【ラグビー】W杯4大会に紋付はかま”SAMURAI”あらわる。奥村悟さん、実はこの人…

2度目の袴での応援となった2015年イングランド大会での奥村悟さん(本人提供)

日本代表がベスト8の壁に跳ね返された2023年ラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会から4か月。大勢の日本のファンが現地を訪れ「桜のジャージー」の挑戦を後押しした。1次リーグ敗退が決まった日本ーアルゼンチン戦の舞台、ナントのスタッド・ドゥ・ラ・ボジョワールを背に、仁王立ちする奥村悟さん(49)もその一人。W杯は2003年の豪州大会から6大会連続で現地観戦している。しかも、2011年のニュージーランド大会からは紋付袴(はかま)に鉢巻きという格好で応援しているからか、ラグビーファンの間では知る人ぞ知る存在だ。この人、知ってる!見たことある!そんなあなたは、なかなかのラグビー通に違いない。(Pen&Sports編集長・原田 亜紀夫

2023年フランス大会、ナントのスタッド・ドゥ・ラ・ボジョワールで日本-アルゼンチン戦を観戦した奥村さん(本人提供)

「スタジアムでサムライに会ったぜ」と言われたい

紋付袴で日本を応援する奥村さんの姿は、いい意味でスタジアムで浮いている。ド派手な仮装で日本代表を応援するサポーターでは奥山禎晴さんが有名だが、奥村さんのシンプルな紋付袴姿はその対局の装いだ。特に海外ファンには袴姿が物珍しがられ、”WOW!SAMURAI(サムライ)!”とよく声をかけられる。入れ替わり立ち替わり「一緒に写真を撮って」とせがまれることも増えた。

「その人たちが写真を家族や友達に見せびらかして、きょうスタジアムで『日本のサムライ』と会ったんだぜ、と言ってくれたらうれしいですね」と奥村さんは笑う。

野望は傘で毬回し「おめでとうございま~す!」

ラグビーはサッカーや野球と違い、敵と味方のファンが分かれず、隣同士で応援するスタイルの紳士のスポーツ。奥村さんは袴を着て「サムライ」になり切ることで、国籍や言語を超えた国際交流を楽しんでいる。そもそもなぜ、紋付袴でラグビー日本代表を応援するようになったのか。

「目立ちたい気持ちもあるし、日本らしいスタイルで、日本の魂をこめて応援したい気持ちもあります。とにかく、4年に一度、それぞれは一生に一度のワールドカップなので、楽しみながら、応援したいんです。ワールドカップってそういうものなんですよ」

奈良県天理市で生まれ育った。根っからの関西人だ。「視線を浴びる恥ずかしさ?それはないですね。むしろ、ささやかながら、インパクトを与えられることがうれしい」という。ラグビーの応援は主催者や会場によっても違うが、基本的に楽器などの鳴り物を持ち込んだり、傘をさしたりするのも禁止。それでも、「今後は袴姿で応援するだけでなく、(会場の外で)三味線や尺八を吹いたり、傘の上で毬を回したり、一芸を仕込みたいですね」。発想は果てしない。

2003年豪州大会、あのチームのファン見て「これだ!」

袴姿でラグビー日本代表を応援するようになったきっかけは何だったのか。初めてのワールドカップを現地で観戦した2003年オーストラリア大会で目にしたある光景だったと奥村さんは振り返る。

「月刊誌ラグビーマガジンで、2003年オーストラリア大会の日本ー米国戦のツアーの募集があって、申し込んだんです。当時の同僚と『行ってみる?』ということになって。自分にとっては初めての海外旅行でした。海外旅行初心者には治安がいいオーストラリアはぴったりだなとも思いまして」

シドニーに着くと、ちょっぴり欲が出た。せっかくの4年に1度のワールドカップだ。日本戦以外も観たいと思った。シドニー郊外のテルストラスタジアム(当時)で、フランスースコットランド戦があると聞きつけ、自力で運よくチケットも入手できた。

その道すがら、乗換駅で目に飛び込んできたのは民族衣装のキルト(スカート)を着てバグパイプを持って歩くスコットランドのファンの集団だった。

「見た瞬間、これだ!と思いました」と奥村さん。「その国を象徴する格好で母国を応援するなんて、なんて素晴らしいと思いました。ワールドカップはお祭りですから」。(※残念ながら、スコットランドファンのバグパイプによる応援は2015年ワールドカップイングランド大会から禁止された)

2007年フランス大会も日本からW杯観戦ツアーに参加した。同じツアーにいた女性2人が浴衣を着て試合を観戦していて、海外のファンから猛烈にウケていた。「自分もやってみよう」と血が騒いだ。「次回のワールドカップからは、紋付袴、必勝鉢巻きで行こう」。奥村さんの覚悟が決まった。

古着の着物店で袴購入

2019年日本大会で(本人提供)

