92歳「輪島塗立て直す」 宇奈月に避難の蒔絵師意欲

妻和子さんとともに創作への意欲を語る田崎さん=黒部市宇奈月温泉のホテル

 輪島塗の蒔絵師(まきえし)、田崎昭一郎さん(92)=輪島市水守町=が能登半島地震での2次避難先として黒部市宇奈月温泉のホテルに滞在し、工房や作家、職人らの被災に伴う業界の行く末を案じている。幸い自身の工房は倒壊を免れ、制作途中の作品を残してきており、「早く戻って仕上げんならん。仲間と一丸で輪島塗全体を立て直したい」と創作再開、業界復興の思いを募らせている。

 田崎さんは輪島市で上塗職人の長男として生まれ、15歳で蒔絵師一后一兆氏に弟子入り、輪島高定時制に通いながら修業を積んだ。28歳で日展初入選以来、現代美術展、伝統工芸展など多数入賞し、1996年に紫綬褒章、2008年には北國風雪賞を受けた。

 伝統的な文様から他にない独創的なデザインの作品まで幅広く手掛ける。北陸新幹線金沢開業に合わせて設けられたJR金沢駅コンコース門型柱(もんがたちゅう)には輪島塗プレート「歓喜躍動」が飾られ、15年に仕事の集大成として制作した飾り棚は精緻な蒔絵で大名行列を描いており、海外でも展示された。

 注文を受けて作る第一線の仕事からは退いたものの、卒寿を過ぎてなお創作意欲は衰えず、日々制作に励む。

 輪島の自宅兼工房は母屋の屋根の損壊程度で工房は無事だった。地震後も妻和子さん(87)と自宅にとどまっていたが、周囲に促され、26日に他の輪島市避難者とともに宇奈月に移った。

 子どもの頃よく遊んだ一本松公園(輪島市)にあった見事な松の根っこを題材にした作品を手掛けている最中だ。「仕事は自分にとって道楽みたいなもん。輪島の家は水道さえ復旧すれば戻れる。仕事をしたくてうずうずしとる」。早く創作を再開したいが、いつ戻れるか正確には見通せず、もどかしさが募る。

 業界の仲間や知り合いも多く被災し、安否不明のままの人もいる。国重要無形文化財の輪島塗は2007年の地震でもダメージを受けたが、着実に再建の道のりを歩んだ。しかし、今回は被害の全容もつかめないほどという。

 「壊滅的かもしれん。ほやけど、輪島は輪島塗で持ってきたまちや。業界を挙げて復興を果たさんならん」。田崎さんは窓外の水墨画のような山々の景色を見やり、そう力を込めた。

  ●宇奈月へ広域避難、30日に2陣の30人

 黒部市は29日、輪島市からの広域避難第2陣として約30人を宇奈月温泉の宿泊施設で30日に受け入れると発表した。同温泉のホテルには輪島市の住民58人が26日に到着しており、2陣の約30人も同じホテルで過ごす。黒部市は能登町からの受け入れについても、同町と調整を進めている。

田崎さんが創作活動の集大成として仕上げた輪島塗の飾り棚=2015年1月、輪島市水守町

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