“客人”の映画作家ヴィム・ヴェンダース “スランプ”を経て『PERFECT DAYS』に至るまで

ヴィム・ヴェンダース監督が100%日本資本のもと全編東京ロケを敢行した『PERFECT DAYS』(2023年)が、日本映画として米アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた。3月10日の授賞式でもし受賞を果たすと、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』(2021年)以来2年ぶりの日本映画受賞となる。おそらく最大のライバルは、ジョナサン・グレイザー監督『関心領域』か、もしくはイタリアのマッテオ・ガローネ監督『Io Capitano(原題)』あたりか。

また『PERFECT DAYS』としては、もし受賞すれば、昨年のカンヌ国際映画祭での主演男優賞(役所広司)&エキュメニカル審査員賞に続くメジャータイトルとなる。このようなタイミングで「リアルサウンド映画部」より、ヴィム・ヴェンダースという映画作家について総括的に書くよう要請があった。そこで、わが40年の長きにおよぶヴェンダース映画との付き合いをいったん総括しておきたいと思う。

ヴィム・ヴェンダースはドイツの映画作家ではあるが、ただの一度たりともドイツ的だったためしはない。ドイツで撮影された初期作品はいずれもまったくドイツ的ではないし、最もドイツ的たろうとしたふしのある『ベルリン・天使の詩』(1987年)ですら、東西ドイツ統一前のベルリンの壁でロケーションしていながら、心ここにあらず、ホームに帰ることを本能的に忌避さえしようとしている。その代わりに彼が戻ろうとするのは、つねに偉大なる映画の国アメリカである。ただし、若き日の彼が高らかに宣言していた「自分は史上最後のアメリカ映画作家となる」という言葉を、字義どおりに受け取るべきではない。かといって単なる妄言でもないのだが。

ハリウッドという磁場は、その100年超の歴史において異郷の才人たちを惹きつけ、彼らに輝ける場を提供したが、かといって彼らをホームランドとして気安く受け入れはしない。ハリウッドにおいて人間はいつでも、かりそめの「客人」でしかない。ヴェンダースがアメリカ映画に帰ろうとするのは、この「客人」でしかないという本質に絶えず意識的だったからである。ヴェンダースはアメリカ映画界に対してだけでなく、シネマそのものに対しても、怠りなく愛を表明し続けながらも、かりそめの「客人」としての水くさい態度を崩さなかった。

思えばヴェンダースの全盛期が過ぎ去ってから、どれほどの歳月が流れたのだろう? 観る人によって見解は分かれるだろうけれども、筆者が十代からフォローしてきた感覚からすると、代表作『ベルリン・天使の詩』からしてすでに、終わりかけ、腐りかけの香りを嗅ぎ取っていた。日本のNHKと共同で世界初のHDデジタルカメラを駆使して全世界を一周しながら撮影した『夢の涯てまでも』(1991年)が東京国際映画祭で披露上映された渋谷Bunkamuraオーチャードホールで、筆者はヴェンダースのキャリアが落日のもとにあることを確信した。

彼の全盛期を形成する『都会のアリス』(1974年)、『まわり道』(1975年)、『さすらい』(1976年)、『アメリカの友人』(1977年)、『ことの次第』(1982年)あたりといった作品群は、シネフィリー文化が花開いた時代性と同期しつつ、ドイツ人がこんなアメリカ的な無国籍映画を撮ることができるのか、という驚きに満ちていた。あの時代のヴェンダース映画の研ぎ澄まされた緊張感は、もう二度と戻ってこないように思われる。

ここで「ちょっと待った!」という読者諸賢の声が聞こえる。「たしかに劇映画という点ではあの時代に匹敵するものをヴェンダースは作っていない。でもドキュメンタリーとなると話は別だ」。

この反論に対して筆者は判断を保留する。たしかにヴェンダースは非常に優れたドキュメンタリストであり続けている。『夢の涯てまでも』以来30年以上におよぶ長期スランプにあるヴェンダースだが、ことドキュメンタリーに関していうとその限りではない。

