『瞳をとじて』ビクトル・エリセ監督 映画は観客の意識に対して開かれたもの 【Director’s Interview Vol.384】

伝説の映画作家が帰ってきた。1940年生まれ、スペイン・バスク地方出身のビクトル・エリセ監督――。日本のミニシアターブームを代表するヒット作となった『ミツバチのささやき』(73)や『エル・スール』(83)は珠玉の名作として知られ、現在も世界中のシネアストやクリエイターたちに多大な影響を与え続けている。かつて「10年に1本」のペースと囁かれた寡作のエリセ監督だが、画家アントニオ・ロペス=ガルシアの制作風景に迫ったドキュメンタリー映画『マルメロの陽光』(92)以来、今回の新作はなんと31年ぶりの発表となった。それが長編第4作『瞳をとじて』だ。

物語は『別れのまなざし』という未完の映画をめぐって展開する。22年後、その撮影中に謎の失踪を遂げた主演俳優フリオの行方を捜索するテレビ番組への出演依頼をきっかけに、元映画監督ミゲルがフリオと過ごした自らの半生を追想していく。「記憶」と「映画」と「人生」の三題噺といった趣の169分の旅。本作は第76回カンヌ国際映画祭カンヌプレミア部門に出品されたほか、フランスの映画誌カイエ・デュ・シネマの2023年度ベストテン第2位にも選出された。しかし作品の内実はそういった賞賛の遥か上を行くもの。監督の自伝的な要素が色濃い映画についての映画――メタシネマの最高峰と言っても過言ではない。

そんな新たな大傑作を届けてくれた御年83歳の巨匠に、今回メールを通じてインタビューすることができた。貴重な言葉の数々をしっかり噛み締めたい。

※最後の章は物語の核心に触れております。予めご了承の上お読みください。

劇中映画というアイデア


Q:本当に素晴らしい最新作を拝見して感激しております。今回の映画はいつ頃から、どのようにしてスタートしたのでしょうか?

エリセ:『瞳をとじて』は数年前に書いた物語から生まれました。主演俳優の失踪によって撮影が中断され、二度と再開されなかった「未完の映画」の話です。その未完の映画に、当初あまり重要性はありませんでした。ですがのちに、登場人物として映画監督を入れることを思いつき、重要な意味を持つようになりました。つまり劇中映画――映画の中のもう一本の映画というアイデアを、この登場人物が持ち込んだからです。

『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

こうして2021年5月、私はプロの脚本家ミシェル・ガズタンビデ(※筆者註:1959年フランス生まれ、スペインのバスク地方を拠点とする脚本家。エンリケ・ウルビス監督の『悪人に平穏なし』(11)やハイメ・ロサレス監督の『ペトラは静かに対峙する』(18)などミステリータッチの脚本を手掛けている)を呼んで、共同脚本の執筆を始めたのです。

無意識の引用と言及


Q:主人公となった映画監督のミゲル(マノロ・ソロ)は未完の映画『別れのまなざし』の撮影を中断した1990年から、作家や翻訳業の仕事に移り、劇中設定の「現在」である2012年まで22年間映画を撮っていません。また若き日に、特に政治の季節と呼ばれる1960年代後半、フランコ独裁政権の弾圧と闘った世代であることも映画の中で示されます。このミゲルは、エリセ監督の自画像が投影された人物(あるいはそれに準じるもの)と捉えてよろしいのでしょうか?

エリセ:私の想像から生まれたアイデアですし、映画監督という登場人物について考える場合、自伝的な人物になる可能性については、ほとんど避けられないことです。しかし私が危惧するのは、それが結局、映画をご覧いただく方々にとって、この架空の人物像についての理解の幅を狭めてしまうのではないかということです。

確かに私はミゲルに、自分の個人的な要素を幾つか入れたことは否定しません。ただ一方で、『瞳をとじて』は私の31年ぶりの映画ということがよく強調されますが、その長い間、私が映画を撮っていないというのは事実ではないのです。短篇や中篇は撮っていますし、確かに数は多くないですが、美術館のためのビデオ・インスタレーション作品などもあります。つまりミゲルの歩んできた道は、決して全てが私の人生と重なるわけではない。少なくとも、彼は私よりずっと歌が上手ですね。

