『春になったら』奈緒と木梨憲武が張る親子の共同戦線 笑顔で病に対峙する生き方

『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)を観ていると、離れて暮らす両親のことが気になる。筆者には病気で療養中の母がいて、何度か手術をして存命している父も何かの拍子に体調を崩したらと思うと気が気でない。こう思うようになったのは特にコロナ禍以降で、当時は顔を合わせるたび手洗いとうがいをしているかしつこく確認していた。

病気があったから親の健康を気づかうようになったことは確かで、病気にならなかったら親孝行しようと思わなかった自身の親不孝を棚に上げて言うと、病気のおかげで両親を大事にできるようになった。それは子どもの勝手な言い分で、病を抱える本人は常時進行する体の異変と向き合って気が休まる暇がない。

『春になったら』第3話で、雅彦(木梨憲武)が「最悪のくじ」「神様も意地悪」「生まれてこない方が良かった」とこぼす気持ちはよくわかる。娘の瞳(奈緒)の前では元気そうにしても、自分の体は自分が一番わかっている。それでもふとした瞬間に良くない徴候が表に出て、身近な人たちを心配させる。そのおかげで娘は事態の深刻さを悟り、残り少ない父の時間をできるだけ充実させたいと考えるようになった。

苦痛に顔をゆがめる雅彦を見た瞳は、何事もなく過ごす父を見ても以前のように安心できない。雅彦の治療を受けない意思は堅く、処方された医療用の麻薬を服用してまで毎日を楽しく過ごそうとする。父は懸命にその日その日を生きている。瞳は自分のやりたいことを後回しにして、雅彦のわがままに付き合うことにした。だからと言って自分の幸せをおろそかにはしない。結婚を認めてもらおうとお笑いの賞レースに出る一馬(濱田岳)を応援し、雅彦と行く遊園地に一馬と息子の龍之介(石塚陸翔)を呼んだりする。それは雅彦に花嫁姿を見せたい気持ちから発しているのだが、瞳の心情はとてもいじらしい。

一馬は「D1グランプリ」を予選通過するが準々決勝で敗退。気落ちする一馬を励ます瞳だったが、実は瞳の方が落ち込んでいた。父・雅彦のやりたいことを叶えるたびに、雅彦の死期が近づいているように感じてしまうのだ。必死で目をそらそうとしてきた瞳は、結婚の目標が遠ざかったことで雅彦のために時間を使おうと決心した。また、一馬や龍之介と家族になりたいと願えば願うほど、雅彦のことが気にかかる。瞳は病気が進行する雅彦を支えたいと思った。

瞳はこうと決めたら突き進むタイプで、頑固でこだわりの強いところは父譲りである。周囲を振り回しがちなところもあるが、肝心な時に何をすべきかはわかっている。今は雅彦のために、雅彦が悔いなく最後まで幸せでいられるように。そう思うのは瞳が医療従事者であることも関係している。結婚を待ってほしいと言ったら一馬はがっかりすることもわかっているけれど、率直に言えたのは一馬への信頼の証である。どんな失投も笑顔で「僕は好きだよ」と肯定できる一馬だからだ。

結婚して親になり、親の気持ちがわかるようになるちょうどその時に、自分を生み、育ててくれた人はこの世から去る。そういうあまりに切ない設定が物語のコアにあって、『春になったら』では、登場人物それぞれが互いを思いやり、言葉以上の思いを交わすことで親子や恋人、友人との関係を何重にも塗り重ねていく。それくらいしないと家族の絆は描ききれないし、そうやって両手いっぱいに愛と信頼を携えても、死と対峙することは簡単じゃない。相手の強大さを瞳と雅彦は認識している。思えば二人は戦友だった。母の佳乃(森カンナ)が亡くなった時から雅彦と瞳は共同戦線を張ってきた。そうやって生きてきた二人が交わす笑顔はまぶしいくらい美しい。

(文=石河コウヘイ)

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