ソフトバンク大関友久、背番号47で夢のメジャーリーグへ決意の再出発

ⒸSPAIA

昨季初の開幕投手も5勝どまり

開幕前は誰が務めるのか話題になる開幕投手だが、1年も経てばすっかり忘れられるのも入れ替わりの激しいプロ野球界の現実だ。ソフトバンクの大関友久は2023年に初の大役を務め、7回2安打無失点の好投で勝ち投手となった。

最高のスタートを切ったものの、その後は勝ち星を伸ばせず、結局17試合登板で5勝7敗、防御率2.92。これまで斉藤和巳、和田毅、杉内俊哉、摂津正、千賀滉大らが務めてきた歴代開幕投手に名を刻んだが、2024年は昨季10勝を挙げた有原航平や8勝を挙げた和田毅らが有力視されており、今のところ候補者の中に大関の名前は見当たらない。

オフには1000万円増となる推定年俸5500万円で契約を更改し、将来的なメジャー希望も口にした。背番号も42から47に変更。志を高く持ち、歴代の名左腕が背負ってきた番号で再出発を図る。

3年連続V逸となったチームは小久保裕紀新監督を迎えて勝負のシーズン。大関にかかる期待は決して小さくない。

工藤公康、杉内俊哉、帆足和幸ら左腕が背負った「47」

背番号47は工藤公康が西武時代から現役生活の大半で背負ったことから左腕のイメージが定着した。

ソフトバンクの前身、南海時代は広永益隆ら野手が背負ったこともあったが、ダイエーにFA移籍した工藤公康が1997年に「21」から「47」に変更。2002年からは通算142勝を挙げた左腕・杉内俊哉が背負い、2013年から3シーズンは通算90勝左腕・帆足和幸がつけた。

2016年からはドラフト1位で県岐阜商から入団した右腕・髙橋純平が背負ったが、昨季限りで引退。 空いた「47」を大関が受け継いだ。プロ通算12勝しか挙げていない左腕が「47」を背負ってメジャー希望を公表する胸の内には、並々ならぬ覚悟があるだろう。自らにプレッシャーをかけ、今季への意気込みは相当なはずだ。

2022年の精巣がん手術乗り越え

大関は土浦湖北高から仙台大を経て2019年育成2位で入団した26歳。2021年に支配下登録され、2022年にはプロ初勝利を挙げたが、8月に精巣がんの手術を受けた。シーズン中の復帰は難しいかと思われたが、9月25日のロッテ戦で一軍復帰し、最終的に21試合登板で7勝6敗、防御率2.93の成績を残した。

そして開幕投手に抜擢された2024年は5勝どまり。病気で野球をしたくてもできない苦しみを知ったことが、より高みを目指す向上心につながっているのかも知れない。

ソフトバンクは千賀滉大、甲斐拓也、牧原大成、周東佑京ら多くの育成出身選手が大成したことで知られるが、同時にそれ以上の育成出身選手がプロ野球界を去っているのも現実だ。

直近5年を振り返っても、大関が指名された2019年育成ドラフトで7人、2020年は8人、2021年と2022年は14人、2023年は8人が指名されている。育成入団から厳しい競争を勝ち抜いて一軍でレギュラーをつかむのはほんの一握り。それを分かっているからこそ、自らにプレッシャーをかけ、歯を食いしばってトレーニングに励むのだ。

「47」を背負う大関が名左腕の系譜に恥じない活躍を見せるか。小久保ソフトバンクの浮沈のカギを握る一人と言っても決して過言ではない。



© 株式会社グラッドキューブ