初の自主興行に臨む杏ちゃむがプロレスラー6年生となるまで

グラドルから飛び出したプロレスラー・杏ちゃむも今年もう6年目。6月には初の自主興行を沖縄で開催する。その経歴から、関節技との出会い、そして自主興行に至るまで、杏ちゃむにまつわるキーワードを訊いてみた。

――まず、杏ちゃむさんの杏ちゃむっていうリングネームはどこから来ているものなんでしょうか。初めて聞いた方でも1回で覚えそうだなっていう名前だと思うのですが。

杏ちゃむ 1回で覚えやすいというのがミソで、もともと本名で活動を16歳くらいからしていたんですけど、その中で撮影会というものに出会ったときに、ズラーッてグラビアアイドルの名前が並ぶんですよ。その名前が全部漢字で、埋もれてしまうというのがあって、変えたいなっていう気持ちがあって。

――他の方はみんな普通に漢字の名前だから、同じだと目立たないですよね。

杏ちゃむ それと、プライベートと撮影会のアカウントを二つ作っていて、プライベート用を杏ちゃむって名前にしてて、これでも自分の活動をアップしだしたら、こっちのほうがフォロワーが増えて覚えてもらえたので、杏ちゃむを取りました。どこかで見てもすぐに覚えるという。

――ああ、SNSで立証済みだったんですね。何で語呂が杏ちゃむだったんですか。

杏ちゃむ あの当時、りゅうちぇるさんとか流行っていたんですよ。あの時代の世代で。「ちゃむ」とか、「ちゃそ」とかそういう名前が流行っていたときで、その名残りですね。

――なるほど。こうしてグラビアアイドル活動をされていたときの名前をそのままリングネームにされたわけですね。ではそのグラビアアイドルを始められたきっかけというのは?

杏ちゃむ もともと芸能の仕事をしたいなって思っていたんですけど、ちゃんと事務所に入ったのは16歳のときでした。最初はグラビアモデルではなくてファッションモデルをしたくて業界に入ったんです。でも、JKっていうブランドって一瞬しかない中で、お客さんへ広めるために当時は撮影会だったり、若い子が出るようなコンテストに出たりとかいろいろしていまして。JKの水着がオッケーな時代だったし、それをやらないとお客さんが増えないと言われていたので、やろうって考えたんですよ。私は水着になることに抵抗がなかったので、その活動を続けたらそっちのほうが仕事が増えたので、モデルの仕事よりグラビアの仕事をやろうってことでやり始めました。

――そこからプロレスラーになることが結びついていかないんですが、どういう接点が生まれていくのでしょうか。

杏ちゃむ 撮影会をやっていく中で、当時、違う名前でアイドル活動をしていた神姫楽ミサと出会うんですよ。もう一人、アイドル活動をしていた子と3人で仲良くなって、「プロレス見てみたいね」って話になって。動画とかはよく見ていたんですね。そんなときにたしかミサがお客様からチケットを3枚もらったんですよ。それがドラゴンゲートさんだったんですけど、それで3人ともドハマりして、完全にプロレス女子になりました。当時、バイトを4つくらいかけ持ちしていたんですけど、すべてプロレスにつぎ込むようになりまして、学校帰りにプロレス、休みの日は撮影会とか終わってからプロレスみたいなスケジュールでした(笑)。

――ではドラゲーさんに始まり、いろんな団体を見に行くようになったわけですね。

杏ちゃむ はい、例えば新日本さんとかのような大きい団体を見に行くような感じじゃなくて、大日本プロレスのデスマッチにハマりはじめて、地方を周り始めたり、ダブプロレスさんですとか、インディーの団体のほうを主に見に行ってました。

――じゃあ観戦回数も相当な数になりそうですね。

杏ちゃむ 年間100試合は行ってましたね。それで、WRESTLE-1に征矢学さんがいらっしゃったときに、長野で凱旋興行があって、私も実家に帰省していたんですよ。それで、お母さんと一緒にWRESTLE-1を見に行ったら、(グレート)無茶さんに「長野の子なの?」って声をかけられて。「そうです、今東京で活動をしていて」って言ったら、「長野を盛り上げる団体だから、プロレスっていう名目だけど、一緒に盛り上げていかないか」ってお誘いを受けたことが始まりでした。

