映画「ボヘミアン・ラプソディ」にハマッたワケ  「CJCメールマガジン」編集長・宮島伸彦 x 「+62」編集長・池田華子

映画を見るまで

宮島 「ボヘミアン・ラプソディ」、見た方がいいですよ。ちなみに、クイーンは? 好き? 曲、知ってます?

池田 特に好きとかではないのですが、曲は知っているかも。

宮島 かも(笑)。

われわれの人生における苦しみや悲しみ、煩悩、確執、あつれき、すべて、何ともならないじゃないですか。われわれの人生が救いようのないものだって、別にいいんですよ。表現することがすべて。悲しみを経験していない人が、なぜ、人を感動させることができるのか? できません。フレディの映画は、そのことを物語っていました。言葉ではなく、ラスト20分間の映像だけで。

池田 見ないと!!

宮島 GOOOOOOOO!!

すぐに見なかった理由

宮島 宣伝が失敗している。私は予告編を見て、関心をなくした。

池田 ザ・「クイーンの映画」って感じ?

宮島 うーん、なんか、「ロックの伝説であるクイーン伝説がよみがえる」的な。気持ちわる〜、見たくない、と思った。

池田 ツイッターのハッシュタグもひどい。「ボヘミアン胸アツ」とかですもん。

宮島 ははは。日本、センスねーなー。

主役の顔は似ていない

池田 一人、勧誘に成功し、一緒に見に行きました。

宮島 「説得」とw

で、どうでした?

池田 彼はインドネシア映画に詳しいメディア関係者。以下、コメント。

「あんまりクイーンって知らないんだけど、(フレディ以外の)メンバーがそっくり。本物を使っているのかと思ったけど、それだと若すぎるよな?というぐらい似ていて驚いた。あと、歌は吹き替えなの? どうやってるの? インドネシアの『クリシェ』の伝記映画とテーマは似ているんだけど、クリシェの方は、はっきりと、歌は吹き替えだとわかった。ところが、『ボヘミアン・ラプソディ』は、役者が歌っているのか、というぐらい、違和感がなかった」。

宮島 役者は歌ってないけど、仕草や癖を徹底的に模倣するトレーニングを積んだそうです。

池田 「フレディの動きをまねるのではなく、どうしてそういう動きをするのか理解しようと努めた」とありますね。

宮島 歌の方は、オリジナルの音源に加え、フレディの声そっくりの歌手(マーク・マーテル)を使った。動画を見て衝撃。この人の方が、顔もフレディにソックリだわ!

池田 歌、パフォーマンス、すごい努力によって再現されているんですね。

宮島 すごい努力の結集ですよ! 今の時代に、こんな本格派が! CG全盛映像時代に。

CGは万能にして無能。現実感がない。CG全盛で、だんだん映画を見るのがつまらなくなり、同じCGならゲームでもしていた方が楽しいんじゃないかと思っていた。もう映画に現実感は求められないのか、と。

池田 「Is this the real life? Is this just fantasy?」の世界。

宮島 しかし、この映画は真っ直ぐに、地道な肉体的努力を重ねた結果、生身の人間が放つ喜びや苦悩、輝きを表現することに成功している。

こうした有名人を題材とした伝記映画の宿命として、俳優がどれだけ現実の人物に似ているかという問題にさらされる。避けて通れない。

今回、主役の俳優(ラミ・マレック)の顔が似ていないのにもかかわらず、大きな違和感となっていないのは、何よりも、本人がその役になりきるために、ありとあらゆる努力をし、生まれ持った顔つき以外のすべてを似せようとした成果である。

池田 マンガの実写化をする時に起きる「原作に似ている」「似ていない」という不毛な議論に比べて、今回の試みは実にクリエイティブだと思う。

ラミ・マレックは顔が似ていないにもかかわらず、フレディに見える。ライブ・エイドでは、まさにフレディ。その前の段階も、「(スーパースターの)フレディになっていく」姿を演じられていると思う。いくら顔と声がそっくりの人でも、フレディは演じられない。本質的なものは顔じゃないんですね。

宮島 目だけで演技していますよね。

この映画は、筋(ストーリー)じゃなくて、映像を見るための映画。まさしく、「映画」。久々に堪能しました。

池田 映画館で見たいと思わせる音楽と映像。

宮島 飛行機の機内で見たくない映画ナンバーワン。

ライブ映像だけで成り立つすごさ

池田 映像作家の城田道義(ミッチー)さんは何と言ってましたか?

