京都市の「御土居」に防御機能 発掘調査で初発見 豊臣秀吉は北条氏の真似をした?

畝状の高まりが連続して見つかった御土居の堀底(京都市下京区・市中央卸売市場)

 豊臣秀吉の御土居跡(京都市下京区)の発掘調査で、堀底に畝状の高まりを設けた「障子堀」が見つかったと、市埋蔵文化財研究所が2日発表した。障子堀は関東の戦国大名・北条氏が用いた防御機能として知られ、市内での確認は初めて。御土居は近年、犯罪者の逃走防止や、水害予防などの目的が注目されてきたが、市埋文研は「築造の時点で外敵への防御を強く意識していたことがあらためて分かった」としている。

 調査地は御土居の南西部に当たる。3区に分けた調査範囲で幅5メートル分、南北長が計68メートル分の堀跡を検出。底に南北方向1本、東西方向15本の畝状の高まりがあり、一部が交差していた。畝は断面が半円のかまぼこ状で上面の幅は0.2~2メートル、堀底面からの高さは0.2~0.7メートル。東西の畝の間隔は北側が約7メートルと最も広く、南側は2~3.5メートルで造られていた。

 これまでの御土居の発掘調査でも、堀の畝状の高まりは見つかっていたが、断片的で障子堀の痕跡かどうか分からなかった。だが、今回、畝が一定の間隔で造られていた上、東西方向と南北方向が交差した部分も見られたことから、障子堀と断定できたという。

 城郭史に詳しい中井均・滋賀県立大名誉教授は「御土居は、秀吉が北条氏を滅ぼした『小田原攻め』の翌年に造られた。北条領でのみ定着していた障子堀が、全国の近世城郭へと広がる過程を考える上で重要な成果だ」と評価している。

 調査地は市中央卸売市場の構内で、建物整備に伴い、約800平方メートルを1月末まで調べていた。既に埋め戻し、現地説明会は開かない。

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