「馳知事と蜜月バトル」…これって「新潮砲」? 読んでキョトンとしてしまいました…

ビッグバン・ベイダー選手と戦うプロレスラー時代の馳知事(右)。ベイダー氏のコスチュームは永井豪氏がデザインしたことで知られる=2000年1月16日、小松市内

  ●文春砲は有名だが

 週刊文春が世間を揺るがす特ダネを放つことを「文春砲」と呼ぶのは有名だが「新潮砲」という言葉はさほど聞かない気がする。なぜだろう? 先週の週刊新潮を読むと、その理由が、かすかに見えてきた。次のようなタイトルの記事が載っていたのである。(編集委員・宮本南吉)

 【震災対応で「馳浩」石川県知事が“蜜月”「北國新聞」とバトルの理由】

 この記事を読んで思ったのは「えっ、北國新聞と馳知事は“蜜月”だったの?」ということだ。

 「蜜月」とは「蜜のように甘い一か月」(新明解国語辞典)ということ。週刊新潮は老舗の文芸出版社が出しているので、記事も文学的な表現を心がけているのかもしれない。だが、ごく普通に現実を見ると、別に「蜜月」ではない。だから私は、その週刊新潮の記事を読んでキョトンとしてしまったのである。

 週刊新潮には「バトル」とも書いてあるが、これも実際には「戦い」などしていない。では、この新潮の記事は何なのか。「実態のない空気のようなもの」だろうか。

 新明解国語辞典を引くと「是々非々主義」という項目がある。「よいことをよい、悪いことを悪いとする、公平無私な主義」という意味だ。私たち北國新聞の記者は「よいこと」があれば、その事実を報じ、「悪いこと」があれば、それを皆さんにお知らせする。当たり前のことを地道に続けているだけなのだ。

 もちろん第三者が「蜜月だ」「バトルだ」と想像を膨らませるのは自由である。ただ、想像で書く文章は「報道」ではなく、「文学」であるというだけのことだ。

 ちなみにワタクシは文学青年なので、新潮文庫には大変お世話になった。「江戸川乱歩傑作選」など表紙がボロボロになるまで読んだものだ。あの一冊で「人間椅子」など乱歩の怪しげな世界に足を踏み入れてしまったばっかりに、人生の進路を少し間違えた。今回の週刊新潮には目くじらを立てないが、新潮社にはむしろ、そちらのほうの責任を取ってもらいたい。

  ●市長は英雄?

 昨年末、ある新聞に、次のようなことが書いてあった。JR城端線と氷見線の再構築を巡り、沿線4市長が積極的に議論を引っ張っているのだが、それを指して、沿線市長を「英雄」扱いする必要はない、というのだ。

 その記事を読んだ時も、私はキョトンとした。なぜなら「首長を英雄視しない」なんてことは当たり前だからだ。「赤信号では止まりましょう」にも似た言わずもがなのことを大げさに書いてあるので、首をかしげてしまった。

 公金投入も伴う城端線・氷見線の再構築が成功するかどうか未知数の現時点で、その牽引(けんいん)役を「英雄」扱いすべきでないのは当然だし、たとえ再構築が成功したとしても、民主主義社会において、自治体の長を「英雄」などと仰々しく呼ぶのはあり得ない。

 あっ、もしかすると某紙の記者さんは、私がこのコラムで前に沿線4市長を「勇者」と表現したのを受けて「英雄」と書いたのかな? あの「勇者」とは国民的テレビゲーム「ドラゴンクエスト」の主人公のことで、まるでゲームのように愉快な4人組だという意味なんだけど…。

 冗談はさておき、城端線・氷見線の再構築は日本の公共交通政策に一石を投じるものだ。成功したら、牽引役の功績を普通に評価すべきだし、同時に成功の裏側にある課題も分析すべきである。

 記者の皆さん、知事や市長に絡めて「蜜月」「バトル」「英雄」などと書くのもいいけれど、ぜひ「是々非々」の姿勢を忘れないでほしい。

 最後に付け加えれば、同じ号の週刊新潮に載っていた漫画家・永井豪さんの記事はとても良かった。それはきっと「ふるさと輪島」の復興を願う永井さんの真剣な思いを伝えていたからだろう。

 ★宮本南吉(みやもとなんきち)(47) 北國新聞編集委員 大阪府交野市出身。早大の文学部で演劇を学ぶ。SF小説と落語を愛する一方、お酒は飲めず。里帰り出産の関係で出生地は旧松任市。

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