古舘伊知郎×成田悠輔 テレビ衰退の要因を語る「テレビは伝統芸能にいかになるかに集中するべきだった」

フリーアナウンサー・古舘伊知郎をゲストに迎えた『夜明け前のPLAYERS』第12夜。番組MCの経済学者・成田悠輔は、古舘とテレビの未来についてヒリヒリしたトークを繰り広げた。その様子にファンからは「こんなに何度も相手の言葉を遮って話し続ける成田さん珍しい」と声が上がる。年の差約30歳。好対照な立ち位置の2人がテレビ衰退の裏側を探った。

■テレビ報道の衰退は「テレビ局自体がそれを選び取ってしまった」から

古舘がテレビ朝日に入社した1977年、テレビはすでにメディアの王様だった。テレビの黄金期にテレビのど真ん中で過ごし、テレビが終焉(しゅうえん)に向かうと共にテレビから身を引いた――古舘にそんな印象を持っていた成田は「(古舘さんは)ほんとうにズルイ方ですね」と言う。

その言葉にやや不満げな古館は「2016年に『報道ステーション(報ステ)』を辞めた時、テレビ報道の衰退というものを予期したわけではない」ときっぱり。むしろ最近、経済ジャーナリストの後藤達也氏に「災害報道としてNHKはなくならないと思うが、商業放送である民放の報道というのはもはや(将来は)ないんじゃないでしょうか」と諭すように言われ、ショックを受けたのだと吐露した。

一方、後藤氏に「テレビのニュースはどうなると思いますか?」と問われた際、これまで積み上げてきた裏取りの技術をもって「”民放の報道はなくならないと思う“とテレビを愛するがあまり普通に保守的なことを言ってしまったんですよ」と自身の古さに驚愕(きょうがく)したのだと告白。「古巣に対して良く思おうと思い過ぎているんでしょうね」と自戒した。

同時に古舘は成田にも意見を求めた。「(成田さんも)同じように思います? 民放のニュースっていうのは廃れていくと」間髪を入れず「もう廃れていると思います」と成田。「と言うより、民放は報道機能って手放しちゃいましたよね」とチクリと指摘する。

どのニュース番組も朝の情報番組と大差ないことを挙げ「テレビはきつくなり過ぎて、全局総バラエティー化、何でもありで芸人の天下っていう感じ」と言い、「テレビ局自体がそれを選び取ってしまったんだな、報道という役割をテレビが果たすことを自分たちから手放したんだなと思います」と分析。古舘は「やっぱりそうか」と寂しそうにつぶやいた。

■テレビは「そこに出ると何か上がったような気がする価値」を守り続けるべきだった

古舘は民放が総バラエティー化した要因を、新たな購買層を獲得するためにファミリーコア(13歳から49歳の男女)に舵(かじ)をきったからと解釈。しかし実際にテレビを支えているのはシニア・高齢者層だと言い「今のお客さんを手放してでも次の消費者を獲得していくマーケティング。何でそんなことを無理にやっちゃうんだろう。経済原理で言えば当たり前のことなんですか?」と語気を強める。

成田は「経済原理のほうを、彼らのブランドと信頼を守ることよりも優先してしまったっていうだけじゃないですか」と冷ややかだ。テレビの価値を、紅白や朝ドラ、『情熱大陸』といった番組名を挙げながら、幻想も含めて「そこに出ると何か上がったような気がする場所」とし、そういう古き良き番組を守り続けるのが正しい選択だったのではないかと言う。「それを手放した結果、誰の支持も得られなくなったんじゃないか。その判断がテレビの独自性を守る上では失敗だったと思う」と自説を述べた。

さらにテレビがネットの情報配信コンテンツと数字で戦おうとしたことにも触れる。「(ネットは)ただのやんちゃな面白い人から暴露系ユーチューバーから、逮捕なんて何の問題もないというような人までいくらでも参入できる。そんな人たちとみんなのアテンション(関心)を奪い合う競争で上場企業が勝てるわけないと思うんですよ」とテレビが勝てない戦(いくさ)に挑んで負けることになったと指摘した。