1950年代アメリカを代表する映画作家ニコラス・レイの晩年を撮った『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(1980年)を皮切りに、小津安二郎の残滓を求めてさまよう『東京画』(1985年)、コム・デ・ギャルソンと並んで「黒の衝撃」で世界を震撼させたヨウジヤマモトと時間を共有する『都市とモードのビデオノート』(1989年)、ライ・クーダーの導きでキューバ音楽の古老たちを祝祭的に収めた『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年)、ピナ・バウシュの舞踊を継承するヴッパータール舞踊団を3Dで収めた『PINA/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年)、賛否両論あるブラジルの写真家の肖像『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』(2014年)など。

ヴェンダースの作るドキュメンタリーが観る人にもたらす充実した時間は否定すべくもない。しかしながら、それはヴェンダースの長期スランプの代償なのである。初期の『ニックス・ムービー/水上の稲妻』からしてそうなのだが、ヴェンダースは映画制作に行き詰まると、好きな対象にカメラを向ければ何か良いことが起こってくれるドキュメンタリーに逃避する癖があった。ドキュメンタリー部門の代表作『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を、筆者は決して幸福な映画だと思わない。あの作品にはヴェンダース自身の苦悩が痛々しいほどに張り付いている。

近年の劇映画である『誰のせいでもない』(2015年)、『アランフエスの麗しき日々』(2016年)、『世界の涯ての鼓動』(2017年)は、じつは決して悪い出来ではない。ただ、その悪くなさを今日、どれだけの人が享受し、感知し得たのだろうか。ヴェンダースが過去の人になるにしたがい、ジャーマンニューウェイブのもう一人のエース的な存在であるライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945~1982)の評価が生前時よりも跳ね上がり、1980年代まではヴェンダースが世界映画の次のリーダーとなるはずだったのに、今日では完全に評価が逆転し、ファスビンダーへの支持に大きく水をあけられている。人間の運命とは不思議なものだ。

そんなさなかに生まれ出たのが、『PERFECT DAYS』である。2023年末に日本で上映が始まり、「キネマ旬報2023年ベストテン」で無事に日本映画ベスト2位となったが、ポータルサイトのコメント欄などでは賛否両論というかむしろ否定論の方が優勢に思える。海外観客には見えづらい事柄だが、この映画の基盤となる「THE TOKYO TOILET」なるプロジェクトをめぐる座組みに反発があるのもうなずける。筆者もこの点は反発者側と同意見である。

そうだとしても『PERFECT DAYS』には無視しがたい魅力がある。ふだん東京に生きている者としては、観光客と違って東京スカイツリーにはなんの感慨も湧かないし、興味もない人が多い。ところが、ヴェンダースにかかるとなぜかそんな東京スカイツリーさえもが、小津安二郎映画におけるガスタンクのように、ユーモアと哀感をもって主人公(役所広司)の視線の先に気前よく屹立していたりする。ヴェンダースが上記のような座組みに対してどのような距離感をもって本作の製作に従事したのかは、判然としない。

ひょっとするとこの胡散臭い座組みも含め、これほど日本映画らしい日本映画は今日、存在しないのかもしれない。筆者は文頭でもヴェンダースがつねに「客人」であることに意識的な映画作家だと述べた。その「客人」たる資質が十二分に発揮されたのが、今回の『PERFECT DAYS』ではないか。本作の最大のテーマである「木漏れ日」にしてもそうだが、すべては過ぎゆくかりそめであり、責任を取ろうにも振り返る間もなく事物はあっというまに後ろへ去っていってしまう。主人公に何人かの人々がからんでくるが、結局のところ彼らは主人公の横を通り過ぎたにすぎない。主人公もセンチメンタルになるのはその当日の晩までであり、次の朝にはカラッとして前だけを見ている。あらゆるノスタルジーがこの無粋な男からは抜け落ちている。彼の視界ではバックミラーは黒く塗りつぶされている。

