天皇皇后両陛下 お誕生日一般参賀の中止も一時ご検討…示される被災者の悲しみに寄り添うご覚悟

2023年4月、天皇ご一家はご御料牧場で静養された /(C)JMPA

東京の都心で16度を超え、暖かい空気が包んだ2月1日の昼下がり。嘱託職員として内定を受けられて以降、愛子さまは初めて日本赤十字社(以下・日赤)本社を訪問された。

「内定者向けの説明会などに出席するため、5時間ほど日赤本社に滞在されていました。ほかの内定者との顔合わせもあったようですし、4月1日からの新生活に期待を膨らませていらっしゃるご様子だったと聞いています」(皇室担当記者)

本社に到着された愛子さまは、車の窓を開けて、笑顔で日赤関係者にほほ笑みかけられていた。東日本大震災の被災地で活動していた災害ボランティアに関心を寄せ、ご自身も困難な状況に置かれた人々を助けたいという思いに突き動かされている愛子さま。日赤への就職を決断された“独り立ちの春”に向けて、着々とご準備を進められているようだ。

そして天皇陛下と雅子さまも、ある“ご決断”と向き合われていた――。

「2月23日に、天皇陛下は64歳のお誕生日を迎えられます。お誕生日に際しての一般参賀は2月6日に実施が発表されましたが、両陛下は新年一般参賀に続き、お誕生日の一般参賀も一時は中止も検討されていたのです。能登半島地震の被災者の苦境に思いを寄せ、“国民に祝ってもらう時期ではないのではないか”と悩まれていたのです」(宮内庁関係者)

コロナ禍で取りやめになってきたお誕生日の一般参賀だったが、昨年ようやく行動制限などが緩和されたため、無事に開催することができていた。名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう話す。

「新年やお誕生日の一般参賀で天皇陛下が述べられる『おことば』は、お気持ちを国民に対して伝えられる数少ない機会の一つです。

なぜなら、招待団体などとの関係で言及しなければならない要素が多い各種式典や行事でのものとは異なり、一般参賀での『おことば』には“国民に語りかける”色彩がはっきりと表現されているからです。

もし、両陛下が中止を決断されたのなら非常に残念なことです。しかしそうなれば、“国民と苦楽を共にする”というお気持ちからなのでしょう」

■被災地お見舞いに立ちはだかる“壁”

能登半島地震の発生から1カ月が過ぎた。しかしなお、行方不明者の捜索や、上下水道などのライフラインの復旧作業は各地で難航している。

2月1日時点で、石川県での死者は240人、被災した約1万4千人が厳しい寒さのなか避難生活を余儀なくされている事態に、両陛下はご心痛を深められているという。前出の宮内庁関係者は、

「両陛下は復旧の進捗などについて、常に気にされながら新聞やテレビをご覧になっています。両陛下は一刻も早く現地に赴かれ、被災者をお見舞いして苦しみや悲しみに寄り添われたいとお考えになっているそうです。

しかし、雪などの気候や能登半島特有の地理的な要因もあり、インフラなどの復旧作業は厳しいものになっています。こうした状況もあって、宮内庁も石川県側とご訪問に向けた具体的な調整に入れていない段階です。両陛下によるお見舞いは、早くても3月にずれ込んでしまうのではないでしょうか」

だが奥能登の被災地へのお見舞いに立ちはだかるハードルが高くとも、雅子さまはご体調の波と向き合われながら、愛子さまの“独り立ち”に母として奮起されているのだ。

「復旧作業に負荷をかけないために、場所を絞って少ない日程で訪問されることになるでしょう。とくに津波被害も甚大だった珠洲市、輪島市、能登町を中心に、避難所や支援活動の拠点にお見舞いや激励に行かれるはずです。

能登空港の運用が再開されているものの、道路事情は万全とは言えません。アクセスは自衛隊のヘリコプターで行われ、現地での移動はマイクロバスを用いて、最小限の車両や人員での行程になると思います。

ハードなスケジュールや移動は、雅子さまのご体調にも多大なご負担となるはずです。しかし愛子さまにご自分の背中を見せられることで、被災者に寄り添うお気持ちを示したいともお考えのようです」(前出・宮内庁関係者)

愛子さまにも雅子さまと同じようなご覚悟が受け継がれていると、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは指摘する。

「戦後の皇室は、大きな自然災害の被災地を訪問し、被災者に寄り添われることで、国民との絆を形作ってきた歴史があります。

両陛下は、“深い悲しみや困難な生活にある国民の立場を最も優先する”というなさりようを、しっかりと愛子さまに教え導かれているとお見受けしています。

愛子さまの“困難な立場にある人々のために尽くしたい”という信念は、幼少期から両陛下のご姿勢からも受け継がれたものにほかならないと思います」

■22年の感謝を込めたプレゼントに…

日赤への就職ご内定が発表された際、“うれしく思うと同時に身の引き締まる思い”というお気持ちを愛子さまは表明されている。確固とした“信念”があるからこそ、被災し苦境にある人々に寄り添いたいとのお気持ちも強いと、前出の宮内庁関係者は明かす。

「愛子さまが日赤ご入社後に所属する部署は現時点で発表されていませんが、ボランティア活動を支援する部署に配属される可能性も十分にあります。すでに試験や卒論の口頭試問なども一段落しており、愛子さまは“春休み中にボランティアとして能登地方に行きたい”ともお考えだと聞いています」

成人皇族としてご公務との両立を果たされながら日赤で働く日々は、多忙なものになるとみられている。

「愛子さまのお出ましを願い出る関係機関が多数に及ぶことが見込まれており、日赤へのご出勤は週2~3日とみられています。愛子さまの同期にあたる事務系総合職の職員は週5日勤務で、初任給は約22万2千円。愛子さまはその6わりほどの出勤日数となりますから、初任給の金額は13万3千円前後でしょう」(前出・皇室担当記者)

成年に際した記者会見で、「生んでくれてありがとう」と、両陛下への感謝を愛子さまは述べられていた。初任給は、22年の感謝を込めたプレゼントに――。

「天皇ご一家は、お誕生日などの記念日にはプレゼントを欠かさずに贈り合うことを大切になさっています。令和となってからは、陛下と雅子さまはネクタイとスカーフの色や柄を合わせるリンクコーデを頻繁になさっています。さらに愛子さまが同行される際は、お三方で色合いをリンクさせていて、仲むつまじさがより引き立って表れているように感じています。

きっと愛子さまは、ご自身ともお揃いのスカーフを雅子さまに、そして陛下には同じトーンのネクタイなどを贈られるのではないでしょうか。そこには、今後臨まれるお務めも“家族一緒に力を合わせて”という愛子さまの真心も込められているように思えてしまいます」(前出・宮内庁関係者)

愛子さまのご誕生後に、「生まれてきてくれてありがとう」と述べられた雅子さま。これからもご家族で感謝し合い手を取り合われながら、国民と共に歩まれていく。

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