『バチェラー・ジャパン』シーズン1でファイナルローズを手にした蒼川愛。22週で気づいた妊娠。シングルマザーになった今、「自分嫌い」がなくなった

ファッション誌のモデル、インスタグラマーとして活躍する蒼川愛さん。蒼川さんは大学3年生のときに出演した『バチェラー・ジャパン』シーズン1で最後の1人に選ばれて生活が大きく変わりました。その後、息子を出産し、2021年にシングルマザーであることを公表。番組に出演したときの心境から、シングルマザーとして子育てに奮闘するまで詳しく話しを聞きました。全2回インタビューの1回目です。

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取りあえず受けたオーディション。とんとん拍子で最終選考へ

首も少しずつしっかりしてきて、目線も合うようになってきたころ。

――蒼川さんは『バチェラー・ジャパン』シーズン1で大きな注目を集めたと思いますが、番組に出るきっかけやそのときの気持ちを教えてください。

蒼川さん(以下敬称略) きっかけは知り合いの方に「オーディションを受けてみませんか」と声をかけられたことです。当時はバチェラーについて何も知らなかったので、まずは調べてみることにしました。
すると、女性同士のし烈な戦いのような動画を目にし、「絶対に出ません!」と一度はお断りしました。

――最初は消極的だったのですね。そこからなぜ出演することになったのでしょうか。

蒼川 大学3年生だったので就職活動もあるので断っていたのですが、これから日本でも恋愛リアリティーショーがはやるということ、その初回の企画だから絶対に出演する意味があるというように説得されました。大学生の出演者ということも期待されたようです。
何度か話しを聞いているうちに「ちょっと面白そうだな」と思うようになり、取りあえずオーディションを受けてみることにしました。
そうしたら、とんとん拍子に最終選考まで残り、出演することが決まりました。

――番組では最後の1人に選ばれ、たいへん話題になりましたね。

蒼川 今は番組も有名になっていると思いますが、シーズン1はそこまで認知度があるわけではなかったと思います。
話題にはなったし、私の生活もがらりと変わりました。でも、番組が終わった直後は否定的なことを言われることもあって、落ち込むことも多かったです。でも、あの番組に出演したからこそ、現在の活動があるので感謝しています。そして、あの番組でファンになってくださって、今でも応援してくださる方がいるのでとてもありがたいです。

『バチャラー・ジャパン』でファイナルローズを手にしたあとは・・・?

スヤスヤよく眠り、手のかからない赤ちゃんだったそうです。

――番組は選ばれた女性にローズが渡されるという演出でした。蒼川さんは最後のローズを受け取ったわけですが、おつき合いを始めた方とはその後、どうなったのでしょうか?

蒼川 番組が終わってからもカップルになった方とおつき合いをしていました。
でも、まわりの目が気になり、少しずつお互いの気持ちがすれ違うことが増えて、おつき合いが長く続くことはありませんでした。
先ほども話しましたが、インターネットに傷つくようなことをたくさん書かれ、ネガティブなコメントを読むうちに、“恋愛どころではなくなっていた”という表現が合っているかもしれません。

――そして2019年に第1子をご出産されていますが、そのときの状況を詳しく聞かせください。

蒼川 番組で知り合った方とお別れして、しばらくしてから出会った方と4年半ほどおつき合いをしていました。その方とのおつき合いの中で、妊娠22週のときに妊娠していることに気づきました。
学生時代から生理不順で、生理が定期的に来ないことが当たり前になっていたし、毎日が忙しくてあまり生理のことを考えていませんでした。だから、最初は妊娠しているなんて思ってもいなかったんです。
でも、何を食べても吐いたり、だるかったりと体調がすぐれない日が続いていたので、もしかしたら・・・、という気持ちになり、自宅で検査キットを使って調べてみると妊娠していることがわかりました。

――病院の健診ではっきり妊娠がわかったとき、どんな気持ちでしたか?

