クイーン+アダム・ランバート4度目の来日公演!ラプソディ・ツアーの全容はいかに  来日公演が大盛況!クイーン+アダム・ランバート

クイーン+アダム・ランバート4度目の来日公演

2月4日からクイーン+アダム・ランバートのジャパンツアーが始まった。亡くなったフレディ・マーキュリーに代わって『アメリカン・アイドル』出身のアダム・ランバートがリードシンガーを務めておよそ12年、オリジナルメンバーたるブライアン・メイとロジャー・テイラーとの3人体制となって4度目の来日公演は、いつになく熱い注目が集まっている。

それはコロナ禍が明けて、本格的なビッグネーム系海外アーティストの来日ラッシュが、2024年の幕開けとともに “東京ドーム” 公演という形で立て続けに旋風が巻き起こっているのも一因だ。ブルーノ・マーズ驚異の7公演を皮切りに、ビリー・ジョエル、テイラー・スウィフトに続いてクイーンが参戦。しかもクイーンにとって意外にも初の “東京ドーム公演” (東名阪+札幌すべてがドーム公演!)となるわけで、あらためて日本のファンによるクイーンへの厚く根強い支持、というか長い歴史の中で培われてきた親和性、いや信頼性みたいなものを感じざるをえない。

そうなんだよね、そもそもクイーンは本国以外ではアメリカに先駆けて日本で大きな人気を獲得していたアーティストだったということを、デビュー50年となった今になって痛感させられる。

海外より先に日本で人気を得たクイーン

世界を席巻した映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)のヒットによって、急増した新たな若いファンには知る由もないが、長い洋楽の歴史の中でも異例中の異例な事態、クイーンは海外より先に日本で人気を得た先駆者的存在だった。

初のワールドワイド・ヒットとなったシングル「キラー・クイーン」を収録した出世作たるサードアルバム『シアー・ハート・アタック』(1974年)以前の2枚のアルバム、ファースト『クイーン(戦慄の王女)』(1973年)及びセカンド『クイーンⅡ』(1974年)は、本国イギリス以外では日本でのみチャートインしており、デビューシングル「炎のロックンロール」は主に日本の女性ファン人気が強い逸品だった。

なんといってもようやく世界的知名度が上昇した『シアー・ハート・アタック』のリリース直後、1975年4月には日本武道館!を含む全国7カ所のホールツアーという来日公演が実現していたのだから、日本における特に女性ファンによる “ミーハーパワー”(褒め言葉です!)は驚異的としかいいようがない。後にチープ・トリック、ジャパン、そしてデュラン・デュランといった、いわば “ビジュアル先行型” アーティストによる日本先行人気パターンが出現してはいるが、クイーンの規模には到底及ばない。

「オペラ座の夜」のメガヒットで洋楽ファンの認知度が歴然と上昇

周知のとおりシングル「ボヘミアン・ラプソディ」(1975年)及び同曲を収録した4枚目のアルバム『オペラ座の夜』(1975年)のメガヒットによって、男性ロックファン~通常の洋楽ファンの認知度が歴然と上昇、クイーンファンのすそ野が一気に広がっていった。かくいう筆者も「ボヘミアン・ラプソディ」ヒット時は中学1年の3学期、以降恒常的にクイーンのヒットソングは耳にすることに。

事実、バンドの最盛期というのはこの1970年代後半~1980年代中盤を指すわけで、オリジナルアルバムでいえば『オペラ座の夜』、『華麗なるレース』(1976年)、『世界に捧ぐ』(1977年)、『ジャズ』(1978年)、『ザ・ゲーム』(1980年)、『ホット・スペース』(1982年)、『ザ・ワークス』(1984年)といったアルバムたち、及びそれらから生まれた数々のシングルヒットが残されている。

ブライアンとロジャーが織りなす “クイーンサウンド” を堪能できる幸せ

ⓒ Photo by Hiromichi Satoh

おそらく今回の “ザ・ラプソディ・ツアー” と銘打たれた日本公演は、これら最盛期のヒットシングルたち中心に構成されると思われる。いわば日本独自のヒットを含む “ベスト・オブ・ベスト” なステージになることであろう。ライヴエイドや映画での名シーンが印象的だった「ボヘミアン・ラプソディ」や「レディオ・ガガ」はもとより、全米ナンバーワンとなった「愛という名の欲望」「地獄へ道づれ」、定番曲「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「愛にすべてを」、昨年末の『NHK紅白歌合戦』のパフォーマンスも記憶に新しい「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、「手をとりあって」「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」など、会場全体が大合唱になる様子が目に浮かぶ。

昨今は、イギリス、日本でのみで話題になっていた最初の2枚のアルバムの再評価が著しい。往年のファンにとっては重々承知のことであろうが、『戦慄の王女』及び『クイーンⅡ』には、特にヘヴィメタルやグラムロック、そしてプログレッシブロック感の強い、若い血潮みなぎる粗削りなインディな感触が前面に押し出されている。いわば多様な音楽性を下地としたシアトリカル / オペラチックで大仰なメジャー感あふれる『オペラ座の夜』以降のアルバムとは明らかに一線を画していたといえよう。

しかし、この初期2枚のアルバムからは、さしたる世界的なヒットシングルは生まれていないし、アダム・ランバートが歌う必然性みたいなものが見えにくいのかもしれない。いつかこれら不思議な魅力にあふれた時期の作品をも生で聴かれることを密かに期待しつつ、ブライアンとロジャーが織りなす “クイーンサウンド” を堪能できる幸せを、大いに噛みしめようではないか。

カタリベ: KARL南澤

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