長崎・出島 町人部屋の規模と位置を明確に 市が復元調査報告

出島町人部屋の礎石を市民らに公開した見学会=長崎市、出島和蘭商館跡(市出島復元整備室提供)

 19世紀初頭の出島復元に向けて整備事業を進めている長崎市は1月30日、出島町の国史跡「出島和蘭商館跡」で成果報告会を開き、本年度の発掘調査で見つかった出島町人部屋の建物礎石などを公開した。市は「2013年度の調査と比べ、建物の位置や規模がより明確になった」とし、今後、基本設計を経て、27年度までに同部屋の復元を目指す。
 長崎港に浮かぶ扇型の出島は江戸時代、オランダ商館員の居宅や倉庫などが立ち並んでいた。ヨーロッパとの経済や文化、学術における唯一の交流拠点として日本の近代化に貢献。市の出島復元整備事業は1996年度から本格的に始まり、2016年度までに商館長の居宅「カピタン部屋」など16棟を復元した。
 出島町人部屋は出島の築造にあたり、出資した長崎の町人25人が家主として使っていた部屋。出島の居住者から家賃の一部を得たり、居宅や蔵の修理も担っていたりしたという。
 同部屋の発掘調査は昨年11月から約60平方メートルの範囲で実施。見つかった礎石は「コの字」型に並び、町人部屋で使われていたとみられる陶磁器やガラス片、瓦などの遺物が見つかった。
 30日の報告会には市民ら約10人が参加。学芸員が2度の大火に見舞われながらも、同部屋は燃えずに残った史実などを説明。市出島復元整備室の山口美由紀専門官・学芸員は「先は長いが調査の成果を生かして完成まで頑張りたい」と話した。

出島町人部屋の復元イメージ(長崎市出島復元整備室提供)

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