オスカー不発も話題沸騰『ソルトバーン/Saltburn』
“階級”と“格差”が文化として取り込まれているイギリスは不思議な国だ。どこの国でも不思議なところはあるのだろうけど、イギリスは別格だ。なぜなら“階級”や“格差”は、確かにイギリス人のアイデンティティとして刻まれているものの、彼らの境遇は「金持ち」「貧乏」「中産階級」「低収入」などというカテゴリで分けられるほど単純ではないからだ。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)の監督エメラルド・フェネルの新作、『ソルトバーン/Saltburn』は、そんな“イギリスらしい複雑なアイデンティティ”をテーマにしたドロドロとしたサイコスリラー映画だ。
陰キャ大学生がリッチな陽キャ同級生の実家に潜入
名門大学オックスフォード。新入生のオリバー(バリー・キオガン)は、荒んだ家庭環境で育ったせいか、陰キャだった。大学生然とした他の新入生たちが打ち解け合う中、ひとりぼっち。そんな彼はひょんなきっかけで、上流階級出身のフェリックス(ジェイコブ・エローディ)と友達になる。
オリバーにとって、フェリックスは太陽だった。金持ちで明るく、誰とでも仲良く、そして優しい。絵に描いたような好青年。そんな彼に友情以上の何かを感じ始めたオリバーだったが、父が亡くなったという連絡があり落ち込んでしまう。オリバーの境遇に同情したフェリックスは、自分の陽キャでリッチなグループに引き入れることにする。そして夏の間、ソルトバーンにある自分の生家で過ごそうと誘うのだった。
フェリックスの家族=カットン一家の邸宅には風変わりな父、サー・ジェイムズと母エルスペス、妹ベニシアとその友人パメラが住んでいた。最初は「どこの馬の骨?」と言わんばかりによそ者扱いされるオリバー。しかし、彼の奇妙なコミュニケーション能力はジェイムズとエルスペスを取り込み、あっさりと夏を過ごすことを許される。裕福な環境に戸惑っているように見えたオリバーだが、次第に彼の異常性が露わになっていき……。
上も下も“全員おかしい”物語
一見すると『ソルトバーン』は格差社会を扱っているかのようだ。カットン家は「高慢と偏見」よろしく“労働”とは無縁の浮世離れした生活を営んでいる一方、オリバーは労働者階級だ。この設定からは、下から上を見上げる、あるいは上から下を見下ろす。そんな物語が浮かぶだろう。
こうした設定の多くは上と下、どちらかに共感する物語になっている。しかし『ソルトバーン』は、どちらにも共感できるのだ。と言うのも、“全員おかしい”からだ。
フェリックスの◯◯をすすり、生理中のベニシアにオーラルセックスをする等々、奇行に走りながら何食わぬ顔で様々な画策を練るオリバーに目が行きがちになるだろう。しかし、フェリックスも何かを求めるようにオリバーに施しまくるし、キモいと思いつつもオリバーのマリオネットと化していくベニシアには“空洞の人生”を感じるし、何があっても平静を装う両親からも異様な意地を感じるし……と、カットン家はもはや「奇人博物館」と化す。
でも、なんだか「気持ち悪い」と突き放す気にはなれない。彼らから感じるのは「何かが足りないんだよね? わかるよ」だ。
世界は平等に冷たい
本作のキャラクターが放つ、のっぴきならない境遇は、道徳的にはアウトな所業を“アリ”と感じさせてしまう力がある。加えて、舞台となる屋敷が放つ怪しさやSMチックな性描写が醸すゴシック感が、それを加速させる。やたらと“接触”する表現が多いことも、パンデミック時に定義された“禁じられた行為”を侵しているように思える。実際、フェネル監督は「パンデミック以降、“接触”はどこかゴシック的だ」と述べている。
役者陣も「勘弁してくれ」と思うほど濃厚。バリー・キオガンもジェイコブ・エローディも、凄まじい色気と狂気を見せる。エルスペス役のロザムンド・パイクも堂に入った芝居が印象的。こんなにいい芝居をスクリーンで観られないのが、本作で唯一の残念なところだ。
さて、フェネルの前作『プロミシング・ヤング・ウーマン』は性被害を基軸に復讐に燃える女性の物語のため“#MeToo”がテーマと頻繁に言及されるが、描いていることは行き過ぎた“渇望”と“絶望的な失恋”だった。『ソルトバーン』も同じく各々が何かを渇望し、絶望的な失恋を経験する。何かを求めて、誰かを愛しても、世界はそれに答えてはくれない。世界は平等に冷たい。各々の境遇で、その冷たさの感じ方が変わるだけなのだ。
皆さんは満たされていますか? 誰かを愛していますか? もしそうでないなら、どうしたらいいと思いますか? 何をしたら満たされますか? どうやったら愛を手に入れられますか? ただ望んでいるだけですか? それとも……。
文:氏家譲寿(ナマニク)
『ソルトバーン』はAmazon Prime Videoで独占配信中