悲運のバンド、バッドフィンガーを率いた故ピート・ハムが残した『セヴン・パーク・アヴェニュー』

『Seven Park Avenue』(’97)/Pete Ham

厚い雲に覆われた、重苦しい冬空を眺めていると、同じく憂鬱そうな英国の空を思い浮かべてしまう。そんな時、ふっと脳内にプレイバックされたのが、彼の歌声だった。流れていたのは「ミッドナイト・コーラー(原題:Midnight Caller)」という、彼が率いたバンド、バッドフィンガーの2nd作『ノー・ダイス(原題:No Dice)』(’70)に収められた一曲だったが、ヒット曲でもなく、代表作でもないその曲がなぜ選ばれたのかは計りかねたが、これも何かの縁と思い、彼、ピート・ハムの遺した作品集『セブン・パーク・アヴェニュー(原題:7 Park Avenue)』を紹介したいと思った。

ピート・ハムは1975年4月24日に27歳で亡くなっている。…と書くのも辛くなる、もう50年近くなるというのに未だに胸が締めつけられるような気持ちにさせられるのは、亡くなった原因が自ら命を絶ってしまったからだろう。数あるロックミュージシャンを見舞った悲劇的なエピソードの中でも最も悲痛さを伴うものだった。そして、その才能を思うと、もう少し彼が決断を思いとどまり、80年代、90年代と曲を書き続け、歌っていたら、間違いなく…と、成功を予想させたからだろう。だから余計に彼のことを思い出すたび胸が痛む。あまりにも惜しい。今更ながら、音楽界のとてつもない損失だったと思う。

本作『セブン・パーク・アヴェニュー』について

1997年にこのアルバムが出た時は衝撃だった。まさか、ピート・ハムの未発表音源集が出るとは思ってもみなかったので、思わず心臓がドキドキしたものだ。多くはピートが自宅でコツコツと曲を作り、宅録のかたちでデモテープに残していたものからなり、バッドフィンガーのアルバムに収録されることになる弾き語りによるデモバージョンなども含まれている。驚いたのはその完成度で、ピートがデモの段階でしっかり曲を作り込み、アレンジまで固めていたことを窺わせるような内容になっている。そのままスタジオでレコーディングできそうだし、曲によっては現在の編集技術を持ってすればリリースできそうな曲もあった。何より、しっとりと感情に訴えかけてくる曲/歌はバッドフィンガー以上にバッドフィンガーらしいもので、デモ録音ならではの生々しさも手伝って、ショックのあまり泣きそうになった。だから、思わず心の中でつぶやいてしまったものだ。「ピート、バンドに縛られずにいっそソロになってみても良かったんじゃない? 重い荷物を降ろせば良かったんだよ」と。でも、今さら何を言っても、それはあまりにも遅すぎたのだ。

全23曲中、未発表曲が19曲もあった。ピートの未発表音源はまだ残されていたらしく、本作のあと99年には続編となる『ゴールダーズ・グリーン(原題:Golders Green)』がリリースされ、こちらも必聴である。また、本稿を書くにあたってネット上のサブスクリプションを調べると、2013年にはデビュー前の1966年、67年頃に録られたとする『Keyhole Street:Demos』というデモ音源集がVol.1、Vol.2とアップされているほか、2023年にも『Gwent Gardens』『Misunderstood』というデモ音源集がリリースされている。さすがに曲のダブりもあるし、良好な録音、内容のものは本作『セブン・パーク〜』で出尽くしているとも言えるが、どれも問題なく聴け、興味深い内容だ。現在のところ正規版のCDとしてリリースされてはいないようだが、未だに音源が発掘されていることに驚いている。ピートの遺族や知人たちの尽力による発表だと思うが、その熱意と愛情には頭が下がる。

