「桐島聡」だけじゃない 行方不明になって「無縁」の最期

1974~75年に起きた連続企業爆破事件に関与した疑いで、警察から指名手配された「桐島聡容疑者」(70)を名乗る男が2024年1月29日、入院先の病院で亡くなった。半世紀近く姿をくらましていたが、死ぬ間際になって「自分は桐島聡」だと明かした。

もし名乗らなかったら、どうなっていたのだろうか――。実は行方不明になって、「無縁」のまま亡くなるなど、数奇な人生を送る人は意外に多い。

年間約8万人が「行方不明」

警察庁は毎年、全国の行方不明者の統計をまとめている。これは、親族などから警察に「行方不明になっている」という届けがあった人の累計だ。2022年は8万4910人。見つかった人は8万653人。そのうち死亡での確認は3739人。

大半の人は、届け出から1か月以内に消息が判明している。しかし、年間の行方不明者数から、消息が確認できた人数を差し引くと、見つからない人が4000人ほどいると推計できる。

一方で、亡くなっても身元が判明しない人もいる。日経新聞(2019年2月3日)によると、東京では警視庁が年間約2万体の遺体を変死、事故事案として取り扱っている。このうち120~130体は、人定できない。そのまま、同庁管内の寺や役所などに約3000の遺骨が安置されている。全国では累計で約2万体にのぼるという。

「逃亡」「浮浪」「逃散」「逐電」「出奔」

急に世間から姿を消す人は、大昔から存在した。古くは奈良時代。農民らの「逃亡」や「浮浪」が多発した。律令体制の重い税負担から逃れるためだった。中世以降、村民が丸ごと村を捨てる「逃散」も頻発した。これも年貢が払えない、などの理由が多かった。

江戸時代は、何らかの理由で「逐電」や「出奔」する人がいた。「逐」は「追う」、「電」は「稲妻」のこと。「逐電」とは、稲妻を追いかけるかのように素早く姿をくらますという意味だ。「出奔」は、武士の失踪を指す。

高度成長の余波で、世の中が混とんとしていた1960年代には、「蒸発」が社会問題になった。仕事を求めて、地方から大都市圏に出てきた人が、いつの間にか消息不明になる。年間の行方不明者は約8万人から10万人近くまで増えていた。

67(昭和42)年には、今村昌平監督の映画『人間蒸発』が公開された。実際に失踪したセールスマンの行方をその婚約者と共に追う、というドキュメンタリー設定の作品だった。キネマ旬報第2位になるなど高く評価された。68(昭和43)年には「蒸発のブルース」という歌も登場した。

「失踪宣告」「行旅死亡人」

長く行方不明の状態が続くと、「失踪宣告」される場合がある。生死が7年間明らかになっていない、などの条件が整えば、法律的には死亡したとみなされる。利害関係人(不在者の配偶者、相続人にあたる者、財産管理人など)が裁判所に申請する。年間2000人以上が宣告されているという。

身元不明者については、別の統計もある。「行旅死亡人」だ。主として「行き倒れ」を指していたが、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者も含まれる。年間600~700人にのぼるという。

「行旅死亡人」の取り扱いは、行旅病人及行旅死亡人取扱法という法律に基づいている。死亡推定日時や発見された場所、所持品や外見などの特徴などが、官報に掲載され公告されている。

最近では、共同通信記者が書いた『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)が話題になった。2020年に現金3400万円を残したまま亡くなり、行旅死亡人と認定された兵庫県の高齢女性の半生に迫ったノンフィクションだ。

『レ・ミゼラブル』や『飢餓海峡』

広義の失踪者の中には、「桐島聡」のような逃亡者もいる。ビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』や水上勉の『飢餓海峡』の主人公は、過去に罪を犯し、名前を変えて別人生を歩んでいた。

警察によると、2023年8月末段階で、全国の各警察から指名手配され、逃げていたのは約540人。直近では14人が、特に警察庁が指定している重要指名手配被疑者で、「桐島聡」はその中の最古参だった。

「桐島聡」を名乗った男は、神奈川県藤沢市内の工務店で長年、「内田洋」として働いていた。市内の音楽バーなどにはよく顔を出し、「うっちー」とも呼ばれていたという。口ひげを生やし、指名手配写真とは似ても似つかぬ風貌に変わっていた。

生前、周囲に自分の過去は語らなかったという。もしも最期に「桐島」と名乗らなかったら、身元を調べる手掛かりがない状態が続いて、「行旅死亡人」になっていたかもしれない。

元過激派活動家の中には、爆発物取締罰則違反で指名手配されたが、時効が成立、いまだに消息不明の人物もいる。

© 株式会社ジェイ・キャスト