【書方箋 この本、効キマス】第51回 『新しい階級闘争』 マイケル・リンド著/濱口 桂一郎

労働組合再建など訴える

近頃、世界的に無責任な言説をまき散らすポピュリストが蔓延して困ったものだ……と感じている人は多いだろう。しかし、これは階級闘争なのだ。知的エリート階級に経済的のみならず知的にも抑圧されているノンエリート労働者階級の「反乱」なのだ。

「階級闘争」という言葉は時代錯誤に見えるかも知れない。産業革命時代、資本家階級と労働者階級の間で闘われた熾烈な階級闘争は、20世紀中葉に労働組合による団体交渉と福祉国家を基軸とする階級平和に移行し、マルクスの教えを古臭いものとした。だが20世紀末期、再び階級闘争の幕が切って落とされた。先制攻撃を加えたのは経営管理者と専門職からなる知的上流階級だ。経済停滞の元凶として労働組合と福祉国家が叩かれたことはよく知られている。しかし、ネオ・リベラリズムによる経済攻勢と手に手を取って粗野な労働者階級文化を攻撃したのは、左派や進歩主義者たちによる反ナショナリズムと国境を越えたグローバリズムに彩られ、人種やジェンダーによる差別を糾弾するアイデンティティ・ポリティクスだった。

といえば、思い出す概念がある。昨年9月に本欄で紹介したトマ・ピケティの『資本とイデオロギー』の「バラモン左翼」だ。そう、かつては経済的格差を最も憂慮し、労働者階級の味方であった左派が、リベラルな高学歴エリートに占められるようになり、その代わりに「外国人どもが福祉を貪っているから君たちの生活が苦しいんだ」と煽り立てるソーシャル・ネイティビストがはびこっているというあれだ。これこそが叩いても叩いてもはびこるポピュリズムの社会学的下部構造であり、理屈を積み重ねて論破できると思うこと自体が間違っている。

知的エリートの中には、普遍的ベーシックインカムが解決策だと唱える者もいる。しかし、人種やジェンダーによる差別のみがなくすべき社会悪であり、低学歴低技能ゆえに(当然の報いとして)低賃金や失業に苦しむ者には慈悲を与えようというご立派な思想は、誇り高い労働者階級によって拒否される。ふざけるな、俺たちが欲しいのはそんなまがい物じゃない。まっとうに働いてまっとうに給料をもらいまっとうに生活できる社会だ。それを破壊したのは……あの移民どもだ。あいつらを追い出せ、壁を作れ。と、ポピュリストの甘い声が囁くのだ。

ポピュリズムに陥らずにかつての階級平和を取り戻すにはどうすべきか。リンドが提示するのは拮抗力を伴う民主的多元主義だが。この言葉では分かりにくいだろう。彼が再建すべきと唱えるのは、労働組合や教会、大衆参加型政党だ。とりわけ労働組合が団体交渉や三者構成協議などによって経済エリートたちに対する拮抗力を回復することが急務だという。

同時に、知的エリートに対する文化的拮抗力も必要だ。かつては工場の門を出たらボスのいない世界で寛ぐことができた。今では終業後もボス階級が目を光らせ、不健康な飲食にふけるのを注意したり、プロレタリアート向けの俗悪で煽情的な情報を「検閲」したがるのだ。傲慢でお節介な「大領主様」に反発するのも当然だろう。現代の参加型運動は、最良の意味でvulgar(粗野な/庶民的な)でなければならない。

(マイケル・リンド著、施光恒監訳、東洋経済新報社刊、税込2200円)

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎

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