不安で眠れず夜中の3時に素振り・張本勲さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(34)

1975年5月、史上5人目の4千塁打を達成し、観客に帽子を振る張本勲さん=鳴門球場

 プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第34回は張本勲さん。言わずと知れた3085安打の最多記録保持者は持論をたっぷりと語ってくれました。球界のご意見番の口からは、現役選手には耳の痛い話も次々と飛び出しました。(共同通信=中西利夫)

 ▽肝心なことは同僚でも絶対に教えない

 プロ初打席は阪急の米田哲也さんに3球三振。(対策を)毒島章一さんに聞きましたよ。同じ左で3割バッター。東映のキャプテンだし、人格者でもあって。何を狙ったらいいですかと聞いたら「カウントを取りにくるカーブを必ず投げてくるから、それを狙え」。1球目、速くてびっくりしましたね。ひょっとしたら2球目はカーブ?と思ったら真っすぐ。振り遅れてかすりもしない。3球目も同じ球。岩本義行監督は広島県の同郷です。「何を狙うとんや」「カーブですけど…」「ばかたれ!」。頭、ゴーンですよ。「このピッチャーは100球投げたら98球は真っすぐや。誰がそんなこと言っとんか」。あの人(毒島さん)と言えないじゃないですか。腹も立ちませんでしたよ。そうか、こういう世界かと。そら教えないわね。何年もかかって会得したものを昨日今日入った若造に教えるわけない。それなら、この人よりうまくなってやろうという気持ちになったんです。

1959年に東映へ入団した当時の張本勲さん

 新聞紙上ではきれいごとを言ってるけど、プロは教えませんよ。私も投手の癖を何人も見破っているけど、絶対教えない。巨人に行った時も若いやつが教えてくれと来ましたよ。「目玉むいて、しっかりボール見ろ。最後まで振り切れ」。当たり前のことしか言いませんよ。ステップが悪いとかバットの構え方が悪いとか、肝心なことは教えないです。まあ、ライバルですからね。その人が幸せになったら、こっちは不幸になる。同僚でも技術のやりとりはないですね。どっちかは不幸になるもの。それがプロじゃないですか。それでも勝利に向かっていくからプロの集団だと思いますよ。同じチームでも仲良くならないのに、相手チームの投手と、こっちの打者が仲良くなることなんか絶対あり得ないです。田淵幸一と星野仙一は大学時代から仲が良かった? あり得るとしたら、言葉は悪いけど片方はアホ、もう片方は演技しているか、うまく付き合いたいから。どっちかじゃないですか。

1970年7月のオールスター第1戦で王貞治さん(左)と写真に収まる張本勲さん。このシーズンに残した打率3割8分3厘4毛は阪神のバース(3割8分9厘)に抜かれるまで16年間もプロ野球記録だった=神宮

 ▽イチローは自己管理で運も引き寄せた

 打撃には剛、強、柔と3通りある。「剛」はホームラン打者。「強」は私や川上哲治さん、あるいは長嶋茂雄さんみたいな中距離打者。「柔」というのはイチローみたいな短打ヒッター。イチローは何が一番いいかというと(構えた位置からスイング始動まで)グリップがほとんど動かない。正確さをまず重んじているから、どのコースでもバットの先が最短距離で出る。こういうバッターはほとんどいない。なぜなら短打バッターもアメリカでは「強」に入るから。遠くへ飛ばしたい、強い打球を打ちたいと思うから、どうしてもテイクバックは多少取るんです。反動をちょっと利用するわけです。
 イチローは運も強いわね。私らの商売は、力がある、技術が立派だ、これだけじゃ相手に勝てない。これは60%なんですよ。あとは自己管理が20%で、あとは運。運というのはどうしようもない。真芯で打っても打球が正面を突いたらどうしようもないでしょ。これは誰もが分からないが、スポーツには運は必ずある。その運を引き寄せるのは、やっぱり自己管理や、もろもろが一致しないとできないしね。飲んで食って遊びにいって、野球もうまくいきたいというのはね。何かを犠牲にしなきゃ。私も何百回も思い出した。今でも後悔していますよ。引退して40年以上たちますけど、何であの時は夜更かしして遊んだのか。いくらでもありますよ。やっぱり自己管理は一番難しい。若い、エネルギーがある、給料は多い、人気はある、ちやほやされる。遊びに行かない方がおかしいわな。

