バティック文様の生まれる時。 チレボン・バティックの名匠、 カトゥラさんに聞く。

文・写真……賀集由美子

Katura(カトゥラ)
1952年、下絵師の父、バティック職人の母の下に生まれる。13人兄弟の12男。マシナ工房で下絵職人として働いた後、1974年に独立し工房を設立。数々の意匠をデザインするほか、チレボン・バティックのオピニオン・リーダーとして、セミナーでの発表やバティック教室での指導など、さまざまな活動に取り組んでいる。65歳。上の写真は、共同で制作した世界最大の手描きバティックを前に。

賀集由美子(かしゅう・ゆみこ)
チレボンで手描きバティック工房「スタジオ・パチェ」を主宰する。ペンギン(ペン子ちゃん)モチーフのバティック小物が人気。1994年からチレボンに在住し、カトゥラさんに教えを請うてきた、カトゥラさんの弟子。インドラマユ・バティックとのコラボ、シルクスクリーンとバティックの組み合わせなど、実験的な取り組みを続けている。

ティンカス(下絵)に描いて、展開し、最終的に1枚の布に落とし込む作業は、道のりは長く大変な作業だが、楽しいものに違いない。

チレボン・バティックの「マエストロ(名匠)」と呼ばれるカトゥラさん(以下、敬称略)。ここ数年、入退院を繰り返していて、不肖の弟子である私もとても心配していた。最近は病状も安定し、自宅にて静養する日々。調子が良さそうなので、『カトゥラ師匠、かく語りき』のような本を将来書きたいなと思い立ち、ICレコーダー、一眼レフ・カメラ、ノートパソコンを新調して記録を始めたところだ。

私自身、「カトゥラさんの絵力はすごい!」とか「カトゥラさんのカイン・パンジャン(腰に巻く用の長い布)は絶対に買うべき」などと常々語っているが、そのすごさがまったく説明できないのだ。このため、バティック理論講座のごとく、文様の成り立ちやバティックの技法、(バティック工房の集まっている)チレボン・トゥルスミ地区の歴史といったさまざまな質問をして、それに答えてもらう、というセッションを続けている。

先日、チレボンに『+62』の池田華子さんが来たので、一緒にインタビューに出向いた。毎回、世間話から始まって、いろいろなことを話しているが、今回はTingkas(ティンカス)と呼ばれるバティックの原画について説明してもらった。

海草模様(Ganggung)のティンカス(下絵)

バティックのデザインは、通常はトレーシングペーパーのような薄い紙に描き起こす。大きさはカイン・パンジャン(縦約100センチx横約240センチ)の5分の1ぐらい。これに、大元となる原画「ティンカス」を描く。これを横に並べたり裏返したりしながら、1枚の布にうまく収まるようにトレースする。ティンカスは手描きバティック工房にとって、大事な財産となっている。

サルンの「Kepala」の部分に使うティンカスのバリエーションいろいろ

布の縁はTumpal(トゥンパル)と呼び、アクセントになる模様にすることが多い。布を腰に巻いた時に、前に来る

カトゥラのデザインのインスピレーションとなるものは何か?

「見たもの、聞いたもの、何でも」

散歩中に見たきれいな花、村のレンガを積んだ壁、トレンドとなっている事件や事象(通貨危機=Krismon=など)、ワヤンの中の物語、理想となる国家元首、賢人の言葉……感動したもの、好奇心をそそられるもの、批判精神、伝えたい知識……それらをまずティンカスに描いて、展開し、最終的に1枚の布に落とし込む作業は、道のりは長く大変な作業だが、楽しいものに違いない。

通貨危機の時にカトゥラが描いた絵。車を引いて働くべき牛が、仕事がないので、車に乗って涙をこぼしている。学帽をかぶった鳥は「リフォルマシ(改革)」を求める学生たちを表す。社会派の風刺画バティック

すべての工程を理解した上で、「仕事をする職人のことを考えた」デザインになっている。

カトゥラのデザインの真骨頂は「Keratonan(王宮文様)」だと、私は思う。

王宮文様は、王宮に関連するオーナメントを描き込むだけでなく、背後にある史実や文様に潜む哲学なども熟知していなければならない。現在、バティック市場で売られている物の多くは、過去に作られた王宮文様の布を模したりトレースした物がほとんど。トレースを重ねると「伝言ゲーム」のように、どんどん形が崩れてくる。カトゥラ・デザインの王宮文様は、形状、構成、色分け、余白に至るまで、きちんと考え尽くされた端正な文様となっている。

一方で、「Pesisiran(北岸様式)」は、カトゥラのオリジナルのほかに、図録などに掲載されていたり顧客が持ち込んだ写真をカトゥラが新たに描き起こした物も多い。

これらのデザインの面白さはもちろんだが、特筆されるべきは、下絵の後の工程を踏まえたデザインになっていること。1枚のバティックを作り上げるのには多くの職人が関わるので、そのすべての工程を理解した上で、「仕事をする職人のことを考えた」デザインになっているのだ。

カトゥラ作の王宮模様(Keratonan)の「Buraq」。王宮、割れ門、岩、翼の生えた馬などのモチーフが美しく配列されている

カトゥラがこれまでに製作したティンカスは何点ぐらいなのだろうか?

