「ディストピア小説の極致」翻訳家・金原瑞人に聞く、ジョージ・オーウェル『絵物語 動物農場』の“警鐘”

20世紀世界文学の傑作小説『1984』。1949年に発表された本作は、近未来の全体主義的なディストピア社会を描いており、世界が混沌とする今もなお注目されつづけている古典だ。その著者ジョージ・オーウェルが、ソヴィエト連邦の歴史をモデルに書いた動物寓話が『動物農場』。ある農場で動物たちが人間を追い出し、自由と平等を理想に掲げた社会をつくろうとする。一見ユートピアが誕生したかに思われたが、そこでは搾取や情報改竄などが横行することになって...。

そんな作品の新訳『絵物語 動物農場』がパイ インターナショナルから刊行された。翻訳家・金原瑞人氏による巧みな訳文、そしてベルギーの絵本作家カンタン・グレバン氏による美しい挿絵が新たな魅力を伝えている。金原氏に刊行に至った背景や翻訳をする上で心がけたことについて話を聞いた。(篠原諄也)

■4社の出版社に断られていた『動物農場』

ーー『絵物語 動物農場』を翻訳した経緯を教えてください。

金原:実は以前、他の出版社から『動物農場』翻訳の話があったんですが、なかなか重い腰が上がらなかったんです。良い作品なので若い人たちに読んでほしいと思っていましたが、最初から最後まで暗い話なので翻訳するのが辛そうで。その時は雑談で少し出た話だったこともあり、結局、ペンディングになっていました。

そして今回、パイ インターナショナルから、同作が動物の絵物語となった本があると紹介されたんです。この本はカンタン・グレバンの絵がとてもいいんですね。活字だけで読んだときの印象と違って、見るだけで楽しくて温かい気持ちになります。物語の中で、動物たちはナポレオン(動物農場を統治する豚)の言いなりになって、いいように搾取されてしまう。それは活字だけだと冷たく辛辣な感じがするんですが、絵で描かれている動物たちはそれぞれかわいくて個性的で、親近感が湧いてきます。最後に人間たちに混じって、ナポレオンが酒を飲んでトランプをしているところなんか見ると、彼が愚かな人間のようにも描かれていることがうまく伝わってくる。この絵があるならと思って、翻訳を引き受けることにしました。

ーー第二次世界大戦中に書かれた本作は、当時のソヴィエト連邦をモデルにしているそうですね。その背景を教えてください。

金原:『動物農場』は岩波文庫で川端康雄さん訳でも出ているんですが、その(巻末)付録として、オーウェルが出版にまつわるエピソードを書いたエッセイが収録されています。それによると、オーウェルが本作の構想を思いついたのは1937年、書き出したのは43年だった。そして書き上げたのちに、なんと4社もの出版社に断られたそうです。

第二次世界大戦中の当時、ドイツとソヴィエトが独ソ不可侵条約を結んでいました。しかしドイツはいきなりそれを破って、ソヴィエトに破竹の進撃を始めた。そこでアメリカやイギリスの連合軍がソヴィエトに援助をして、同盟が広がりました。つまり、アメリカもイギリスも、親ソヴィエトだったわけです。そういう雰囲気が国中に広がっていたために、反ソヴィエトの本はなかなか出版できなかったと書かれています。

しかも政府からの弾圧ではなく、出版社からの「自粛」という形で断られている。そうした事実に触れるのはまずいという、世間の暗黙の合意なんですね。これは本当に今の日本のマスコミ・出版界にもそのまま当てはまると思います。いろいろなニュースが自粛の形で報道されないことが多いでしょう。

しかし、オーウェルはそういう状況の中でも何とか、出版に漕ぎ着けます。そして1945年の終戦からしばらくすると、今度は米ソ対立の冷戦時代に入って、反ソヴィエトの機運が盛り上がる。その流れに乗ってこの作品はアメリカでもイギリスでもベストセラーとなって、いろんな国に翻訳されるようになりました。

■苦労した「comrade」の翻訳

ーーそもそも、反ソヴィエトの物語を執筆したのはなぜでしょうか。

金原:反ソヴィエトというより、当時、オーウェルは独裁者による全体主義的な国家に対する反発がありました。オーウェル自身、心よき社会主義者で、『パリ・ロンドンどん底生活』という本まで書いています。貧しい人の実際の生活を目の前で見て、それを自分なりに受け止めて、どうすればいいかを真剣に考えた人だった。そういう意味では、資本家に対する怒りが強かったわけです。

