手ぶらでスキー「シュプール号」なぜ消えた? バブル崩壊後に直面した三つの理由 夜行列車は欧州で復活の兆し

2003年に撮影されたJR西日本のシュプール号。多数のスキー客を運んだ(鉄道愛好家の松本もちさん撮影・提供)

 かつて、関西や関東などの都市圏と信越地方のスキー場を結んだ臨時夜行列車があったことを覚えているだろうか。冬季限定で走る「シュプール号」だ。「手ぶらで行ける信州直行スキー列車」といった宣伝文句で、神戸、西明石駅などからも発着。一時は寝台特急の客車を使った編成も登場するなど人気を誇ったが、いつの間にか時刻表から消えた。いったい、なぜなのか。(杉山雅崇)

 「スキー列車大増発!」「お目覚めの朝には到着です」-。神戸市在住の鉄道ファン、正垣修さん(66)が保管していた1988年ごろに発行されたJR西日本のチラシは、シュプール号を大々的にアピールしている。

 シュプール号は、国鉄が始めた臨時列車を、80年代後半にJRが引き継いだとみられる。88年当時、JR西日本は神戸と長野、妙高高原などを結ぶ「シュプール妙高・志賀」、西明石から白馬や南小谷方面に向かう「シュプール白馬・栂池」を運行していた。

 チラシによると、午後8~同9時台に兵庫県を出発。東海道本線や北陸本線を経て翌日午前6~同8時台に長野県に到着する。料金は普通車で往復9600円(白馬・栂池号)と、格安に設定された。

 駅からはスキー場へのバスが用意されていたほか、事前にスキー板を送るサービスもあり、「手ぶらでスキー」を実現していた。

 同年3月の時刻表を見ると、東京を発着する「シュプール信越」、千葉からの「シュプール白馬」などの列車名が掲載されており、首都圏でも多数のシュプール号が運行されていたことが分かる。

 95年1月に利用したという会社員の男性(53)は「安い料金からか、多くの大学生が乗っていた。学生の酒盛りが騒がしい上、寝台ではないのであまり寝られなかった」と振り返る。

 ◆スキーブーム終焉、高速道拡充…利用客減

 しかし、現在の時刻表を見てもシュプール号は見当たらない。JR西日本によると、利用客の減少により2005年度を最後に運行を取りやめたという。同時期の時刻表には首都圏発着のシュプール号はなく、JR東日本も05年以前に運行をやめていたとみられる。

 便利に見える列車が、なぜ消滅したのか。鉄道史に詳しく、「歴史のダイヤグラム」「最終列車」などの著作もある政治学者の原武史・放送大教授(61)は、三つの要因を挙げる。

 一つは、スキー人口の減少だ。1980年代後半は、バブル期にわき起こったスキーブームのまっただ中。87年には映画「私をスキーに連れてって」も公開され、若者がこぞってスキー場を目指したが、バブル崩壊後に沈静化。娯楽が多様化する中で、スキー列車の需要がなくなっていった。

 さらに、「高速道路網の拡充も影響が大きい」と原さん。90年代以降、目的地の長野県では上信越道や長野道の全線開通が実現するなどして道路事情が改善した。マイカーや鉄道よりも安価なスキーバス利用が増えたとみられる。

 また、国鉄の分割民営化後、採算性の問題などから、年を追うごとにJR各社をまたぐ長距離夜行列車が運行しにくくなり、シュプール号を含めた夜行列車の減少につながったという。

 原さんは「シュプール号が運行されていた時代はたくさんの夜行が走っていた。欧州では環境配慮から、オーストリアなどで夜行列車が復活しつつある。日本でも見直されてほしい」と話している。

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