『春になったら』木梨憲武と中井貴一が親友役で共演 時を経ても変わらない友情描く

想像してほしい。もし余命3カ月を告げられたら、あなたならどうするだろうか? ひとしきり落ち込んだり泣いたりしてから、少しだけ平常心を取り戻して、こう考えるのではないだろうか。やり残したことはないかと。

『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)第4話は友情と恋のエピソードだ。雅彦(木梨憲武)の「死ぬまでにやりたいことリスト」に書かれた「神に謝る!」。エリザベス・キューブラー・ロスが提唱した死の受容のプロセスにある「取り引き」段階では、確実にやってくる死の苦痛をやわらげるために、神仏をはじめとする人智を超えた力にすがって行いを改めるとされる。雅彦の「神に謝る」は一瞬このプロセスを指すと思わせるが、その意図するところは神様ではなく同級生の「じん」君に謝りたい、というとても人間味のある動機だった。

神健一郎(中井貴一)が営む喫茶店を探し当てた雅彦。中学時代、雅彦は親友の神に頼まれて、同級生の女子に神の好意を伝えることになった。けれども、相手の久美ちゃんは雅彦を好きと言って、二人は付き合うことになった。そのことを言い出せないまま大人になり、ここまで来たのだった。雅彦の話に60代の神は微妙な反応で「謝らなきゃならないのは僕の方」と頭を下げる。神に謝ろうとして逆に謝られてしまった雅彦は、神が口にした「マイタ」がピンと来ないまま帰ってきてしまった。

胸に手を当てて思い返すと、誰にでも謝りたいことはある。お互い様と勝手に済んだことにしてきても、ふとしたきっかけで「今あいつ元気かな」と考えてしまうのは、同じ時間を一緒に過ごした証拠だ。雅彦と神は互いに負い目があり、ちょっとびっくりな後日談もあって、結果から言うとどっちもどっちだったりするのだが、互いにやってしまったことを気にしているのは広い世界で自分たち二人だけという事実。つまりは、それくらい相手のことを思い合っているピュアな友情が観測できた。

雅彦が神に秘密を打ち明けられなかったのは異性の存在があったからで、親友の好きな子を奪った後ろめたさが、後年ぬれぎぬを着せられて黙っていたことにつながっている。本当に仲の良い関係だと、相手のことを差し置いて自分が幸せになるのは苦しい。友情に恋が絡むと往々にしてややこしくなるが、嫉妬心の板挟みになることは自分自身の良心がうめきを上げているのだと、今度は美奈子(見上愛)が瞳(奈緒)に苦しい胸の内を吐露した。

知らぬが仏の父と娘は、よもや相手が自分のことで苦しんでいるとはつゆ知らず、知ってしまったら今度は別の悩み方をするのだから人生は複雑だ。きっと神も何十年もの間、雅彦にしてしまったことが心の片隅にあって気に病んでいたに違いない。その苦みばしった味わいをコーヒーに溶かして飲みほしていたかは神のみぞ知る。

人は一人で死ぬから家族も友情もあの世に持っていけないけれど、せめて最期の瞬間は素直でありたい。正直でありたいと願って死ぬ間際に行動を起こすのも人間らしいし、神に懺悔したっていいのだ。いろいろあったけど、許せる自分になれたならそれはそれでOKじゃないかとベテラン大物コメディアンと俳優の共演を観て感じた。

気がかりなのは瞳のことだ。雅彦にかかりきりで一馬(濱田岳)との結婚は先延ばしになり、一馬のほうは瞳を気づかい無理して塾の講師になったりする。担当医の阿波野(光石研)は「誰かががんになると、家族全員普通ではいられなくなる」と話していた。自分が普通でいられなくなっていることに瞳は気づいているだろうか。瞳が幸せになることこそ雅彦が一番やりたいことなのだが、瞳も一馬も知らず知らずのうちに大切なものを手放していやしないか。もしこれが幸せになるための試練なら、美奈子や岸(深澤辰哉)、龍之介(石塚陸翔)たちと笑顔になれるようにと願わずにいられない。

(文=石河コウヘイ)

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