しかしそういう中で、ロシアではレーニンによるロシア革命が起こったものの、その後スターリンが実権を握って独裁者となり、自由のない全体主義的な国になってゆく。そしてトロツキーなど自分に敵対する人々を徹底的に弾圧し追放していました。それがオーウェルにとって、非常にショッキングな事件として心に残ったんだと思います。

訳すときに一番気になったのは「comrade」=「同志」という表現が出てくるんですね。「同志ナポレオン」や「我々同志」といった言い方が何度も出てきます。これは(共産主義国家)ソヴィエト連邦の連帯感をうまく表す言葉でした。しかし、今の若い人が読んだときに、動物たちがいきなり「同志」と言い出すと、ちょっと違和感が強すぎるかなと思ったんです。だから、なるべく使いたくなかったんですが、最後にナポレオンの人間に対する演説で「同志」という呼び方は廃止するという発言があります。するとどうしてもどこかで使わなくてはいけない。というわけで、なるべく削って必要なところだけ使用するようにしました。これが翻訳で一番苦労したところでした。

ーー他に翻訳する際に心がけたことはありますか。

金原:若い読者、できれば小学校高学年の子供たちでも読めるように、原文よりも少しやさしい文章にするように意識しました。

たとえば冒頭に(舞台となる)「お屋敷農場」という言葉が出てきます。これは英語では「Manor Farm」なんですが、これまでは「荘園農場」と訳されてきました。しかし、「荘園」と言われても、多くの人にはわからないと思うんです。これは貴族や領主の私有地のことです。この本の「Manor Farm」は代々続いている大きな農場といったイメージだと思います。かといって、そのまま「マナー農場」とすると固有名詞のように読めてしまう。なので「お屋敷農場」という言葉で、昔ながらの古い農場である感じを出すようにしました。

あとは好みの問題かもしれませんが、「Mr.Jones」や「Mrs.Jones」はそのまま「ミスタ・ジョーンズ」「ミセス・ジョーンズ」と訳しました。これまでの訳は、「ジョーンズ氏」と「ジョーンズ夫人」となっていました。でも、今の若い人にとっては「ミスタ・ジョーンズ」「ミセス・ジョーンズ」のほうがわかりやすく、絵物語である本作に合っているかなと思ったんです。

■ディストピア小説のあらゆる要素がシンプルにまとまっている

ーー金原さんの『動物農場』という作品に対する評価を教えてください。

金原:いわゆるディストピア小説というジャンルがあります。1930年代のオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』、それから40年代にオーウェルの『動物農場』『1984』があって、50年代にはネヴィル・シュートの『渚にて』がありました。最近では、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』もそうですね。

この15年ほど、僕の好きなアメリカのYAというジャンルでは、ディストピア小説がすごく多いんです。なぜなんだろうと気になって、昔のディストピア小説を読み直してみました。すると、その中で『動物農場』は最も短いけれど、ディストピア小説のエッセンスがうまくまとまっているような気がしました。普通のリアリズム小説と違って、副題の「寓話」の形になっている。まさにディストピアとはこれだよね、と思わされます。みんなが理想的な世界や社会を望んでいたのが、いつの間にか転換してディストピアになってしまう過程が、シンプルでとてもわかりやすく表現されています。

金原:オーウェルはソヴィエトをモデルに全体主義的で独裁的な政治に対する批判的な作品を書きました。でも今の資本主義社会でも同じようなことが起こっています。一部の人がピラミッド構造の上の方にいて、下にいる人々から利益を吸い上げていき、そこではとんでもない差別や搾取が繰り返される。我々もそういう世界に住んでいるということを忘れがちです。

今の日本はあちこちに防犯カメラがついていて、安全な社会だと考えられている。しかし逆に言えば、それは監視・管理されているということです。日本が一旦全体主義的な方向に走り出すと、我々を守ってくれると考えられたものがたやすく武器になってしまいます。それに対して違和感を持ち警鐘を鳴らしたくなるのが、やはり作家なのだと思います。作家の性(さが)みたいなもので、居心地の悪い社会にいるとどうしても何か書きたくなるのでしょう。

アメリカのSF作家カート・ヴォネガットも、オーウェル同様に心よき社会主義者でした。彼も何かを言わずにはいられませんでした。そして彼らは書き方がやっぱりうまい。読者はその巧みな表現で作品を読まされるうちに、社会に対する認識が変わってくる。なのに世界は変わっていかない。それでも、新しい時代に、新しい作家が、新しい言葉でそういう作品を書き続けていることは大きな希望を与えてくれると思います。

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