1978年の巨人時代の張本勲さん。この年に名球会が設立され、72年8月に2千安打を達成していた張本さんも入会した

 ▽プロに入って打ち方を変えた王と落合

 「剛」と「強」の違いは持って生まれたものでしょう。どうしようもないんですよ。肩の強さ、足の速さ、歌のうまいのと下手なのとあるじゃない。持って生まれたものだから。遠くへ飛ばす人、例えば大下弘さん、王貞治、田淵。これが典型的なホームランバッター。山本浩二とか長池徳士なんかは、もともと中距離バッターだから。落合博満も年間50本打ったけど、どっちかというとホームランバッターじゃない。
 打者はボール1個でも遠くから見たいから、王は一番後ろ(捕手寄り)に立って右脚を上げる。遠くから見た方がバッターは得で、その間に(打てる)ボールを探せるから。探しながら(手探り状態で)打ちにいくのと、探して(狙い球を待って)打つのじゃ天と地の差がある。トンボ捕りと一緒よ。動いているのを動きながら取るのと、じーっと待って取るのじゃ全然違う。そして、王は動きながら打っている。こんなバッターは見たことがない。一番不利な打ち方をしている。だから洞察力が一番たけているんじゃないの? 動きながら動く球を正確に打つというのは、普通はできませんよ。 

1980年5月の阪急戦で通算3千安打を2ランで飾り、コーチの祝福を受けて一塁を回る張本勲さん=川崎球場

 ホームラン打者はね、王みたいに集中力と忍耐なんですよ。ストライクでもホームランにできるような球じゃなければ平然と見逃さなきゃ駄目。逆にピッチャーは、それがまた怖いんですよ。怖いから失投が多い。王がヤクルト戦で3回歩かされてね、4打席目に3ボール1ストライクからホームラン打ったことあるんですよ。大したもんだなと思いましたね。後で聞いたら「ずっと待ってたんだ」と。落合は違うわな。落合はどのコースでも打てるから。(本拠地が両翼の狭い)川崎球場だからね。こつを覚えて近めの球を右の方へしゃくり上げて何本もホームランを打ちましたから。バットがむちのようにしなっていく。プロ野球に入ってから変えてるからね。王は一本足にしたし、落合も最初はあんな格好はしていなかった。ピッチャーが球種を覚えるように(打者も)相手のピッチャーに対応できるような形、技術、体力を身に付けないと。

1990年1月、恩人の故水原茂氏のレリーフの前で野球殿堂入りを喜ぶ張本勲さん=東京都文京区の野球体育博物館

 ▽投手に不利な対決をさせては駄目

 昔は3割バッターと言ったら、シーズンオフは肩で風を切って歩いてました。3人か4人しかいなかったものね。球があんまり飛ばないし。今は飛び過ぎる。なぜかと聞いたら、やっぱりメーカーがいいですね。本当に上手に作るそうですよ、アメリカの会社よりも。(糸を巻き付けて作る硬球の芯は)昔は手巻きで、今は機械でぐぐっと締まるから。アメリカが飛ぶボールを使いだしたからね。宣伝してるんですよ、ホームランを。一時は面白いけども野球が駄目になる。それこそピッチャーは大変。今は14、15勝で最多勝ですよ。打高投低で、全てバッター有利です。
 逆に言うと、こんなにひきょうな競技はない。人工芝、ドームで乾いている、球は飛ぶ。こんな不利な対決させちゃ駄目ですよ。平等な野球をさせてあげないと。ボールを規制するか、ホームベースの両側をボール半個分ずつ広げるか、あるいはマウンドを一律で高くするか、何かやらないと、平等じゃないでしょ。あなたの息子がピッチャーなら嫌なもんでしょう? 年中、打たれてね。こすった打球がホームランになるんだもん。話にならんよ。

2009年4月、マリナーズ時代のイチローさん(右)と談笑する張本勲さん=シアトル

 今はなぜ(打撃成績で)大きな数字が出ないかといったら、練習しないから。本人たちはやっていると思っているよね。私から見たら4分の1ぐらい。私らの時代は競争相手がやっていると思うから眠れないですよ。夜中の3時ごろ起きてね、50本振って寝る。今は相手がやらないから自分もやらない。それで3年、5年契約だからね。だから、ここが痛い、あそこが痛いと、みんな休みますよ。そりゃ、やりませんよ、給料が下がらないんだもん。私でもやりません。

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 張本 勲氏(はりもと・いさお)大阪・浪華商高(現大体大浪商高)から1959年に東映(現日本ハム)入団。広角打法で「安打製造機」と称された。名球会入り条件の2千安打は72年8月に達成。巨人、ロッテと経た23年間で3085安打。首位打者7度はイチロー(オリックス)と並ぶプロ野球記録。通算成績は打率3割1分9厘、504本塁打、1676打点、319盗塁。40年6月19日生まれの83歳。広島市出身。

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