早田ひなが綴った898字の想い「五輪出場は目標ではない」 専属コーチと目指す金への道「全身全霊全力で支えていきたい」

日本卓球協会は5日、都内で記者会見を開き、パリ五輪に挑む男女候補選手を発表。およそ2年にわたり続いてきた選考レースが終わりを迎えたなか、自身初の五輪へエースとして挑むのが早田ひなである。

◆【全文コメント】早田ひなが綴った898字の想い 卓球との出会いから周りへの感謝、パリへの抱負を述べる

■東京五輪ではリザーブメンバー

早田は6日に所属先の日本生命を通じてコメントを発表。そこには早田が4歳から始めた卓球への想いと周りへの感謝の言葉が898字にわたりつづられている。

前回の東京五輪ではリザーブメンバーに回った早田は、「選考レースが始まった時にオリンピックに出場することを目標とはせず、オリンピックで金メダルを獲れる選手を目指し、世界一の選手になることを目標に頑張ってきました」と照準を五輪出場ではなく、世界の頂点を目ざしていたと明かす。

また、地元福岡の石田卓球N+で出会った恩師についても触れ、「女先生(石田千栄子先生)にラケットの握り方から 教わりました。本来右利きの私ですが体のバランスを見て左で始めるように勧めてくれたのも女先生です」「男先生(石田眞行監督)には小、中、高と長期に渡ってアドバイスをいただいてきました。世界で戦う私を見て今でもアドバイスをくださいます」と2人の存在に言及している。

■コーチも驚いた集中力

また、早田を支えてきたのが女先生(千栄子さん)と男先生(眞行さん)の三男にあたる石田大輔コーチ。「私はひなを初めて実家の卓球場で見た時にこんなにも集中力が高い子供がいるんだなとびっくりしました」と切り出した石田コーチは早田との出会いを機に専属コーチへ転身。“チームひな”を結成し、早田を卓球だけでなく生活面からサポートするなど世界一へ向けて尽力してきた。

石田コーチは、「毎日毎日コツコツと頑張れる子だよ、1度たりとも手を抜いたところを見たことがないから」と伝えられたと言い、「『もっともっと練習したいんです、どうしたらいいですか?』と、その時ですら凄い努力をしているなと感じていましたが、これを越える努力ができたら超アスリートになれるかもしれないと思いました」と早田の継続性を間近で感じながらともに歩んできた。

早田は「私の目標はオリンピックで金メダルを獲って両親を始めこれまで支えてくださった沢山の皆さんに恩返しをする事です」と五輪への想いを語り、石田コーチも「今度は周りをたくさん幸せにしてくれているひな自身がその舞台で最高の笑顔で輝けるように全身全霊全力で支えていきたいと思っています」とコメントを寄せた。

パリ五輪では初出場ながら日本のエースとして挑む早田。23歳が感謝の想いを胸に、世界一への道を目指すことになる。

◆【全文コメント】早田ひなが綴った898字の想い 卓球との出会いから周りへの感謝、パリへの抱負を述べる

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(Y.Imoto/SPREAD編集部)

■早田ひなコメント

先日、日本卓球協会より正式にパリオリンピック代表候補予定選手の一人として発表していただきました。2年間にわたる選考レースを一緒に戦ってくれた石田コーチ、チームひなスタッフの皆さん、そして私を支えてくださった所属先の日本生命様、スポンサーの皆様、日本卓球協会の皆さまに感謝申し上げます。そして選手と一緒に戦ってくださった卓球ファンの皆さま温かい応援有難うございました。

選考レースが始まった時にオリンピックに出場することを目標とはせず、オリンピックで金メダルを獲れる選手を目指し、世界一の選手になることを目標に頑張ってきました。ライバルではありましたが沢山の素晴らしい選手たちと切磋琢磨してきた事で強くなることが出来ました。