本人いわく、「数えたことがない」。注文を受けて描き、注文主(よその工房)に渡してしまった物も多い。

半世紀にわたるキャリアの中で描きためたティンカスの一部が、工房の下絵を描く作業場の片隅に仕舞われている。3つの収納ボックスには、「よく使う物」「あまり使わない物」というようなバックリとした分類方法で、ティンカスが保管してある。とても大事な資料なので、文様の種類ごとにファイリングをすれば良いのではと思うのだが(池田コメント)。

下絵を保管してあるボックス。工房の財産だ

動物曼荼羅のような文様「Margasatwa」のティンカス。インドネシアにはいないような不思議な動物、鳥、人間までもが描かれ、見飽きることがない。上と下が対称になるように、上下が反転するような構成で描かれている

ティンカスを布に写し描きする方法は、Tukang Meto(トゥカン・メト)と呼ばれる下絵職人がライトテーブルの上にティンカスを置き、その上に精練済みの白い布を重ねて、下から蛍光灯の光を当てて、ティンカスの絵を布に鉛筆でトレースしていく。ちょっと前までは、ティンカスを布の下に待ち針で留めて、布に直接、蝋で描く下絵職人も多かった。最近は鉛筆トレースが主流となっている。

布に描いた下絵はMetoan(メトアン)と呼ばれ、次の工程を担うIseng(イセン)職人に手渡され、蝋置き作業がやっと始まるのだ。

海草模様のティンカスを下に置き、鉛筆で布にトレース中。先をとがらせた鉛筆を使う。なぞるだけと言っても細かい作業なので、時間がかかる。1枚仕上げるのに大体、7日ほどかかると言う。この下絵をベースに蝋置きをするので、非常に重要な作業だ

カトゥラの継承者はいるのか?

カトゥラの子供は5人で、皆、女の子。絵が上手だった長男は9歳の時に亡くなった。まだ独身の5女を除いて、4人それぞれ家庭を持っている。長女のSusi、2女のLiris、5女のMikeはそれぞれ仕事を分担して工房運営に携わっているので、カトゥラ工房の存続には特に問題はないだろう。ただ、現時点でバティックのデザイン(すなわち、ティンカス)を新たに描き起こせる人はいない。カトゥラの3人の甥が、カトゥラが今までに製作したティンカスを組み合わせて布に下絵を描き、作品を作っている。全体の監修はカトゥラが行う。

下絵を描く作業を監修するカトゥラ

「Sah-sah saja」(ま、いいんじゃない?)

カトゥラの口癖の一つに「sah-sah saja」というのがある。例えば、よその業者が、どこからか入手したカトゥラのデザインした下絵を使ってカインを作って売る。本来ならば一言報告してくるのが筋なのだが、だからといって特に問題にはしない。同じバティック業者……布を作って生計を立て、家族を、そして職人を養わなければならないのだ。肯定はしないが、否定もしない……「ま、いいんじゃない?」という感じだろうか。また、バティックの意匠権に関しても「意匠権の縛りがあるとバティックを作れなくなる業者が出てくる。意匠(デザイン)は地域の共有財産として皆で使えば良いのではないか」というスタンスを保っている。

不肖の弟子(=私)がバティック模様にペンギンを絡ませて遊んでいるのも、あきれているとは思うが、どうやら、この「sah-sah saja」の範疇のようである。

1990年代初めに私が渡したいくつかのペンギンやマッコウクジラの絵と、チレボン伝統の海草文様「Ganggung」を組み合わせてカトゥラが描き起こしてくれた布がある。それに似たティンカスを今回、久しぶりに見た。以前に作った物とは違うバリエーションで、海草を模した唐草の中に、魚や海の動物だけでなく、鳥や陸の動物も描き込まれ、なぜかペンギンも参加している。

カトゥラは、多種多様なバティック文様の中で海草文様は好きなモティーフの1つ、と語る。

ペンギンやマッコウクジラの絵をチレボン伝統柄の海草模様の中に入れて、カトゥラが作った
バティック。赤青(=Bangbiru)を基調にした染め

美しい、端正、というだけでなく、「うわっ! 何これ、面白い!」という驚きがある文様。カトゥラさん、今後もお元気で、チレボン・バティックの自由なスピリットを受け継ぐバティックを作り続けてください、と切に願う。

Tingkas=原画
Metoan=下絵
デザイン=Tingkasも含む。あと、広義で、意匠

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