戦国時代の丹波の国衆をテーマにした講演会が、京都府亀岡市余部町のガレリアかめおかであった。同府大山崎町歴史資料館の福島克彦館長が明智光秀による丹波攻めについて「織田信長への服属か抵抗かで分かれた丹波の国衆同士の戦いだった」とし、協力した国衆への光秀の気遣いが史料から浮かぶと解説した。
福島さんは最初に、信長について征夷大将軍や関白ではなく軍事的な権限を有していなかったと指摘。軍役制度が伴わない中で、光秀ら配下の武将は戦争を遂行するために手勢だけでは足りず、土着の武士である国衆らを取り込んだとした。
丹波攻めで光秀に従った国衆として、同府南丹市園部町地域の国衆をまとめて明智姓を与えられた小畠永明や、本能寺の変にも加わった亀岡市の本梅地域を拠点にした野々口西蔵坊らを紹介した。
彼らに宛てた光秀の書状には敬意を示す表現が使われ「丹波攻めは信長の命令で、国衆からすれば、信長は何の権限もないのに威張っていると思っていた。光秀はそれを感じ取っていたはずで、国衆を家来筋だと言って顎で使うことはなかった」と分析。「丹波攻めは、光秀を支えた国衆に焦点が合うような描かれ方を切望する」と締めくくった。
講演会は厚紙などで甲冑(かっちゅう)制作に取り組む亀岡手づくり甲冑の会が初めて企画し、27日に開催。市民ら約150人が参加した。