ビートルズの弟バンドのようなバンド、バッドフィンガーの栄光と悲運

ピートの才能が発揮され、それを一般に知られるようになったのは、冒頭に書いたバッドフィンガーにおいてだった。その前身だったアイビーズがビートルズが起こしたレーベル、アップルと専属契約し、バッドフィンガーと改名して、アルバム『マジック・クリスチャン・ミュージック(原題:Magic Christian Music)』(’70)でメジャーデビューを果たすのだが(リンゴ・スター出演の映画のサントラになるはずの作品だったが、紆余曲折があり、実質バンドの1st作となる)、ポール・マッカートニーが楽曲提供、レコーディングセッション、プロデュース、ジョージ・マーティンがストリングスで協力と、まさにビートルズのバックアップのもとに制作されている。レコーディングがEMIスタジオのほか、トライデント、オリンピック等で行なわれて、プロデュースにポールのほかにマル・エヴァンス、デヴィッド・ボウイやT-REXとの仕事で知られるトニー・ヴィスコンティが関わっているのが異色。アルバムからは「マジック・クリスチャン・ミュージック(原題:Come And Get It)」「明日の風(原題:Carry On Till Tomorrow)」「メイビー・トゥモロウ(原題:Maybe Tomorrow)」といったヒットも生まれ、まさに輝ける将来が約束されたような、幸先のいいスタートだった。

続く2nd作『ノー・ダイス(原題:No Dice)』(’70)からは新たにギター、ヴォーカルのジョーイ・モーランドが加入し、ギター、ピアノ、ヴォーカルのピート・ハム、ベース、ヴォーカルのトム・エヴァンス、ドラムのマイク・ギビンズからなる4人の固定メンバーとなる。ピート、トム、ジョーイそれぞれがリードヴォーカルを取れ、曲も書けるのはビートルズ同様、作品を充実したものにした。そして同作収録の「嵐の恋(原題:No Matter What)」に示されるようなポップ感覚あふれる軽快なロックは、後年語られるようになる“元祖パワーポップ”の称号も頷けるバッドフィンガーの魅力だった。そしてもうひとつ、彼らを永遠のものにしているのが、ピート・ハムが書き下ろすメロディアスな曲だった。2nd作に収められた「ウィズアウト・ユー(原題:Without You)」(トム・エヴァンスとの共作)、3rd作『ストレート・アップ(原題:Straight Up)』(’71)から世界的な大ヒットを記録した「デイ・アフター・デイ(原題:Day After Day)」、「ネイム・オブ・ザ・ゲーム(原題:Name Of The Game)」などは心の琴線を鷲掴みにされるような名曲だ。その頃、ジョージ・ハリスンが主催したロック史上初のチャリティーイベント、『バングラデシュ・コンサート』にバッドフィンガーも出演している。ディラン、クラプトン、リンゴ・スター、レオン・ラッセル(+シェルター・ピープル)、ビリー・プレストン…など、スーパースター級の出演者が居並ぶ中に、さすがにバンドの出演枠はない。それでも、ジョージ・ハリスンのステージで、あの「ヒア・カムズ・ザ・サン(原題:Here Come The Sun)」のギター伴奏をピート・ハムが務めている(そういう役割を振るジョージの気遣いにもグッとくる)。マジソン・スクエア・ガーデンの大観衆を前に緊張の極みだったと思うが、ピートはしっかり仕事をこなしている。嬉しかっただろう。もしかすると、彼の人生最上の時間だったかもしれない。
※動画サイトを検索すると出てくるので、ご覧ください。
※ピートはジョージやリンゴ・スターのアルバムでもレコーディングに参加している。
※ジョーイ・モーランドとトム・エヴァンスはジョン・レノンの『イマジン(原題:Imagine)』(’71)のレコーディングセッションに参加している。