宮島 「スッゲー良かった。リアルタイム世代じゃないんで、CMで使われているクイーンの曲を聴いてダサいと思っていたんだけど、すんげー良かった。普通、音楽だけの映像は持たない。今はテレビの音楽番組もない。しかし、この映画では、えんえんとライブ映像があって、それで成り立ってしまうから、すごい」。こんな感じのコメントでした。

池田 現実のライブ映像と映画を並べた動画がありますが、これを見ると、映画でのライブ映像の再現度の高さと、映画のアングルの素晴らしさの両方がわかります。ライブ・エイドのパフォーマンスは素晴らしいんだけど、映画で描いたことはもちろん伝えられない。映画の素晴らしさが改めてわかる。

宮島 そういう意味では、映画と現実のライブ・エイドは、別物なんですね。同じ曲で、同じ演奏なのに、何を映し出すかによって、別の物語になる。ライブの動画には、ドラマはない。だから、ミッチーの言うように「音楽だけでは持たない」ということ。

池田 ライブ・エイドに向かって流れ込んでいく物語を、最後にきっちり、ライブ・エイドを再現した映像の中で見せる。そのカタルシス。ブライアンやロジャー、ディーキーの表情のほか、スタジアムの空が映るのにも感動した。両方の比較を見て、映画の何に対して自分が感動したのかがわかった。

実際のライブ・エイドで使われた曲のうち、映画では2曲をカットしている。ライブ・エイドをもっと見たい(全部再現したい)という気持ちをぐっと抑えて、カット。これが素晴らしい。ムダがなく、成功している。

ファンをなめちゃいかん

池田 クイーン・ファンの私の妹は、まだ映画を見られていないそうです。「ファンだから、見に行きにくいんだ」って。

宮島 ファンはそうだろうね。フレディをとことん好きな人ならそうなるだろうなぁとわかりますよ。私もジョン・レノンの映画が出来て、そっくりだと絶賛されても、見に行かないと思う。私が見たいのはジョンであって、ジョンを演じる俳優じゃない。ジョンにそっくりとか言われると、ちょっとムカつくかもしれない。

ファンをなめちゃいかんよ。相手の方がキャリアが上なので。リアルタイムのファンというのは、自分の思い出とともにそれぞれの曲に個別の思い入れがあるものです。

映画で描かれているのはライブ・エイドまで。リアルタイムのファンは、ライブ・エイドの後、フレディが死ぬまでずっと一緒にいて、死んでから現在までの時間を過ごしていますから。歴史があります。われわれのように、この映画で突然、クイーン度が急上昇したわけではないので。

何回見ても感動するのか?

池田 今週は「ボヘミアン・ラプソディ」を見るのに忙しかった(笑)。

宮島 何曜日に見たの?

池田 月火木土日。

宮島 え?

池田 まぁ、こののめり込みようは異常。私がクイーンを知らなかった、というのもあるかもしれない。映画の素晴らしさのほかに、クイーンのすごさに来ているという。

宮島 確かにすごいですよねー。孤高の存在。唯一無二の存在。似ているものがほかにない。

池田 映画に「言葉無用」の説得力を与えるのがクイーンの音楽。

宮島 何回見ても感動するの?

池田 1回目は鮮烈な感動。2回目は細かい部分を追って見ながら、正直、ライブ・エイドまでが長いなと思った。でも、3回目以降は、見れば見るほど、完璧な映画に思えてくる。つい編集者的観点で見てしまうのだけど、編集が素晴らしい。削る部分がまったくない(私的に要らないと思ったカットは「We are the Champions」をしょんぼり聴くレコード会社の社長のみ。ここで笑いは要らないので)。何回見ても、ほかの映画のように飽きることなく、ダレる部分が皆無。

宮島 インドネシアでもロングランしてほしいね。永遠に上映し続けてもいいのでは? それだけの名画です。

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