何人にも挑む勇敢さ「寺尾関は私のレガシー」…米外交官スナイプさん、1999年の番付表は常に世界中の赴任地へ 誇りをくれた鹿児島県加治木は「第二の古里」

大相撲の寺尾関への思いが募り、名古屋場所を観戦するアーロン・スナイプさん=1999年(本人提供)

 加治木は第二の古里-。東京に暮らす米外交官アーロン・スナイプさん(51)は、昨年12月の大相撲の錣山親方(元関脇・寺尾)の訃報に接し、かつて外国語指導助手(ALT)として過ごした鹿児島県姶良市加治木に強い思いを寄せている。

 米・ボストン出身のスナイプさんは1997~99年、姶良教育事務所のALTとして加治木工業高校などで教壇に立った。そのころ、テレビで寺尾関の相撲を初めて見たという。「いつも一生懸命で勇敢。勇気付けられた」と振り返る。

 「鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋」。取り組み前に流れるアナウンスが「加治木に住む人の誇りだった」と語る。加治木での住民との交流や、自然に触れながら将来を考えた時間は「外交官として、人間としての土台となっている」。稲穂が擦れる「稲のささやき」や、黒川岬から眺める桜島の美しさが心に残っているという。

 その後帰国し外交官となり、英国やエチオピア、イラクなどに赴任した。今年8月からは東京の米大使館で勤務予定で、現在は日本語研修に取り組んでいる。

 「寺尾」の名が載る99年の番付表を世界中持ち歩いて今も飾っているといい、「若いころに素晴らしい時間を過ごした加治木の思い出とともに、挑戦する大切さを教えてくれた寺尾の相撲は、レガシーとして消えることはない」と話した。

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