ちなみにバンドの最高のヒット作となる3rd『ストレート・アップ』が『バングラデシュ・コンサート』後の12月にリリースされるのだが、アルバムは最初ビートルズのレコーディングエンジニアだったジェフ・エメリックの手で進められ、途中からジョージ・ハリスンにバトンタッチするが、ジョージが同年8月のコンサートの準備で手が回らなくなり、別のプロデューサーを探さなければならなくなる。そこで白羽の矢が立ったのがあのトッド・ラングレンで、彼のプロフェッショナルなレコーディング作業にメンバーは圧倒されつつ、一方で彼の偏執狂的なスタジオワークからくるプレッシャーには相当苦しめられたらしい。メンバーを罵倒、ののしり、こき下ろし、罵詈雑言と、トッドの“しごき”は相当なものだったらしい。彼ならではの叱咤激励だったと思いたいが、後のXTCの『スカイラーキング(原題:Skylarking)』レコーディング時のバンドとの軋轢、アンディ・パートリッジとの確執など有名なエピソードを思い出すと、仕事人トッドはやはりアクの強い人物なのだろう。それでもアルバムは後々まで評価される仕上がりとなり、シングル「デイ・アフター・デイ(原題:Day After Day)」は世界中で大ヒットした。特にこの曲でギターを弾いているジョージ・ハリスンのスライド・ギターは彼自身のソロ作「ギヴ・ミー・ラヴ(原題:Give Me Love (Give Me Peace on Earth))」(アルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(原題:Living in the Material World)』収録)と並ぶベストプレイだろう。アルバムはジョージ・ハリスンとトッド・ラングレンのプロデュースが混在しているが、「デイ・アフター・デイ」はトッドが担当している、とのことだ。

ワーナーに移籍し、 充実作を出す一方で悲運に見舞われる

バッドフィンガーに話を戻すと、ここまでの紹介だとバンドは順風満帆、ビートルズ・ファミリーの庇護のもと、恵まれた環境で…と思われそうなのだが、実際はそうではなかった。デビューはしたものの、親会社とも言うべきビートルズの設立した「アップル」の経営はガタガタで、ビートルズ自身の存続さえ危ぶまれる内紛状態にあった。バッドフィンガーに対し、アップルからは何のプロモーションもバックアップも、援助もなかった。おまけに、バンドが契約した米国人のマネージャーが実はマフィアに通じる詐欺師のような人物で、バンドにとって不利益な内容の契約を結ばれていた。どうしてそのような契約になり、破棄もできなかったのか不思議というか謎なのだが、バンドはヒット作を出しているというのに、メンバーは極貧で衣食住にも事欠く生活だったというのだ。いいアルバムを作ればいつかは報われる…それだけを心の張りに、「アップル」への当てつけのようなタイトルをつけた4作目『アス(原題:Ass)』をリリースし、バンドはワーナーに移籍する。契約の関係で『涙の旅路(原題:Badfinger)』(’74)、『素敵な君(原題:Wish You Were Here)』(’74)と年に2作という尋常ではないレコーディングが行なわれているのだが、内容は悪くないというか、「涙の旅路(原題:I Miss You)」「ロンリー・ユー(原題:Lonely You)」「Just A Chance(原題:ジャスト・ア・チャンス)」をはじめ、楽曲は粒揃い。プロコルハルムやピンク・フロイド、ロキシー・ミュージックを手がけた経歴の名匠クリス・トーマスのプロデュースのもと、聴き応えのある仕上がりになっている。ところが、ワーナーとの契約金を横領し、召喚された公聴会での証言を拒み、使途不明のままマネージャーが失踪する。この問題がバンド側とワーナーとの間で訴訟問題に発展し、出回っているアルバムがストアから撤去されるという事態になる。

バンドは辛い現実から目を逸らし、音楽だけに集中するように休む間もなく古巣アップルのスタジオで次作となるレコーディングを行なっているのだが、ワーナーはバンドの一切のアルバムの配給を停止し、レコーディングした音源は全てお蔵入りとなる。バンド内の人間関係も乱れ出し、ジョーイ・モーランドが脱退するという段階になって、ピートは将来を悲観し、ついに自ら命を絶ってしまうのだ。その数年後にはトム・エヴァンスまでが命を絶つという悲劇の連鎖が起こっている。
※2000年になって、ワーナーがリリースを差し止めた1975年に録音した幻の音源が『ヘッド・ファースト(原題:Head First)』のタイトルでリリースされ、ファンを驚かせた。ジョーイ・モーランドは脱退して不参加。アルバムの完成度、ピートの書く楽曲のレベルは苦境にあっても高く、当時の音楽シーンをきちんと見据え、スワンプロック的なアーシーなサウンドにも取り組んでいる。絶望的な中にあっても、ピートがバンドとともになおも前に進もうとしていたことが聴き取れる。