『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

Q:(笑)。あくまでフィクションであり、全てを監督ご本人との同一視に回収するのは良くないということですね。監督がいまおっしゃった「歌」というのは、ミゲルが海辺の自宅で仲間たちを前にギターを弾いて歌う「ライフルと愛馬」(My Rifle, My Pony and Me)――ハワード・ホークス監督の西部劇『リオ・ブラボー』(59)のディーン・マーティンが歌う挿入歌のことです。またミゲルの親友である映画編集者マックス(マリオ・パルド)はフィルムコレクターでもあり、彼の自室には『夜の人々』(48/監督:ニコラス・レイ)や『チャップリンの殺人狂時代』(47/監督:チャールズ・チャップリン)などのポスターが貼ってあります。これらはあなたの創作に影響を与えた偉大な映画たちへのオマージュと捉えてよろしいですか?

エリセ:影響を受けた映画はたくさんあります。今回の引用や言及に関しては、計画的なものではなく無意識に行ったものです。当然、私にとって大切な映画作品や映画人ばかりが『瞳をとじて』の中に現われているように思います。

未来の予測は難しくなった


Q:31年前の長編第3作『マルメロの陽光』が公開された1992年の時点の公式コメントで、エリセ監督は19世紀末にリュミエール兄弟が開発したシネマトグラフ(映写機)を100年ほど前に実った生命の樹木の果実にたとえつつ、だがそれはいまや消滅の危機に瀕している、と語っていました。今回の『瞳をとじて』は「映画の死」という主題が全面化(あるいは前面化)しているように思います。編集者のマックスは自宅に大量のフィルムを保管して、「映画の死」に対して孤独に抗っている、あるいは映画と一緒に自ら滅んでいくような覚悟を感じさせる人物に映りました。また本来、複製芸術である映画を、絵画のように保管しているのは興味深い光景でした。エリセ監督は、これから先、映画もしくは映像メディアはどのような形で続いていく、あるいは変化していくと思われますでしょうか?

エリセ:私は預言者でも哲学者でもありません。単なる映画監督ですので、常に謙虚でありたいと考えています。しかし時折、自分自身がほとんど答えを持っていないような、重大で超越的な問いを投げかけられることがあります。いま私たちが生きている時代は、世界で人類学的な変化が起こっている時代だ――それが私の考えです。映画の未来についてだけではなく、人類の未来についても推測することは、とても難しい状況になっていると思います。

ちなみに『瞳をとじて』はフィルムとデジタルで撮影しました。いつもと違ったのは製作予算が比較的大きかったので、撮影現場では私の周りに、より大勢のプロのチームがいたことですね。

『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

Q:ちなみに失踪する俳優フリオ(ホセ・コロナド)には具体的なモデルがいるのでしょうか。あるいは彼の人物像や、彼をめぐるエピソードは、どのようなものが着想になったのか、教えてください。

エリセ:モデル? モデルというなら、彼自身がそうです。映画の中のフリオは、日常生活の中のホセ・コロナドそのものです。架空の人物を演じる俳優という仕事で糧を得ている人物。すなわち誰にでもなれ、同時に誰にもなれない人物です。

Q:俳優フリオと離れて暮らす娘、いまはプラド美術館の職員として働く女性アナ・アレナス役で、アナ・トレントさんが出演していることが大きな話題となっています。もちろん2011年、東日本大震災を受けたオムニバス映画『3.11 A Sense of Home Films』の中で短篇『アナ、3分』を撮ってらっしゃいますが、『ミツバチのささやき』の少女アナ役としてスクリーンに登場した時、撮影時6歳だった彼女が、再びエリセ監督の世界に本格的に帰ってきてくれたことに、我々ファンは涙を禁じ得ません。

エリセ:いまや彼女はプロの俳優ですからね。成長したアナは演劇を学ぶためにニューヨークに行きました。私たちは50年間、友情を育み続けたのです。2021年末のある夜、アナが出演していたマドリードの劇場の出口で、私は彼女に話しかけました。「いま映画の脚本を書いている。登場人物のひとりをぜひ演じて欲しい」と。彼女は即座に承諾してくれました。それくらい簡単な出演交渉でした。

アナ・トレントである意味

※この章は物語の核心に触れております。予めご了承の上お読みください。


Q:『瞳をとじて』には『ミツバチのささやき』のセルフオマージュがありました。記憶をなくした父フリオと施設で再会した時、アナ・トレントさんは「ソイ・アナ(私はアナよ)」と、『ミツバチのささやき』と同じ台詞を2回呟きます。

