島原・湯江小、創立150周年祝う 児童が寸劇で学校史発表

クスノキを見て育った3世代。(左から)田久世孝さん、雄一さん、優駿君=島原市立湯江小

 創立150周年を迎えた長崎県島原市有明町の市立湯江小(209人)で19日、記念式典があり、6年生34人が学校史を寸劇で披露した。校庭の大きなクスノキ(高さ約14メートル、幹回り約5.5メートル)については地域住民に聞くなどして、80年ほど前に移植されたとみられることが分かった。
 同校は1873年、近くの民家を借りて釘崎小として創立し、1944年に現在地に移転した。
 6年生は昨年10月から家族や地域住民に聞き取り。担任の福田道子教諭(58)が地域史料を読み込むなどして調査していた。
 その結果、田久世優駿君(12)の祖父孝さん(61)が「小3ごろの運動会で、母から『あのクスノキは、うちの家から持ってきた』と聞いた」と証言。さらに児童らは「近くの集落の人が何人かで運んだ」、「小6(1944~45年)の時にぶら下がって遊んだ」(91歳住民)といった別の証言も得た。
 これらを基に、福田教諭が法務局で土地台帳を閲覧すると、旧湯江村が1938年、畑を学校用地として買収し、現在の校庭となっていた。福田教諭は「日陰になるクスノキを畑に植えるのは考えにくい」として、学校の現在地移転が完了する44年9月までの約6年の間に、クスノキも移植された-と結論づけた。
 式典の寸劇では、学校移転の様子について「校舎の土台になる石を児童が川や浜から拾い上げて運び、地域の人々は溝を掘り、土を丸太で突き固め、校長先生が土つき歌を作って、やる気を盛り上げた」と発表した。優駿君は雲仙・普賢岳噴火災害の大火砕流に言及。当時4年生だった父雄一さん(42)の学校生活を「プールにも火山灰が入ってしまい、水泳の授業はできず、外での体育もできなかった」と紹介した。
 発表後、優駿君は「ひいひいじいちゃんの代から湯江小に通っていたことも分かって、びっくりした。これからもクスノキを大切にして、もっともっと大きく育ってくれたら」と笑顔。雄一さんは「子どもたちが大きくなっても、災害のない穏やかな地域であり続けてほしい」と話した。
 OBでもある柳堂圭章校長(60)は「50年前も既に大きかったが、いつ植えられたのか知らなかった。ふるさとにすてきな思い出の贈り物をしてくれた」と児童に感謝した。

学校史を寸劇で発表する6年生=湯江小

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