眼毒を奪う

 鬼神のまなざしには「眼毒」があり、見られた者は害をこうむると古来、信じられてきたらしい。節分に豆をまくのは〈鬼が無数の豆を数え拾う内に、邪力衰(おとろ)うべき用意であろう〉と、民俗学のほか多くの学問に通じた南方熊楠(みなかたくまぐす)は「十二支考」(岩波文庫)に書いた▲鬼に豆を数えさせて、視力を弱らせ、眼毒を無効にする。古人は邪悪な視線をよほど恐れたらしいが、投げられた豆を一つ、二つと、律儀に数える鬼の姿を想像すると、妙におかしい▲親しみを込めて、国語学者の金田一春彦さんはこう説明している。〈来年のことを言うと笑い出すユーモアを解し、同情すべき場面では目に涙をためるやさしさをもち…〉(新潮文庫「ことばの歳時記」)▲「鬼が笑う」「鬼の目にも涙」のことわざ、例えを引き合いにしている。このひと月、その字を含む「魂」の一字を何度となく心に浮かべてきた。金田一さんをまねて、鬼に近しい思いを寄せなくもない▲政治不信に物価高と、穏やかでない空気が社会を覆う。私事のあれこれも含めると、追うべき鬼の数は、誰しも一つや二つではあるまい▲優しく、親しみを覚える鬼には手心も加えたいが、とりわけ今年の節分は、まく豆を“増量”したくなる。数える豆が増えた鬼の目はかすみ、眼毒が奪われますように。(徹)

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