逃亡生活の苦しみ「並大抵のものではない」 それでも桐島聡容疑者に「自首」とどまらせたもの

全国各地に掲示されていた桐島容疑者の指名手配写真(警視庁サイトより)

1970年代に起きた連続企業爆破事件に、実行犯として関与していたとして指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、先月29日に神奈川県鎌倉市の病院で死去した。

桐島容疑者は、明治学院大学在学中に過激派「東アジア反日武装戦線」(日本のアナキズム系の極左テロ集団)に所属。1975年4月に、銀座の韓国産業経済研究所爆破事件に関与した疑いにより、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた。

桐島容疑者は、なぜ自首しなかったのだろうか

桐島容疑者が指名手配されてから約50年。逃亡生活を続けさせた理由は、本人の死により尋ねることはかなわない。報道によると桐島容疑者は偽名を用い、80年代から神奈川県藤沢市内の工務店で住み込み就労し、銀行口座は持たず、給与は現金手渡しだったという。さらに、今回の入院時には、保険証など身分を証明するものを所持していなかった。

偽名を使い、身分証も持たない状態で逃亡し続けた桐島容疑者の心情はいかなるものだったのか。東アジア反日武装戦線で桐島と行動を共にした黒川芳正は1987年に無期懲役が、宇賀神寿一も1990年に懲役18年の刑が確定したことを知り、人生を塀の中で終えたくないという理由から半世紀近くも逃亡生活を続けたのか。

桐島容疑者が事件を起こしたのは1975年、彼が21歳の青年時代である。「若い時の過ちなら、50年も逃亡せず早目に自首しておけばもう少し幸せな人生を送れたのではないか」というむきもある。

自首とは刑法第42条1項に「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減刑することができる」と、規定されている。確かに桐島容疑者は「自首しておけばもう少し幸せな人生を送れた」かもしれない。一方で、同輩が無期懲役判決を受けたことを知った容疑者は、逃げ続けてやると腹をくくった可能性も否めない。

交番に掲示されていた桐島容疑者の指名手配ポスター

毎日のように「出頭しようか、出頭すべきだ」と煩悶

逃げ続けることの苦しさは、並大抵のものではない。『死刑囚になったヒットマン――「前橋スナック銃乱射事件」実行犯・獄中手記』(文藝春秋、2024年)に記された小日向将人死刑囚の述懐を読むと「関係のない人を巻き込んでしまった罪悪感から、毎日のように『出頭しようか、出頭すべきだ』と何度も思いましたが、家族が組織に狙われることが心配で、どうすることもできませんでした」と煩悶(はんもん)していた様子が窺える。

そして、潜伏先のフィリピンでは、自室で幽霊を見て「私はスナックの事件で亡くなった方々の霊が出たのだと思い(中略)教会に行き祈りをささげました」という。

※ 前橋スナック銃乱射事件:2003年、暴力団抗争によって一般人3人が犠牲になった事件

桐島容疑者の事件では、死者こそ出ていないものの、当時は世間の耳目を集める大きなニュースであったことから、裏社会でいうところの「サツヨレ」、すなわち、常に警察官に見張られているような錯覚が生じ、心休まる暇がなかったのではなかろうか。桐島容疑者も「出頭しようか、出頭すべきだ」と煩悶したであろうことは想像に難くない。

こうした重大事件の実行犯は、逮捕されたら人生の大半を刑務所に収容されて過ごすことになる。万一、行動を共にした黒川芳正のように無期懲役判決を受けたら一生娑婆(しゃば)の空気を吸えず、獄中死も考えられるのだ。

なぜ「自首」できないのか

自首は簡単そうで難しい。筆者が就労支援や保護司で対応してきた刑余者をみると、そもそも犯罪の実行に着手する際、リスク面の認識が甘いケースが散見される。例えるなら「飲酒運転しても自分なら捕まらない」というような根拠なき甘さだ。刑余者のケースを見るに、犯行が短絡的であり、想定される結果の想像力が欠如し、先の見通しができない人が一定数存在する。

さらに、その犯罪を、責任の否定(仕方なかった。社会が悪い)、加害の否定(盗んだんじゃなく借りてただけ)、被害者の否定(あいつの態度が悪かった)、被害者の非難(自分たちだけいい生活しやがって)、忠誠心への訴え(仲間のためにやった)等の理屈で、犯罪を合理化・中和している。これでは、自分の行為に反省がなされず、自首など望むべくもない。

現代社会ならではの「自首しづらさ」

ただ、そうはいっても、すべての犯罪者が自首をしたくないわけではない。昨今横行している闇バイトなどの従事者のケースでは、「逮捕されたから(闇バイトを)やめられた」「逮捕されてホッとした」等という声がある。

一方で、自首して逮捕された場合、刑罰を受けることに加えて、社会的な制裁を恐れる声も側聞する。それはたとえば、銀行口座が開設できないことや、ネット上に残るデジタルタトゥーにより就職できないことなどである。

昨今の日本社会は厳罰化傾向にある。加えて、デジタルタトゥー問題にみられる犯罪情報の社会における共有、銀行口座等の契約主体になれなくなる可能性などから、1970年代の桐島容疑者の事件当時より自首がなされにくい環境にあることは否めない。

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