【霞む最終処分】(18) 第3部 決断の舞台裏 中間貯蔵 根拠なき期間 「30年」あくまで目標

中間貯蔵施設の県内設置を知事・佐藤(左手前から2人目)に直接要請する首相の菅(右手前から2人目)。原発事故担当相・細野、官房副長官・福山も顔をそろえた=2011年8月27日

 2011(平成23)年8月27日、首相の菅直人は福島県庁で知事・佐藤雄平に頭を下げた。「国として福島県内で生じた汚染物質を適切に管理、保管する中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるを得ない」。東京電力福島第1原発事故に伴う除染で出た土壌を一時保管する中間貯蔵施設の県内設置を要請した。

 原発事故で飛散した放射性物質により県内は広範囲で空間放射線量が事故前よりも上がっていた。政府は線量を下げるための除染の本格化を見据え、県内各地で大量に発生する除染土壌を集約し、安全に保管できる場所を必要としていた。

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 官房副長官の福山哲郎は県への要請に先立ち、中間貯蔵施設の整備を県に受け入れてもらうため水面下で調整に動いた。県からは「中間貯蔵」の保証となる福島県外への搬出期限を示すよう求められた。

 福山は「最終的に県外に持ち出すとの前提がなければ、話が全く先に進まない」と肌で感じた。環境省が2011年6月に示した「県内への最終処分場建設構想」に対する県民の拒否感は想像以上に根強く、県側の理解を得るには県外最終処分の約束が不可欠だった。ただ、除染土壌の一時保管の期限を示そうにも、過去に類似する事例がなく、明確な判断材料はなかった。

 福山は県幹部らと議論を重ねた末、「30年以内に県外で最終処分」との結論を導き出した。「あまりに短い期間では無責任になる。長過ぎても福島県民は受け入れ難い。その間を取る難しい判断だった」と回顧する。「少なくとも廃炉の完了よりも早く、福島県から土壌を搬出する」との目標の意味合いが強かった。根拠に乏しいものの、後に法律で明文化した。

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 「30年」を実現するため、環境省は中間貯蔵施設整備の検討と並行し、県外で最終処分する方法の議論も始めた。県内各地の除染で出る土壌の量は膨大になると想定され、全てを県外に運び出すのは現実的ではなかった。菅内閣で原発事故担当相を務め、続く野田内閣で環境相を引き継いだ細野豪志は「中間貯蔵施設に集めた土壌を県外で最終処分するため、県内外で再生利用を進めるべきだ」と主張した。放射性物質濃度が比較的低い土壌を公共工事などで使えば、最終処分量を相当程度減らせるとの算段だった。

 中間貯蔵施設は県と大熊、双葉両町の受け入れ容認を経て整備され、2015年3月に除染土壌などの搬入が始まった。2023(令和5)年末時点で運び込まれたのは約1375万立方メートル。東京ドーム11個が満杯になる量だ。環境省は、このうち4分の3は放射性物質濃度が比較的低く再生利用できるとしている。だが、実現に向けた県外での実証事業は住民の反発で頓挫したままだ。

 細野は「再生利用は福島の復興のために絶対に乗り越えなければならない壁だ」と訴え、政府の責任で進める必要があると指摘する。「当初から携わってきた自分は当事者だ。結果を出すため最後まで関わり続けなければならない」と自らに言い聞かせた。(肩書は当時、敬称略)

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