【三重県御浜町】サラリーマン漁師のライフスタイル#3 | 漁師が好き過ぎて本業も副業も漁師になった男。二刀流漁師、東さんの生き方

三重県南部に位置する御浜町は、自然豊かで青く美しい海が広がる小さな町。柑橘栽培が盛んで『みかんの町』として知られるが、漁師を生業にしている人達もいる。

30~40代の若手が中心となって切り盛りする「阿田和大敷漁業生産組合(通称 阿田和大敷)」は、太平洋の熊野灘で定置網漁を営む組合法人だ。阿田和大敷で働くこと・ライフスタイルについて、漁師の東さんに話を聞かせてもらった。

漁師という仕事を無くしてはダメ

明るい性格でムードメーカーでありながら、シャキシャキと仕事をこなす

東諒輔さん(36歳)は、御浜町中立出身、妻と子どもの4人家族。

阿田和大敷に入って4年目。もともと個人で伊勢エビ漁師をしていたが、獲れ高が減ってきたのをきっかけに大敷へ就職。伊勢エビ漁も続けていて、二刀流漁師としてバリバリ働く日々を送っている。

伊勢エビ漁は一人でやるものだが、「今は会社で人がたくさんいて、すごく楽しい。同じことを一緒に頑張って、みんなで喜び合えるところが今までにはなくすごく楽しくて」と東さん。みんなで楽しく仕事ができたらいいとの思いから、よくコミュニケーションをとるよう心がけている。そんな東さんの存在が職場全体の雰囲気を明るくしている。

チームで声を出し合い協力して行う漁

東さんは紀南漁業協同組合で漁師をやりたいという人のために、働きやすい環境作りにも取り組んでいる。そこには「自分自身しっかり稼ぎたい」ということだけでなく、「漁師は失くしてはダメ。今後絶対必要な商売。一回絶やしたら復活させるのはものすごく大変だから繋いでいかないと」という強い思いがある。

東さん・濵本さんの若手二人が阿田和大敷を盛り上げる

水産業では、大手会社の大型巻き網漁船などで獲る魚と、個人や阿田和大敷のような組合などで獲れる魚は種類が違う。現在どんどん数を減らしている個人漁師らは近海魚を供給してきた。「昔から磯物と言われる近海ものは日本人の食を支えてきた。日本の食文化として根付いているし、絶やしてはいけない」と、東さんは熱く語る。

漁業の新たな環境づくりのために

漁業の世界は許可制などなかなか難しい業界。若い人や新しい人が入って育っていけるような環境づくりが必要と言う。他の大敷では正組合員として漁業の権利を取る資格があるので、紀南漁協でもそれを行使できるようにしたいと東さんは考えている。

「僕一人の力では無理なので、町や県含め、色んな人に協力してもらって実現できれば。僕ら世代のグループがやらないと誰もやってくれない。それができれば、自分のためにも他のみんなのためにもなる」と将来を見据え熱く語った。

環境にやさしい漁法「定置網漁」

資源の減少により、漁業は刻々と厳しい立場に置かれているが、今後を見据えて漁業自体のスタイルが見直され始めている。

阿田和大敷が行う「定置網漁」とは、沿岸部の魚の通る一定の場所に固定式の網を仕掛け、魚が中に入るのを待つ漁法のこと。先人の知恵を受け継ぐ「待ちの漁」とも呼ばれる受動的な漁法で、魚を根こそぎ獲ることのない「資源管理型漁業」「省エネ漁業」として、近年見直されている環境にやさしいサステナブルな漁業だ。

全長600M以上ある定置網の模型

阿田和大敷では、11月〜7月下旬の期間を漁期とし、8月~10月の台風シーズンは定置網を上げて漁をしない。その間は網やブイなど漁具のメンテナンスを、陸で行う。

海の男達もこうした細かい作業を行う。夏場は朝5時半頃から休憩を取りながら働く

補修のために漁網を広げるのは世界遺産・熊野古道伊勢路「浜街道」の七里御浜海岸だ

自然とともに働く

沖からの眺めについて、「漁師は朝が早いから、日の出を毎日見られます」と。

太平洋から日が昇る

「漁場に着くまでの間、夜空に流れ星が見えたり」

この地方の豊かな自然を日々当たり前に感じながら、時に美しく、時に過酷な海を相手に仕事に励む漁師たち。

彼らは今日も大漁を願って、沖へと船を進める。

(2022年7月・23年1月 取材)

東さんの漁師ストーリーを動画でもお楽しみください↓

▼サラリーマン漁師のライフスタイル#1 仕事も趣味も海で謳歌する▼

▼サラリーマン漁師のライフスタイル#2 | 5人の子供のイクメン漁師▼

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