りんご日報、ゴシップ紙から政治化

壱伝媒集団(ネクストメディア)の創業者である黎智英(ジミー・ライ)氏の公判で『りんご日報』元副社長の陳沛敏氏が2月2日、初めて法廷に出廷した。2月3日付香港各紙によると、陳氏は香港で生まれ、香港で教育を受けたと述べ、大学では経営学を専攻し、1996年に『りんご日報』に上級記者として入社。当時は主に地元ニュースを担当していた。陳氏は、黎氏と「一対一で話す機会は一度もなかった」「会ったこともあまりなかった」と述べ、「記者として、通常は取材に出かけなければならない」と説明した。陳氏によると、当時『りんご日報』には印刷版しかなく、売り上げは「非常に大きかった。新聞のA版には通常、地元、中国、国際ニュースが含まれていた。『りんご日報』はエンターテインメントのニュースに重点を置くことに加えて、2003年に梁錦松・元財政長官のような公益に関わるスキャンダル暴露にも重点を置いている。同氏は03年に秘密裏に車を購入していたことが発覚した。

陳氏によると、『りんご日報』の初期の頃、黎氏は新聞に対する市場の支持を非常に重視していたので、より多くの読者を引きつけるためにニュースのエンターテインメント面に重点を置いたという。だが2014年以降、エンターテインメントニュースを掲載するスペースは減り、当時はセントラル占拠行動に関するニュースが中心となった。陳氏は15年から編集長を務めていたが、16年にがんと診断され、7カ月の病気休暇をとり、仕事に復帰した後も健康状態が悪化し、再発を心配していた。編集長のプレッシャーと責任に耐えられないため副社長を務めることとなった。

陳氏はまた、元編集長の羅偉光氏と「蘋果動新聞平台(アップルダイナミックニュースプラットフォーム)」のディレクター、張志偉氏についても言及し、羅氏は『りんご日報』ウェブページのトップ責任者で主にニュースコンテンツを担当。張氏はダイナミックニュースプラットフォームの責任者で、番組制作、編集、副刊、『飲食男女』などの非ニュースコンテンツを担当。 陳氏は基本的に印刷版のみを担当したという。

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