私にとってオリンピックは4歳から石田卓球N+で卓球を始め、先輩の岸川聖也さんがロンドンオリンピックに出場した試合を卓球場のみんなでテレビを見ながら応援した事がきっかけで、自分もオリンピックに出たいと強く思うようになりました。私の両親は卓球 経験者ではないので石田卓球N+では女先生(石田千栄子先生)にラケットの握り方から 教わりました。本来右利きの私ですが体のバランスを見て左で始めるように勧めてくれたのも女先生です。女先生との出会いがなければ今の卓球選手の私は存在していないと思っています。男先生(石田眞行監督)には小、中、高と長期に渡ってアドバイスをいただいてきました。世界で戦う私を見て今でもアドバイスをくださいます。私は卓球を始めてこれまでの間に沢山の方と出会い支えていただきました。その中でも一番は石田大輔コーチとの出会いが私の卓球人生を大きく変えてくれたと思っています。中学から一緒に海外遠征に帯同してもらうようになって技術はもちろんですが食事面、メンタル面、生活面、全てにおいて全力でサポートしてもらっています。

私の目標はオリンピックで金メダルを獲って両親を始めこれまで支えてくださった沢山の皆さんに恩返しをする事です。応援してくださる沢山の方に喜んでもらいたい。そういった感謝の気持ちをもってオリンピックに臨みたいと思います。

皆さま引続き応援宜しくお願い致します。

■石田大輔コーチコメント

私はひなを初めて実家の卓球場で見た時にこんなにも集中力が高い子供がいるんだなとびっくりしました。その4歳のひながツンツンとやってきて卓球教えてください!と純粋な目でニコッとする表情は今でも同じだなと良く思い出します。それから数年して小学4年生のひなを見た時にアレ?この攻撃力とフットワークはひょっとしたらひょっとするかもと将来への可能性を感じたことを今でも鮮明に覚えています。ただ体が小さかったのでこれからだなとも思っていましたが、中学生の時には身長も伸びて世界で勝負できると確信に変わっていました。

後から聞いた話しですがもともと牛乳が好きだったようですが女先生に言われてそれまで以上に毎日しっかりと飲むように心掛けていたそうです。正直その当時の私は卓球用品の開発や全国各地で講習会をしたりと自分にとっては天職だと思えるほどの仕事につけていたので自分がコーチになるイメージは湧いていなかったのですが、一生懸命に練習するひなの姿をあらためて見た時に自分の力が少しでも役に立つならと退職を決意しました。

ひなを4歳から指導してきた父と母からは毎日毎日コツコツと頑張れる子だよ、1度たりとも手を抜いたところを見たことがないから。だから絶対に良い選手になるから、誰よりも一番近くで応援して、一緒に練習して、ひなに必要そうだと思ったものを常に用意してあげて、頑張りすぎたときには休みを取ってあげてね!とバトンを受け取りました。そして現在に至るまで本当にコツコツと楽しそうに努力するひなしか見たことがありません。

高校生の時に何やら珍しい面持ちで話してきてなと思ったら、「もっともっと練習したいんです、どうしたらいいですか?」と、その時ですら凄い努力をしているなと感じていましたが、これを越える努力ができたら超アスリートになれるかもしれないと思いました。それからは卓球だけでなく私を含めてチームひなで食事、トレーニング、メンテナンス、勉強などひなが進化するために必要だと感じたことは全てに挑戦してきました。

私自身はアジア選手権で3冠を獲った時のひなの感触はこれはもしかして中国選手とも本当に意味で勝負できるかもしれないと感じ始めていました。そしてパリオリンピックに向けた選考レースが始まり過酷な時の流れの中でも世界卓球で銅メダルを獲得できたことで、それまでの道のりも自信となり、未来を照らしてくれているようにも感じました。

そしてこの度皆さまのあたたかいご声援を頂いてパリオリンピック出場が決まり、ひなが幼少の頃から夢見ていた舞台で試合ができることを大変嬉しく楽しみです。また私の父と母が口を揃えていいます、ひなは卓球は強くなって、心は優しくて、子供達や私達にたくさんの幸せをくれる私達の誇りだよと。今度は周りをたくさん幸せにしてくれているひな自身がその舞台で最高の笑顔で輝けるように全身全霊全力で支えていきたいと思っています。パリオリンピックに向けて早田ひな、チームひな、TEAM JAPANへのあたたかいご声援を何卒よろしくお願い致します。

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