――それで、なんと返事したんですか。

杏ちゃむ 「やるからには私、電流爆破やりたい」って言いました(笑)。でも(グラビアの)撮影に響くから、やりたいことに対して、できることが限られていたような感じでした。それでも「やりたい」って言ったら、無茶さんが「長野に練習で帰るのは難しいから、だったらちゃんと東京で教えてくれるところへ行ったほうがいい」ってことで、もともと「誰でも女子プロレス」で体を動かしていたので、我闘雲舞さんのプロ練に入れてもらって、練習させていただきました。

ーーなるほど、そういう縁からデビュー戦の相手がさくらえみ&里歩組になるわけですね。当時はだれが練習生でいましたか。杏ちゃむ 当時、メイちゃんと梅咲遥がいて、一緒に練習していました。Himikoさんもおられましたね。さくらさんの教えで特に印象的だったことはありますか。

杏ちゃむ ドロップキックや受身といった基礎的なものから、試合ができる体つくりとともに、細かい受身の指導をしてもらったんですけど、デビュー戦はポスターができてから知らされたんですよ。それも練習を始めてから2週間でデビューしなきゃいけなくて。当然、2週間でデビューするわけですから、試合ではできないことしかないんですよ。

――できることではなく、できないことしかないと(笑)。

杏ちゃむ だって2週間だもん(笑)。他団体の同期と言われる子たちは半年とか1年やってリングに立ってるわけじゃないですか。私は2週間なんで、ちょっと基礎やっただけの、一般の方と変わらないくらいなので、デビュー戦は、すごく叩かれたし怒られたんですよ。でもそれはデビューしちゃったんだからしょうがないことなんですよ。で、ありがたいことにグラビアをやってたこともあって、デビュー戦を話題にしていただいたので、その後、他団体からオファーをいただいたんですけど…。

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※ミステルカカオ主宰のルチャワークショップ「刃」には毎回参加。カカオいわく「一番練習熱心です!」。カカオ&群馬キャットと練習前に3ショット。

――でもまだレベル的には厳しいですよね。

杏ちゃむ はい。試合をしたらヤバいなっていうか、できないなっていうのは思いつつ、いただいた仕事だし、受けせていただいて。それで試合したらやっぱりダメで、「ヤバい、全然できないじゃん」って思われたと思うんですけど、「そりゃそうですよって、スイマセン」って思ってました。だから、デビューしているのに、そこからスタートで練習をやり始めたという感じでした。

――でも、それほどまでに全くできないというところからプロレスが上達していったのは、やはり練習をたくさんこなしたからということになるのでしょうか。

杏ちゃむ 全然、マジで最初は上達しなくて、私の場合は試合が練習をした。練習にはもちろん行くんですけど、試合をこなすことが一番の練習だったので、1年2年ってかけて、試合を積み重ねることで少しづつ上達していったと思います。

――その中で上達した手ごたえを感じたのはどれくらいからですか。

杏ちゃむ 今年の6月で6年目なんですけど4年目くらいで、マーベラスさんに参戦させていただいたときに、永島千佳世さんと組ませてことになって、この人すげえなって思って。細かいことをすごく指摘してくださって、そこから少しづつ変わったかなって思います。もともと女子で永島千佳世さんが一番好きだったというのはあるんですけど。

――マーベラスではユニット入りもして完全に最初からレギュラー扱いを受けましたね。

杏ちゃむ できないのに何でかなって思ったときに永島さんは「たぶん、伸びる」って言ってくださって、残してくださったんですよ、今もタッグリーグ戦が終わったのに、継続して組ませていただいて。マーベラスさんという、プロの女子団体にガッツリ参戦させていただいて、学ぶことは本当に多かったです。永島さんはレベルの高い人たちの中に入れさせていただいて、頑張んなきゃいけないって意識を芽生えさせようとしてくださっていたんだと思います。

――そうやってプロレス開眼されていくなかで、もう一つ、技術が上がっていくことに関節技を取り入れられたことが挙げられると思うんですが、そのきっかけは何だったんですか。

