とあるSNS投稿の炎上から喚起させられた、“昭和レトロなムーブ”への思い

この連載の名前は「街の昭和を旅する」。

ふだんは、私が昭和の街を歩いたり、見聞きしたことをぼつぼつと記しております。ですが今日は突然ですが、別の方の話をさせてください。SNSを使って、昭和レトロな発信をし、人気を博している方について、ちょっとふれたいのです。

※写真はイメージです。

昭和の“全て”

その方は、Twitter(現:X)で活動されていて、結構前(数年前だったかな?)から、投稿記事がリツイートによって私のタイムラインにもたびたび流れてきていました。

昔懐かしい「写ルンです」で撮ったような、あえて彩度を抑えた、淡い色合いの写真投稿が多いのですが、そこに写っているのは、バブル期風のスーツだとかワンピースだとかをまとったご本人。エログロ味を感じる成人映画館の前などでポーズを撮ったりしています。

おそらく20代前半と思われる若い女性なのです。

ときどき投稿が回ってくるものの、正直に言って、私はまったく興味がありませんでした(ごめんなさい!)。

ところが、先日、記事の前にいったん立ち止まってしまう一事があったのです。

その方の投稿が、炎上したんですね。

SNSのウイークポイントが一気に出てしまったように見えました。

「昭和の全てを愛している」

彼女は昭和衣装を着た自分の写真に、こんな意味合いのキャプションをつけていました。

「明るい昭和レトロムーブ」とでもいえるような、肯定的でキラキラした世界観ですし、なによりSNS的に大変見栄えのいい、極端で、意味の飛躍の大きい、説明を尽くさない言い回しです。

ここに噛みつかれてしまいました。

昭和から生きてきた人たちから、あの時代はそんないいものじゃなかった、あなたはわかっていない、という批判コメントがわんさかついてしまったのです。

明るい昭和、暗い昭和

指摘内容は、私にもよく理解できました。やっぱり「全て」だと、ひっかかりますね。
子どもだった私でも、大人たちに守ってもらえていた立場でも、昭和には愛せない、目にあまるものがありました。

なにかいたずらでもすれば顔が真っ赤になるほど教師から殴られたこと、親戚が集まっての宴会では男たちが酒を飲んで楽しむなか母や祖母は座ることもできず終始接待係をしていたこと、いつでもどこでも幼子がいようとタバコの煙むんむんの場所ばかりだったこと、異文化やよそ者へは容赦ない視線や言葉を投げかけていたこと、身体が不自由な人、豊かでない人への軽侮の目や無視にあふれていたこと、今たった数秒思い出そうとしただけでも、いくつでも挙げられます。

それでも私は昭和50年代生まれの40代半ば。中学に入る前に昭和は終わってしまいました。実体験としての昭和なんてほとんど知りません。昭和文物の残滓や昭和戦後期に濃厚に生きた人々との接触が平成半ばくらいまで日常にあったことで、その人々の感覚や常識、生活様式の残り香を感じたり、なんとなく推定することができたにすぎません。この体験は彼女よりは一日の長があるにしても、「昭和」への価値判断の根は、ほとんどは後年、記録されたものによって育てたように思います。

20代の彼女が追っている昭和への距離と、私と昭和へのそれとで、大した隔たりはないんじゃないでしょうか。

そう思うと、「全てを愛している」への違和感よりも、全てを肯定のムードでなぎたおす彼女の世界観の力強い明るさのほうが断然際立って感じられてきてしまったのです。

そしてその明るさは、私にはどうしても愛すことができない昭和レトロのある風潮への、カウンターとしての機能をも果たしてくれました。

私が愛せないのは、「陰険な昭和レトロムーブ」とでも呼ぶべきものです。

彼女が明るさを演出するのと同じくらいの強さで、真反対、昭和の暗さを極端に打ち出すSNS投稿もよく目にすることがあります。有害では?と思える投稿も少なくありません。

そもそも、街角スナップと結びついた昭和レトロ探訪自体は、SNS上でありふれているものですが、それらと差別化するためでしょう、暗黒の昭和、醜怪な昭和を打ち出そうとしている場合があるのです。