エリセ:その通りです。『瞳をとじて』の脚本にあのシーンを入れたのは、50年前に『ミツバチのささやき』で同じ台詞を言ったアナ・トレントのシーンを想起させるためです。今回、このシーンを撮影した時、アナと私は大きな感動を覚えました。

『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

Q:そのアナ・トレントも場に参加しているラストシーンが素晴らしかったです。記憶をなくした元俳優のフリオが、失踪前に出演した最後の映画『別れのまなざし』を(閉館した)映画館で観る。この時、喪失した「記憶」と、スクリーンに映し出される「映画」が奇妙な形で交わることになる。その重層的なイメージの交感があまりに美しくて、涙が出ました。これは『ミツバチのささやき』の序盤、『フランケンシュタイン』(31/監督:ジェイムズ・ホエール)の上映会を彷彿させるシーンでもあるかと思います。エリセ監督はどのような意図を、あるいは祈りをこのラストシーンに込めたのでしょうか?

エリセ:明白な意図はありませんでした。このシーンの意味は私自身の意図や解釈に閉鎖されたものではなく、観客の意識に対して開かれたものです。映画をご覧になった皆さんが自分の内側で、各々自分の知性や心の中で、ひとつの答えを見つけるべきだと思っています。

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監督/脚本:ビクトル・エリセ

1940年6月30日、バスク自治州ビスカヤ県カランサ生まれ。マドリード大学で法学・政治学・経済学を学んだ。1960年に国立映画研究所(国立映画学校の前身)に入学、映画の演出を学び、映画批評雑誌「ヌエストロ・シネ」等に映画批評を寄稿する。1961年の『テラスにて』(未)以後、数本の習作短編映画を監督。並行して、『次の秋』(アンチョン・エセイナ、67、未)の脚本執筆参加と助 監督の兼任や、『あいまいな八月の夢』(ミゲル・ピカソ、68、未)の脚本執筆に参加する。オムニバス映画『挑戦』(69、DVD 発売のみ)の第三話の監督を担当し、商業映画監督としてデビューする。その後長編第1作『ミツバチのささやき』(73)を発表、国内外で高い評価を受けた。しかし長編第2作「エル・スール」(83)を発するまで、約10年間映画作りから遠ざかっていた。同作は製作トラブルによって当初予定されていた後半部分の撮影が実現しなかったが、現行版は充分に完 成された傑作との評価を確立している。『エル・スール』に次いで、またしてもおよそ10年の空白期間を経た後に、画家アントニオ・ロぺス=ガルシアの製作作風景に迫った半記録映画『マルメロの陽光』(92)を発表。同作は第45回カンヌ国際映画祭審査員賞・国際映画批評家連盟賞を受賞した。長編作品は『マルメロの陽光』以来、本作『瞳をとじて』公開までに31年もの時を経て第4作目となる。『マルメロの陽光』以後、オムニバス映画『10ミニッツ・オールダー』(02)内の一篇『ライフライン』、『ラ・モルト・ルージュ』(06)、 オムニバス映画『3.11 A SENSE OF HOME FILMS』(12)中の『アナ三分間』、オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』(12)の一篇『割れたガラス』を発表。いずれも短編映画である。2006年にはバルセロナ現代文化センターやパリのポンピドゥー・センターで、イラン人映画作家アッバス・キアロスタミとの共同インスタレーション(ヴィデオ往復書備)を発表した。エリセは溝口健二監督のスぺインにおいて初となる長文論考を執筆・出版するほどに溝口を敬愛しており2006年には溝口没後50年のシンポジウムに参加した。また2011年には東日本大震災を受け製作された『3.11 A SENSE OF HOME FILMS』にも参加し一篇を担当する。これまでに5度の来日実績があるほどに日本とは特に深い関係性を築いている。

取材・文:森直人(もり・なおと)

映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「キネマ旬報」「シネマトゥデイ」「Numero.jp」「Safari Online」などで定期的に執筆中。YouTubeチャンネル「活弁シネマ倶楽部」でMC担当。

『瞳をとじて』

2月9日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国順次ロードショー

配給:ギャガ

© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

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