杏ちゃむ 雫有希(あき)選手の興行に一度出させていただいたときに、唯我選手と当たらせていただくことになって。やっぱりまだ、プロレスができないいときだったんですけど、「お前本当にできるのか、グラビアアイドルにくせに」ってバーって、ネットで攻撃されたんですね。それで私は言い返したんですけど、結局、それがお互い気に食わなかったみたいで(笑)。それでカード変更になってしまうくらい、ちょっとした問題が起きてしまったんですね。その時に唯我さんが「ここまで来たらカード変更しかない。私にふさわしい相手を用意しろ」ってなったときに雫有希さんが石川雄規さんとのカードを組んだんですよ。それで、石川さんがその大会に来られて、「申し訳なかったです」って経緯を説明して謝ったら、全く聞いてなくて、「どこの子? 練習してるの?何してるの?」みたいな感じでフレンドリーに話しかけてくださって。当時、私は埼玉に住んでいたんですけど、そこの近くで石川さんがクラスを持っていて、家から近いっていうのもあって「来てみなよ」って言われてそこから通い初めたんです。そうしたら、私は1個のことをネチネチやるのが好きなので、それで好きになってしまって。そこで関節技やりたいって思ったんですけど、やっている選手が周りにいなくて。たとえばガトムさんに参戦させていただいているときも周りにいなくて。このスタイル、意外と誰もいないから華があるないにかかわらず面白いかな、誰もいないなら関節技を得意にしようかなって。

――結構、オリジナルとか独特の入り方も多くて、見てても面白いですね。よく試合結果のところで、「あの技」って書いてあって。「これなんですか」ってリングアナに聞いた記憶があります。

杏ちゃむ 「あの日見た技の名前を僕達はまだ知らない。」です。あれはYuuRIと試合したときに、たまたまかけた関節技が誰も使ってないものだったらしく、誰も名前も知らなかったんですね。完全に手足全部を固めるという技で。周りの人も「あの技に似てるよね」「あの技なんだろうね」って言ってて。じゃあ、そのまま「あの技」でいいかと思ったのと、「あの技なんですか?」って言われた時にちょっとひねったほうが面白いかなって思って、私の好きなアニメの「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」から取って、「花」を「技」に変えて「あの日見た技の名前を僕達はまだ知らない。」と名付けました(笑)。そのあとも、「あの技」で何回か勝ったんですけど、試合結果を書くときにリングアナの方から「あの技なんですか?」って聞かれて「『あの技』です」って答えたら、本当に「あの技」だったと思わなかったらしく、「複合式羽折り固め」とか書いてあったことがありました(笑)。「本当に『あの技』なんですー!」って言って(笑)。

――まあ、リングアナの方の気持ちもわかりますけどね(笑)。

杏ちゃむ 自分もスワントーンとか使わせていただくので、それで決めたときはお酒が好きなのと、大の字なので大吟醸とか付けたり(笑)。だから技の名前って別にカッコいいとかいらないので、イメージに合うのでいいかなって思っています。

――なるほど(笑)。では最後に今年の6月には自主興行を予定されています。6年目にして初の自主興行をされるきっかけは何だったんですか。

杏ちゃむ 本当は5周年ぴったりにやりたかったんですけどね。周りの子が…ウナギとか花園ちゃんもそうですし、行動力のある子が同期や1個下にいる代にデビューしたので、周りがみんなキラキラしていて。それを見て、いいな、いつかやりたいなとはずっと思ってました。私の場合はデビューしてからずっと信州の団体にいますけど、たくさん、他団体で試合しているだけあって、お世話になった先輩がいっぱいいるんですね。なのでその人たちを呼んで、恩返ししたいのもあるし、自分はもともとプロレスがとても好きだったので、自分の見たいカードを自分でプロデュースしたい、その気持ちが強かったです。今回は行ったことのない県で試合したいのと、ドレイク(森松)さんと仲良くさせていただいるんですけど、ドレイクさんが沖縄に強いとので、そうさせていただきました。今回、沖縄まで遠くて呼べない選手もいるので、また近くで大会をやったときは別のメンバーでやりたいです。

――ということは第二弾興行も考えられているんですね。

杏ちゃむ はい、そのときは、石川さんとかさくらさんも必ず呼びたいし、同期とかあとは自分はお酒が好きなので、飲み仲間でみんなが知らなくてここ繋がりあるのっていう選手がいたりするので、そういう隠し玉を出したいですね。「第2試合 杏ちゃむ飲み仲間ランブル」みたいな。勝利者賞・お酒みたいにして(笑)。あとは、自分がプロレスファンとして見たいカードを組みたいです。むしろ私は出ないでずっと座席で見ていたいです(笑)。

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<インタビュアー:泉井弘之介>

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