開発の手の入っていない木造長屋群や集落を撮って、写ルンですの淡い色味とはこれまた真逆の、陰鬱でグロテストな色合いへとレタッチしつつ、あたかもそこはいわくありげで、なんらかの社会問題やタブーが含まれているように匂わせた投稿をする人がいます。検証を経た批判精神はそこになく、嘲笑と陰険さだけが漂う投稿。

明るいもの、というのはあっけらかんとしていて、なんだか奥行きがなく愚かに見えるようで、イヤなんでしょうね。暗く陰鬱なものは、賢そうで、深そうで、斜に構えているように見え、表層ではなく、まるで物事の深淵を覗いているような気持ちがするんでしょう。

でも物見遊山に来た人がパッと外から撮ってアップした写真とごく短いキャプションが、その一角のなんらかの問題をえぐることなどありません。

私にはただ、顔も晒さずに土地をコッソリと撮り、土地に因縁だけはつけて立ち去っていく人の陰険さだけが臭ってきます。

怖いのは、ひとつ間違えれば、その土地や住人へのレッテル貼りにつながり、それこそ時代錯誤な昭和的差別を復活させる危うさを、これらの投稿がはらんでいることです。前述の「昭和はそんないいものじゃなかった」の声より数段、タチがわるくないですか。

光をみつけたい

彼女の明るさは、こうした表面的な陰惨と、臭う陰険などより、ずっとずっと注目を集め、ばっさばっさとなぎはらって、昭和の魅力的な部分だけを抽出して知らせ、一種のさわやかさを感じさせてくれたのでした。

それに、ダサいものも溢れていた昭和時代のあまたの文物から、一見野暮ったいように見えても一周回って現代人にはかえってイケているという絶妙なポイントを次々に抽出できる取捨選択力のある彼女が、昭和の不条理や暗部・理不尽にまったく無知のわけはないと思います。あえて、いいものだけを選び出しているのです。

あれだけ批判が集まったのは、「若い女性だから」というバイアスがかかって、あなどりとなったり、あるいは昭和レトロアイドル化していく彼女へのジェラシーもあったと思えます。
さらに彼女は、あの時代を生きた人々が受けた理不尽な屈辱の記憶やルサンチマンを解消するための、供儀にもされたように私には見えました。

さて、ここで私自身の昭和への向き合い方についても少し触れざるを得ないですよね。

自分にとっての昭和時代は、わけても戦後。親や、じいさんばあさんたちが生きた時代のことで、それを知ることに喜びを感じます。今の私たちの生活や価値観に直接の影響をあたえている時代の価値観はどこからやってきたのだろう、われわれはどんな特性を受け継いでいて、これからどこへいくんだろう、といつも考えてしまいます。

それこそ、もっとも陰惨たる昭和であった戦争の聞き取りや記録調査、記事を書いているのも、戦後盛り場の光と影を聞き歩いてきたのも、そこへ繋がっていきます。息を忘れるほどの、暗澹そのものの話も聞きました。現在の人権感覚からしてありえない話も無数にありました。「暗い昭和」は知らないわけではありません。

暗さと明るさは表裏一体、物事は二律背反を腹蔵しながら進んでいきます。

いやそれでも、と私は思うのです。敗戦で荒廃したこの国で光をみつけたい、貧しさから這い上がりたい、そう思って自分や家族のために身を粉にして働いてきた人々の暗い日常に差す明るい光が、あの時代に間違いなくあったのだと。それを冷静に追い、今につながるなにかをつかまえたい、そう思っています。

ということで、今回は、「明るい昭和レトロムーブ」を広め、いまや数十万フォロワーのアカウントへと一気にかけのぼっていった見も知らぬ方に、勝手に元気をもらったことを長々書いた回でした。

よーしおじさんも負けないで、おじさんの立ち位置でがんばっちゃうぞー。

すみませんな、この昭和ノリだけは、すでにしっかり身に沁みついておりまして。

文=フリート横田

フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『横丁の戦後史』(中央公論新社)。現在、新刊を執筆中。

© 株式会社交通新聞社