2011年ニュージーランド大会へのツアー出発前、満を持して紋付袴を購入した。「新品は高価すぎて手が出なかった」といい、自宅近くにある古着の着物店で買った。襦袢や履物を含めて5万円ほどだった。店には袴を購入した後も数回通い、自分で着る方法を店員に習った。着るのには1時間ほどかかる。

試合会場に向かうバスに乗り込む前のホテルの朝食会場。途中で着替える時間はないので、自室から袴を着て降りていくと、目を丸くした他のツアー客から「ウォー」という歓声が上がった。

リアクションは狙い通り。奥村さんは胸を膨らませて日本ートンガ戦の会場、ファンガレイのスタジアムに向かった。試合は18-31で敗れたが、それが袴デビューの日本代表戦。袴姿での応援はこのニュージーランド大会以降、4大会連続で続けている。

働きながら弁護士めざしトライ15回超、44歳で決めた

奥村さんはメリットパートナーズ法律事務所の弁護士

ラグビーW杯で「サムライ」になり切る奥村さんは、知的財産法やM&Aに関する法務を専門とする都内の法律事務所に所属する弁護士だ。

早大法学部在学中からチャレンジしてきた司法試験にようやく合格したのは、団体職員として勤務していた5年前、44歳の時だった。就職して中断していた勉強を再開し、そして継続し、15回以上のチャレンジ(予備試験を含む)を経て司法試験を突破した苦労人だ。ラグビーのプレー経験はないが、プレーヤーに例えるならば、何度タックルで倒されても前へ前へ突進するボールキャリアといったところか。そんな人生を歩んできた。

ライブ観戦「ストーリーが違う」

「ラグビー応援は学生時代から」と話す奥村さん

ラグビーを本格的に見始めたのは早大5年の秋、3度受けた司法試験に合格できず、一旦、区切りをつけて就職すると決めたころだった。「昼は大学で勉強していたし、夜もダブルスクールで学んでいた。何かちょっと違う、趣味みたいなものを求めていた。そこで、そうか。ラグビー観に行ってみるか、となったんです」。母校を応援するため、超満員の早慶戦、早明戦を立て続けに観に行った。くすぶっていた気持ちがスーッと晴れる気がした。

「現地で観戦するのとテレビで観るのとでは全く違いますね。スタジアムで観戦すると、試合が始まる前から、終わって客席に選手たちがお辞儀をするまでのストーリー、プロセスが感じられるんです。客席のやじも聞こえるし、全体を俯瞰できます。家のテレビで観ていたら、ほかのファンと話したり、触れ合うこともないですから」

1998年には東京・秩父宮ラグビー場で日本代表の試合を初めて生で観た。故平尾誠二監督率いる日本代表がアルゼンチン代表を迎えた一戦。超満員のなか、ゴミ箱の脇でしかも立ち見で、日本が44-29で勝利する瞬間に震えた。今振り返れば、挫折から立ち直るきっかけも、ラグビーが与えてくれた。そう心から思える。

法律家としてスポーツ、エンタメを支えたい

弁護士バッジは普段つけないそう

奥村さんには今後のキャリアを見据えた野望がある。「ラグビーをはじめとしたスポーツが好きですし、エンターテインメントにも興味があります。法律家としてその領域に関わりたいと考えています。どう関わっていくか手探りの段階ですが、模索していきたいですね」

奥村さんを採用したメリットパートナーズ法律事務所の知念芳文代表弁護士・弁理士もその人柄と個性にほれ込んだ。「弁護士というと理屈っぽいイメージがあるかもしれませんが、奥村弁護士は謙虚でユーモアがあり、いい意味で形にはまらず、抜群のバランス感覚を持ち合わせています。仕事をしながら司法試験に合格したことからもわかる通り、一つのことを継続し、突破する力もある。スポーツ、エンタメ、いいじゃないですか。彼は法曹界のダイバーシティを地で行く弁護士です」と太鼓判を押す。

ラグビーワールドカップの次の大会は2027年オーストラリア大会。もちろん袴姿で現地で応援するつもりだが、職場を長期間休むのは後ろめたさがあるという。だが、そのころには、本業の弁護士としても、紋付袴の「サムライ」としても「芸」の幅を広げて、さらにパワーアップしているに違いない。

奥村 悟(おくむら・さとる)1974年3月1日、奈良県天理市生まれ。元ラグビー日本代表の五郎丸歩さんと同じ誕生日(一回り上)なのがプチ自慢。奈良県立桜井高校、早大法学部卒。20年に渡って団体職員として勤務していた2018年、44歳で司法試験に合格した。2021年にメリットパートナーズ法律事務所(東京都千代田区)入所。第二東京弁護士会所属。ラグビー観戦歴は25年以上。ラグビーワールドカップ2003年オーストラリア大会から6大会連続で現地観戦している。

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