閑話休題 ポピュラー音楽史上に残るラヴバラードの傑作「ウィズアウト・ユー」

「ウィズアウト・ユー(原題:Without You)」はハリー・ニルソンがアルバム『ニルソン・シュミルソン(原題:Nilsson Schmilsson)』(’71)でカバーし、これが大ヒット、米英ともにチャート1位を獲得している(ニルソンは同曲はポール・マッカートニーの作だと思い込んでいたらしい)。それから23年後、今度はマライア・キャリーがアルバム『ミュージック・ボックス(原題:Music Box)』(’94)の中でカバーし(ニルソンのバージョンを)、これも米国3位、英国1位という大ヒットになっている。このふたりに留まらず、この曲はこれまでに200近いアーティストにカバーされているらしい。それに対し、バッドフィンガー好きはよく言ったものだ。「とても喜ばしいよね。あの曲の素晴らしさが多くに認められてるんだから。ピートとトムの曲だという認識があるのかはともかく」。そして、コーラス・パートを思いっきり劇的にアレンジしたニルソンの、あるいはソウルシンガー風にエモーショナルに歌い上げたマライアのバージョンよりも、抑揚を抑え、切々とピートが歌ったオリジナルのバッドフィンガーのバージョンを絶賛するのだ。

決して多くに支持されることもなく、はかない末路をたどったバンド、バッドフィンガー、そのリーダーであり、悲劇的な最期を遂げてしまったピート・ハム。そんなこともあって、なかなか陽気には語れないのだけれど、仲間で飲んだりしていると、きまって誰かが「バッドフィンガー / ピート・ハム、好きなんだよな…」と言い出したりすることがあり、コアなファンには忘れがたい存在であることは間違いない。そして、たぶん一度好きになると、ずっと好きなままなのだ。2013年にはピートの故郷、ウェールズのスウォンジーという町の、彼がバンドと練習をしていた建物の壁に、生前のピートの功績を称え、プレートが飾られたという。娘のペトラ・ハムが除幕し、式にはジョージ・ハリスンの未亡人オリヴィアも立ち会ったそうだ。残された音楽はほんとうに素晴らしい。ぜひ聴いてみてください。

TEXT:片山 明

アルバム『Seven Park Avenue』

1997年発表作品

<収録曲>
1. キャサリン・ケアズ/Catherine Cares
2. コバトーン・ブルース/Coppertone Blues
3. イット・ダズント・リアリー・マター/It Doesn't Really Matter
4. リヴ・ラヴ・オール・オブ・ユア・デイズ/Live Love All of Your Days
5. ウッド・ユー・ディナイ/Would You Deny
6. ディア・ファザー/Dear Father
7. マッテド・スパン/Matted Spam
8. 嵐の恋/No Matter What
9. リーヴィング・オン・アミッドナイト・トレイン/Leaving on a Midnight Train
10. ウィープ・ベイビー/Weep Baby
11. ハンド・イン・ハンド/Hand in Hand
12. シル・ベブ/Sille Veb
13. アイ・ノウ・ザット・ユー・シュッド/I Know That You Should
14. アイランド/Island
15. ジャスト・ルック・インサイド・ザ・カヴァー/Just Look Inside the Cover
16. ジャスト・ハウ・ラッキー・ウィー・アー/Just How Lucky We Are
17. ノー・モア/No More
18. リングサイド/Ringside
19. ジャスト・ア・チャンス/Just a Chance
20. ア・ハート・ザット・キャント・ビー・アンダー・ストゥッド/The Heart That Can't Be Understood
21. カム・カム・トゥモロウ/Come Come Tomorrow
22. ブレッシング・イン・ディスガイス/Blessing in Disguise
23. ノウ・ワン・ノウズ/Know One Knows

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