正月飾りが揺れていた。能登半島の先端にある石川県珠洲市。発災1カ月を目前にしても、激震や津波で傷ついた町並みは、痛々しい姿のままだった。
多くが避難所に身を寄せ、人の姿がない。ようやく出会えたのは、タイヤ工場で作業する男性だった。小倉俊博さん(74)=同市上戸町。声をかけるなり大きく手招きされ、隣接の事務所に通された。「鹿児島の新聞記者」としか伝えていないが、「とにかく暖まっていきなさい」と暖炉の前のソファを勧められた。
「『かわいそう』『頑張れ』っていう言葉が一番残酷に響く」。小倉さんは「元気を出している姿も見てほしい」と訴えた。メモをしていると、ホットコーヒーが差し出された。断水中にもかかわらず、小倉さんの妻が給水タンクの水で作ってくれたという。心の芯からぬくもりを感じた。
災害取材は敬遠されることが常だ。当然だと思う。しかし、能登は違った。「能登はやさしや土までも」の言葉通り、出会う人がみな優しすぎるくらいに優しい。誇るべき地域性だと感じた半面、無意識のうちに無理を強いているのではないかという心苦しさも抱いた。
〈能登半島地震「被災地を歩いて~本紙記者ルポ」より〉