歯がゆい表情の古舘は、成田がよく引用する話を例に突き詰める。「それは成田流で言うと放物線を描いて下っていくということでちっとも悪いことじゃない。(民放の衰退は)よくも悪くもなく“必然”でいいんですよね」と確認。すると成田は「と言うか、ビジネスとして小さくなっても権威を保ち続ける方法というのはあったはずなんですよ」と応酬する。

歌舞伎を例に挙げ「(歌舞伎は)かつてはよく分からない、いかがわしい芸能だったわけですよね。それが今は、マダムたちが銀座のど真ん中に着物で正装して行く場所になっている。信じられないようなブランド価値を持って、社会の中で存在していて当たり前のものになったわけです」としテレビは「“伝統芸能にいかになるか”だけに集中すれば、ぜんぜんいけたと思うんです」と比喩を含めて解説した。

■報ステの12年間は「巨大なSMプレイ」 成田が今日一番引いたこと

同時に成田はテレビを“最初で最後のマスメディア”と評価する。「国民のほとんどが持っていて、夜になるとどこかの番組を必ずつけている。国民全体に何かの情報を伝える機能を果たせた最後のメディアじゃないかと思うんですよね」と、中でも報ステが始まった2000年代初頭をテレビ報道が影響力を持った最後の時代として、現場にいた古舘に投げ掛けた。

「(報道は)そんなに良いものですか?」自身の経験も踏まえ「報道は窮屈で、何を言ってもあらゆる方面から袋叩き(ふくろだたき)にあうし、強迫の度合いも報道・政治・政策系に関わるとまったく変わってきますよね。夜の報道番組を背負った時の四方八方からの流れ弾は想像を絶する」と言う。

「激しかったですね」と古舘。世の中のからくりを知ることができたという“報道で得たもの”と、面白おかしくしゃべるというそれまでの古舘スタイルを封印したことによる副作用が今に至る損失を語る。そこには報ステ時代「“何で言えないんだよ”というのがいっぱいありました」と言うことが影響しているようだ。

報ステは1985年に始まった報道番組『ニュースステーション』の後継番組に当たる。『ニュースステーション』は久米宏をキャスターに、それまでのニュース番組とは一線を画したニュースショーを展開。例えば「財務省にハンディ―カメラで生中継に入って、“税の取り方、おかしいじゃないですか”と久米さんがめった打ちにするんです。ドキュメンタリーですよ」と古舘。

それがいくつかの事件を経て、さらにテレビの影響力・権威が広がるにことで「激しくやるというニュースショーでの副作用を知っちゃうと、(報ステは)無難にやらなきゃダメっていうところから始まった」と語る。「“ここまでは言うけれど、ここで終わり”って我慢していましたね。自分の中でかなり自主規制をしていました」と吐露した。

その上で成田は問う。「どんな番組であれ毎日番組をやるっていうのはすごい勇気だなと思うんです」絶えず人目にさらされる状態を「どんなに強い人でもだんだん削られていかざるを得ない。灰になることを確約されている悪魔的な職業なんじゃないかと」とリスペクトも含めて話すと、「結構好きなんですよね」と古舘は笑った。

報道番組の緊張感の中、カメラが古舘のワンショットを狙うのを察知して先にカメラに合わせにいく時の喜び、窮地に追い込まれた場面で自分が言葉をひねり出せた時の快感を熱く語る古舘の姿に成田は「今日一番引きました。この十数年間は巨大なSMプレイだったと」笑った。

丁々発止が続くこの日の対談は『夜明け前のPLAYERS』公式HPでノーカット版が、公式YouTubeでディレクターズカット版が配信されている。

「夜明け前のPLAYERS」
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写真:(C)日テレ

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