を決めた。月曜から金曜まで毎日、今までにないカジュアルでユニークな天気予報で人気を集めた。(後半はシャレで下駄を放り投げて予報をしたこともあり、さすがに気象協会から怒られたそうだ)。

女子大生アイドル川島なお美もMCで登場

曜日ごとのカラーは5日間はっきり分かれ、各々の曜日にファンがついていた。私が担当した月曜日は、MCが鶴太郎と当時女子大生アイドルとして人気があった川島なお美、この日は街情報が充実していた。浅草から放送する時は、当時の人気番組だった『なるほど!ザ・ワールド』をもじって “なるほど・ザ・浅草” と題してグルメやスポットを紹介して歩いた。これは中継場所の地元対策という側面もあったが、これが今につながる “街歩き番組” のはしりとなったのではないかと思う。

火曜日は、当時新進俳優だった柳沢慎吾と坂上とし恵、素人参加のバラエティ色が強く、水曜日は人気上昇中のとんねるずとかとうゆかり、素人いじりが得意のとんねるずの独壇場。レコード会社の宣伝マンがイチ押しの曲を紹介するコーナーが人気があった。

最も斬新でラジカルだったのが木曜日、MCはスターダストレビューの根本要と伊藤さやかに山本晋也監督。この日は報道情報色が強く、今ではワイドショーでおなじみだが、その日の新聞を作家の戸井十月氏が解説したり、当時の教科書問題をとりあげ、何のアポも無く山本監督が文部省に突撃取材して怒られたり、と攻撃的な問題作が多かった。

”学校対抗偏差値ハンディクイズ” というコーナーでは、偏差値の低い学校に30点あげて進学校とクイズで戦わせたり、と今では実現不可能な企画もあったが社会派のジャーナリスティックな曜日だった。

番組からヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」が大ヒット

私が担当した金曜日は松宮一彦アナウンサーと石川秀美による週末のエンタメ情報番組、今後のヒット曲を占う “明日のベストテン” では、『ぎんざNOW!』に続いてオリコンの小池聡行社長が登場、ここからヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」が大ヒットした。

さらに “映画にチェックイン” では、新作映画を毎週紹介。「だいじょうぶマイ・フレンド」のピーター・フォンダやジョン・ヴォイトなどのハリウッドスターも生で会場にきてくれた(ジョン・ヴォイトの楽屋で遊んでいたのが当時まだ少女だった、彼の娘アンジェリーナ・ジョリーだった)。

また、公開前だった『E.T.』を日本で一番早く紹介したが、日本公開の半年も前だったため全くリアクションも無く盛り上がらなかったというエピソードもあった。週末の映画や音楽、遊びなどの紹介が、後に私が担当することになる『王様のブランチ』につながり、この時のノウハウが生かされてゆくことになる。

秋から春へのたった8か月足らずだったが、特に1月の日比谷シティのスケートリンクの寒さと、隅田公園の狂乱ぶりが今でも忘れられない。短命の番組だったが、その後のテレビ番組、特にバラエティや情報番組に多大な影響を与えたと今になって大いに感じる次第である。

カタリベ: 齋藤薫

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