「ロッテに外野手のレギュラーは一人もいない」西武では“守備の人”だった愛斗の打撃覚醒で世代交代は進むか?

ロッテ石垣島キャンプ第1クール3日目。好天に恵まれ、強い日差しが照りつけた”猛暑”の3日間、最後のひとりになるまで、室内練習場でバットを振り続けていた男がいる。現役ドラフトで西武からロッテへと移籍し、新天地でプロ9年目を迎えた愛斗(26)だ。

全体練習と個別メニューをひと通り終えた後の自主練習。「とにかく振ること、強く振ること」を意識しながら、ただひたすらにマシンのボールを打ち続ける。その数は、かごに入ったボール11ケース分(およそ1100球)、時間にして2時間は軽く超え、照りつけていた日差しも、気がつけば西日になっていた。

「(バットを)振る体力がないと、1シーズン持たない。シーズンでは試合もあるので(打ち込みが)できない時もある。今やれることはやっておいた方がいいなと」

西武時代にもアーリーワークから、ホテルへの最後の送迎バスが出るまで、時間ギリギリまでバットを振り込んでいた。単純に練習時間だけを比較すると、こなしている練習量に大きな差はないようにも思える。

しかし話を聞くと、ロッテでは西武時代よりも練習開始時間が遅く、全体練習に費やす時間も短いのだという。さらには宮崎と沖縄では気温が10℃以上も違うなど、去年までのキャンプとは相違点も多い。そのことが戸惑いになるのではなく、むしろ新天地でのレギュラー獲りを目指すのに好都合だと捉えていた。

「朝は弱いので(練習開始が)遅いのはありがたいですし、暖かい方が(動きやすいので)嬉しいというのはあります。あと、西武時代より個人練習が長く取れて、じっくり自分の時間として使えています」

これまでの成績を見れば、打撃に課題があることは十分すぎるくらい理解している。理想は去年の本塁打王・浅村栄斗のような”フルスイング”で結果を残せること。そのために、西武時代の先輩でもある去年の本塁打王に4年連続で弟子入り。自主トレに参加し、今年も貪欲に、打撃極意の吸収を目指してきた。

「(浅村は)僕の中では、右打者で1番のバッター。(自主トレでは)その日によって、今日はここの部分を取り組んで、わからなかったら聞こうということを毎日やってきました」

浅村との自主トレで学んだことを自分のものにできるのか。そのためにも自分と向き合いながらバットを振り込める個人練習に、多くの時間を使えることは、いい効果がありそうだ。

入団会見で守備への絶対的な自信を語っていた愛斗の加入は、ロッテ外野陣にどのような影響をもたらすのか。実際に一軍の外野陣を任されている大塚明外野守備兼走塁コーチに聞いた。

「(愛斗の加入が)ひとつの起爆剤にはなると思います。(守備は)うまい子。打球勘があって、肩が強く、スローイングもいいもんね」
現役時代の大塚コーチは、その堅守でマリンスタジアムのセンターを守り、2005年の日本一に大きく貢献している。そんな”元守備の名手”が高評価を与えるのだから、愛斗の守備力はロッテにとって大きな武器になるだろう。ただ、こんな話しもしてくれた。
「今のロッテは外野手のレギュラーが一人もいない。チームがAクラスだったから『伸びしろがある』とか『競争が激しい』とか書いてくれているけれども、Bクラスだったら否定的な捉え方をされていると思う。裏を返せば『(レギュラー獲りへ)いつまでかかっているんだ』って。(荻野や角中など)おじさんたちがまだ穴を埋めてくれている状態で、若い奴がもっとバーンってレギュラーを獲ってくれないといけないよね」

去年の外野手スタメン起用を見てみると、最多スタメン出場は藤原恭大(23)がセンターで88試合。その次となると、ライトで49試合出場の荻野貴司(38)となり、大塚コーチの言葉通りの数字が残っていた。ちなみにレフトの最多は46試合出場の角中勝也(36)だった。

守備力の評価が高い愛斗だが、去年の入団会見で吉井理人監督は、獲得理由の初めに「一番は長打力があること」と話していた。担当分野ではない大塚コーチも守備以外に「小ヂカラがある」と打撃の長所を語っている。

そんな愛斗が、村田修一一軍打撃コーチや栗原健太二軍打撃コーチなど、右の長距離砲として所属チームで4番を務めた経験を持つコーチ陣の下で、何かきっかけを掴むことができれば、自ずとレギュラーへの道も見えてくるはずだ。

プロ9年目とはいえ、まだ26歳。西武時代は「守備の人」だった愛斗が、新天地で打撃覚醒することができれば、ロッテ外野陣の世代交代が劇的に進むかもしれない。そうなれば、チームの前にここ数年立ちはだかってきた“2位”という大きな壁を易々と越えていけるはずだ。

取材・文●岩国誠

【著者プロフィール】
岩国誠(いわくにまこと):1973年3月26日生まれ。32歳でプロ野球を取り扱うスポーツ情報番組のADとしてテレビ業界入り。Webコンテンツ制作会社を経て、フリーランスに転身。それを機に、フリーライターとしての活動を始め、現在も映像ディレクターとwebライターの二刀流でNPBや独立リーグの取材を行っている。

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