地震から3週間がたった1月22日午前2時、今年初めて漁に出た。仕掛けた網は健在なのか、破れているのか分からなかった。珠洲市で漁業会社「小泊十六号定置網」の社長を務める上野登起男(ときお)さん(74)=珠洲市三崎町=は「海に出てみて勝負や。そんな思いだった」と出漁時の心境を振り返る。
●ブリ跳ね心躍る
固唾(かたず)をのんで網を引き上げた。バチバチと魚が元気に跳ねた瞬間「これで漁を続けられる」と心が躍った。船員8人も活気づいていた。獲れたのはブリやフクラギなど5トン。大漁とは言えないが、大きな一歩だった。蛸島漁港は地割れなどの影響で競りができないため、魚は金沢の市場へ。トラックに詰め込む作業を見守る上野さんの目は涙で潤んでいた。
上野さんは飯田高を卒業し、20歳から約30年、珠洲消防署に勤務した。漁師だった父と母を介護するため退職。今の会社に入ったのは52歳の時で、2016(平成28)年に社長に就いた。
正月は金沢市、能登町から娘と孫2人が帰省し、地震がくる前は孫と庭でキャッチボールをしていた。大きく揺れた後、外へ逃げ出し、泣きじゃくる孫に「大丈夫」と声をかけながら高台へ向かった。
●船は無事「奇跡や」
翌2日朝、港へ行くと、所有する全4隻は無事だった。思わず「奇跡や」と言葉が出たという。仲間の船のいくつかは沈み、航行不能の船もある。
現在は週1~2度漁に出ている。金沢の競り時間に合わせるため、普段より3時間早く船を出す。睡眠時間は1日2時間の日もあるが、働く喜びは眠気も吹き飛ばす。
2月はイワシのシーズンだ。「蛸島のイワシは最高やぞ。関東や関西からも人気なんや。漁をできることに感謝してやっていくわ」。地震の傷跡残る港に威勢のいい声が返ってきた。