主人公のもとに家出した姪(中野有紗)が押しかけてきて、しばらく仲良くいっしょに暮らすことになり、他者との深い関係性を拒絶した独身機械たる主人公としてはめずらしい日々となる。ある夕景の中、隅田川にかかる桜橋を、伯父と姪の運転する2台の自転車が並走して渡る。このきわめて美しい数ショットは、もちろん小津安二郎『晩春』(1949年)における原節子と宇佐美淳へのオマージュであろう。「この川を下ると海になるの?」「そうだな」「海に行きたい」「こんどな」「こんどって、いつ?」「こんどはこんど、今は今」

「こんどはこんど、今は今」。これこそヴィム・ヴェンダースが途切れることなく、自身の映画生活においてやり果せてきたことである。今のこの時だけ、私とあなたは一緒にいる。しかし明日はもうそうではないだろう。墨田区の向島と台東区の浅草を渡す桜橋は、数学記号「X」字型の独特な形象をもつ。離れていたAとBがある地点で交わり、しばしの時間を並走しつつ、また離れていく。ヴェンダースを観てきた方なら誰もが、『まわり道』(1975年)の前半で、主人公リュディガー・フォーグラーを乗せた列車とハンナ・シグラを乗せた列車がしばし並走し、たがいに見知らぬこの男女が車窓と車窓で見つめあったあと、別々の線路に沿って分岐していくシーンを思い出すことだろう。リュディガー・フォーグラーは旅に出るために母親と別れたあと、次のように語っていた。

「母のことは遠く離れてからなつかしく思い出すのだろう。じき感傷もなくなった。天気がいい。カモメが乱れ飛んでいた。線路に沿う水路が印象的だった」

感傷も消えた孤独な独身者の視線の先に不意に現れる、線路に沿う水路。『PERFECT DAYS』における首都高速の異様な光景も、東京スカイツリーの変な形状も、いくどとなく自転車で渡る桜橋も、隅田川の美しい水景も、『まわり道』の水路と同じである。日本財団のしかけたトイレ事業はこれらの光景に比べれば、何者でもない。主人公の役所広司はこれらのトイレで用をたすことさえしないだろう。これらのトイレたちも過ぎゆく「客人」の往来する雑踏の変種にすぎない。『まわり道』のラストでリュディガー・フォーグラーとハンナ・シグラ、ナスターシャ・キンスキーは、「そのへんの雑踏でなにげなく別れよう」と話し合っていたではないか。

カンヌでパルムドールを受賞した『パリ、テキサス』(1984年)の主人公(ハリー・ディーン・スタントン)は、生き別れとなっていた妻(ナスターシャ・キンスキー)と幼い息子(ハンター・カーソン)をせっかく引き合わせたばかりだというのに、自身はそそくさと車で逃げ去ってしまう。なんともやりきれないラストだったが、ヴェンダース映画の主人公はハリー・ディーン・スタントンも、リュディガー・フォーグラーも、今回の役所広司も、家庭の幸福なんてまったく眼中にない。勝手気ままに生きている。妥協がない。

役所広司が演じた主人公は地味な生活で意外と貯金を怠っていないのかもしれず、彼は世捨て人でもなければ、野垂れ死もしないだろう。その日その日をどうすれば機嫌よく暮らせるか。どうやら名家の出身らしいことを窺わせるシーンがあったから、おそらくあらかじめ敷かれたエリート街道に対する嫌悪感が、彼の精神を壊してしまったのだろう。私たちが街で彼を見かけて挨拶しても、おそらく彼は無言でわずかに頷くだけだろう。かつて若手の筆頭株だったヴィム・ヴェンダースも来年は80歳を迎える。無言でわずかに頷くだけの無骨な挨拶のような「客人」の映画をたくさん作ってほしいと、老いた彼に期待したい。

(文=荻野洋一)

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