蒼川 検査キットを使ったのちに産婦人科を受診しましたが、先生に「22週ですね、あなたはお母さんになるんです」って言われたんです。授かった赤ちゃんをおろすという選択肢は自分にはなかったし、先生から言われた言葉で「あ・・・、私お母さんになるんだ」ってなんかスーッと入ってきました。彼との結婚は難しいことはわかっていたのでシングルマザーの道を選びました。
病院で初めてエコーを見たときは「ここ(おなか)に赤ちゃんがいるんだ!」と思うと不思議な感覚ではありました。

分娩台に上がりわずか10分で出産

やっと出会えた息子さんを愛おしそうにみつめる蒼川さん。

――妊娠中は体調不良や、マタニティーブルーにはなりませんでしたか?

蒼川 妊娠初期はつわりがひどかったので、すいかやサンドイッチばかり食べていました。でも実家に戻ってからは母がしっかりとした食事を作ってくれたので、ありがたかったです。メンタルの不調はそこまではありませんでしたが、仕事関係の方にはほとんど妊娠について伝えていなかったので、SNSの更新は定期的にできるように気をつかっていました。

――では、出産は実家での、里帰り出産だったのですね。

蒼川 はい、妊娠中期までは、東京で仕事をしていました。後期になって実家がある島根県に帰りました。そのころになると自分が母親になるんだという自覚もどんどんふくらんでいたので、「たまひよ」を購入し、出産に向けて準備をしていました。付録の「出産準備リスト」はとても役立ちました。

「きれいに縫ってください」と主治医に懇願

抱っこが大好きだった息子さんも今では4歳になり、毎日元気に走り回っているそう。

――出産はどこでどのような形でしたか?イメージ通りの出産でしたか?

蒼川 実家がある島根の病院で自然分娩による出産でした。とにかく「陣痛は痛い」と聞いていましたし、いろいろシミュレーションもしていました。
ある日、19時ごろから、おなかが張るような、痛い感覚があったのですが、どこまでが前駆陣痛(ぜんくじんつう)でどこからが本陣痛かわからず、ずっと我慢をしながら記録をつけていました。
夜中そんな状態で我慢していて、朝方、その記録を見ると3分間隔になっていることに気づき、びっくり!
あわてて病院に連絡して、母の車で病院に行き、分娩台に上がったら10分で産まれました。

――赤ちゃんが無事に誕生したときはどんな気持ちでしたか?

蒼川 分娩台に上がってから10分で生まれたので、出産はいわゆる安産だったんだと思います。でも、出産後はさすがに朦朧としていました。赤ちゃんを抱っこさせてもらったときにほっとしたことは覚えています。
出産後、主治医には会陰切開したところを「きれいに縫ってくださ~い」と叫ぶようにお願いをしていたようなのですが、実はそこは記憶にないんですよね(笑)

――著書に妊娠・出産を機に「自分嫌いはすっかりなくなった」とありました。息子さんの出産によってどんな心の変化があったのでしょうか。

蒼川 妊娠・出産するまではSNSが自分のすべてだったので、他人からの視線や評価をどうしても気にしてしまう自分がいました。
でも、息子を出産してからはそれどころじゃなくなりました。とにかく目の前にいる息子の命を守るため、お世話をしなければならないので、自分のネガティブ思考に向き合っている暇がないという感じでした。
また、これまで自分の容姿へ強いこだわりがありましたが、その感覚からも解放され、「自分嫌い」を手放すことができました。

お話・写真提供/蒼川愛さん 取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部

つき合っていた方との結婚を選ばず、シングルマザーとして子育てに奮闘している蒼川さん。『バチェラー・ジャパン』シーズン1での華やかさも残しつつ、“しっかりしたお母さん”というイメージももち合わせていました。2023年10月には「蒼川愛という生き方。」という初の書籍を出版し、話題になっています。

蒼川愛さん(あおかわ あい)

PROFILE
美容・ママ系インフルエンサー。1994年5月生まれ、島根県出身。早稲田大学政治経済学部在学中に『バチェラー・ジャパン』シーズン1に出演し、初代バチェラーのハートをつかむ。2021年12月に2歳の息子がいることを公表。その後は”ママインフルエンサー“として活躍の幅を広げている。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年1月の情報で、現在と異なる場合があります。

『蒼川愛という生き方。』 (フローラル出版)

大学在学中に出演した「バチェラー・ジャパン」シーズン1で見事、初代バチェラーのハートをつかみ、話題に。恋愛・子育て・仕事・美容などのことが自分の言葉でていねいにつづられており、共感できる一冊。蒼川愛著/1650円(フローラル出版)

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