石川県南部の加賀市内にある温泉旅館。ロビーで新聞を広げる人が1人、2人…。すぐに把握できないほどの人が見入っている。ここは2次避難所に指定され、取材した1月下旬は約330人が身を寄せていた。
「地震後しばらくは情報を得ることも発することもできず、何がなんだか分からなかった」とは、会社員の男性(53)。輪島市内の孤立集落からヘリコプターで救助された。「ヘリの着陸場所が見つからなくて救助活動に支障が出た。閉校した校舎を壊し、整備しておくべきだった」。鹿児島でも考えてみてほしい教訓だと振り返る。
男性は集落にいた約170人と、10日以上孤立した。1日1食。湧き水をくみ、正月料理を持ち寄って空腹をしのいだ。「6キロも痩せた」と腹をなでる。情報不足も深刻で、徒歩でたどり着いた取材記者から、外部の状況を聞くこともあったらしい。
ふと思った。「歩けば脱出できたのか」-。答えを聞き、自分の浅はかさを思い知った。「正直に言って『命知らず』だ。地元を知っていれば怖くてできない」。確かな情報は命を守ると、男性の苦笑いを見て痛感した。
〈能登半島地震「被災地を歩いて~本紙記者ルポ」より〉