能登半島地震で被災した石川県穴水町立穴水中学校3年の竹端(たけはな)ひかりさんは鹿児島市の親戚宅に避難し、受験勉強に励む。自宅は教科書がどこにあるか分からないほどめちゃくちゃで、度重なる余震に恐怖を覚えた。3月上旬の高校受験まで親元を離れて過ごす。「支えてくれる人への感謝を力に変えて頑張る」と前を向く。
2月1日夜、竹端さんは鹿児島市の進学塾MUGEN紫原校で同市の生徒と机に向かっていた。「受験まで面倒を見てほしい」。石川県の塾から人づてにMUGENの小牧聖社長に依頼がありつながった縁だった。竹端さんは「電気もつかず、雨漏りや断水で生活もままならなかった」と明かす。
自宅の2階で勉強をしていた時、地震に襲われた。ゴギゴギゴギ。屋根や壁がめくれ、1分の揺れは3分以上に感じた。祖母の姿が見えず、泣きながら「おばあちゃん」と叫び続けた。
揺れが収まり、机の下に入って無事だった祖母を発見。直後に大津波警報が発令され4人で近くの避難所へ走った。「非常用袋の場所が分からず、何も持たず家を出た。玄関前に置いておけば良かった」
珠洲市にいた両親と連絡が取れたのは1月1日夜。再会後、家族6人で2日間車中泊した。午後5時には真っ暗。夜はタブレットを使い勉強するしかなかった。「後れを取っているかも」と焦りは強まった。
親戚宅への避難を両親から提案され鹿児島行きを決意。父・裕さん(46)から「受験に集中してほしい。周りへの感謝だけは忘れないように」と背中を押してもらった。14日に高校2年の兄と空路で出発した。
穴水中は避難などで学校に来られない生徒のためオンライン授業を実施。午前中は親戚宅で授業を受け、画面上で級友の無事を確認する。取材に応じたのは「被災したからこそ分かった教訓を伝えなければならないと思った」からだ。
食べ物がない中で分けてくれた人、学びの機会を守ろうと動いてくれた人…。人の温かさに救われた1カ月でもあった。「友達と話したり勉強できたりするのはとても幸せなこと。多くのものを失ったが、そう気づけたことは財産だと思う」